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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

青年団の「ソウル市民1919」

2018年11月06日 | 観劇など
青年団の80回公演「ソウル市民1919」をこまばアゴラ劇場で観た。青年団の芝居は、たとえば今年6月にも観たがこのところずっと吉祥寺シアターだった。ブログの記録をみると2009年12月の「北限の猿」以来なので、10年ぶり近くになる。

わたくしは「ソウル市民」(初演1989年 時代設定は1909年 韓国併合の前年)と「ソウル市民1939 恋愛二重奏」(2011年)は2011年秋、「ソウル市民 昭和望郷編」(時代設定は1929年)は2006年に初演を見たが、「ソウル市民1919」(初演2000年)はまだ見ていなかった(その4つのほか「サンパウロ市民」という作品があるそうだ)。
まさに3・1独立運動開始の日の午前にフォーカスした作だ。わたくしは、3・1朝鮮独立運動の周年集会(もちろん韓国で行われる集会ではなく日本での集会)には、毎年ではないものの10年以上参加しているので、もちろん関心があるテーマだ。
明治末期に朝鮮に渡り文具店を経営する日本人一家の、能天気さと心のなかの根深い部分に巣食う朝鮮人差別を描く作品だ。この芝居は東京で11月11日まで公演されたあと、12月2日まで地方公演が続く。以下はネタバレ注意でご覧いただきたい。

初演のころの「悲劇喜劇2000年7月号」(早川書房)の「『ソウル市民』から『ソウル市民1919』へ」(p20-22)というエッセイで、平田は「(1919年3月1日の午前中)半日の日本人の有り様を、徹底的にコミカルに描き出すことで、植民地支配者の滑稽な孤独を浮き彫りにしようと考えた」と書いている
篠崎一家は、病気で寝ている大旦那(舞台に姿は現さない)、息子夫婦(いまの主人)、興業部門を統括する叔父夫婦、内地での結婚に1年足らずで失敗し出戻った妹、大旦那の妾の子の6人が主要人物で、そのほか書生、番頭(経理部長)、女中(日本人2人、朝鮮人2人)の富裕な大家族、さらに妹の友人とその母、オルガンの先生、そして内地から興業にやってきた相撲取りと興業師が登場する。
朝鮮人は牛も馬も食べるが、四足でも机は食べない」「じゃあシナ人と一緒だ(p15 ページ数は劇場で購入したシナリオのページ数、以下同じ)、女中も(書生に向かって)「あんたたちみたいなのがいるから、朝鮮人にまでバカにされるのよ」(p4)と朝鮮人女中の前で平気で言い、妾の子も「お袋死ぬまで、この家来ちゃいけなかったんだ。犬、朝鮮人、妾の子、玄関からはいるべからずってね」(p25)と、素朴な差別観が表出されている。この点は「ソウル市民」で「裸になったとき、朝鮮人と日本人の見分けはつくか」というセリフが出てきたことが思い出させた。
「朝鮮が一緒になりたいから一緒になったんでしょ」(p25)、「でも朝鮮人は、みんなで何かするってことが出来ませんからねぇ」「すぐ喧嘩しちゃうんだから」(p27)
「ソウル市民」で紹介されたように、篠崎一家は教養もあり上品な家なので「これからは、殖産興業だけではなくて、文化でしょうね」「文化、芸術、スポーツなどを通じて、内鮮一体を実現していく」(p22)、「内地で米が足りないからって、その分を朝鮮に作らせるっていうのは、どうでしょう」「最近の総督府のやり方は、僕もどうかとは思ってるんですけどね」(p34)という「理屈」は頭に入っている。
出戻りの幸子はさらに徹底している。「わたしは、朝鮮で、朝鮮人たちと楽しく暮すの(p40)とはいうものの、その理由は「内地はじめーっとしていてわたしにはダメなんですよ。(嫁ぎ先の地主の家に米をもってくる小作人をみて)あんな貧乏な日本人見たの初めてだったんだもん。びっくりしちゃって(p39,40)と、日本人は豊かで朝鮮人名貧しいのが当然という思い込み丸出しのいう無邪気さである。
篠崎家からも女中たちが次々に「失踪」する。「どうして出かけるの?」「朝鮮が独立したんで」「は?」「どうも、いろいろとお世話になりました(略)」「さよなら」(p52,54)、日本人たちはきょとんとしているが、出ていってしまう。これに対し奥さまは「なんか、なくなっているものないかだけ、見といたら(p39)と無自覚のまま口走ってしまう。
しかし、なぜこの日、町中の通りに朝鮮人たちが集まって「ニコニコ」し、「マンセイ」を叫ぶのか、想像もつかない。何年も現地で暮らしているのにハングルを覚えようという気はないし「マンセー」が「万歳」だということにやっと気づくか気づかないかというありさまだからだ。

この後も、「結婚するならロシアの亡命貴族なんか、いいんじゃないか」(p56)、オルガンのお稽古、庭の石を動かす、などとりとめもない話が続き、ラストは「東京節」の替え歌で
京城の中枢は明治町
  パゴダ公園、慶福宮、
  いきな構えの三越に
  いかめし館は総督府(略)
 ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ

を3番まで振りをつけて女性3人に日本人女中まで加わって歌うが、
シナもロシアも朝鮮もみんな仲良く京城で
 東亜の夢が花開く

まで行くと、ちょっと狂気じみているというか、「夢みる日本人」というか・・・。なお、この京城版の歌詞の替歌は、ユーチューブを検索しても出てこない。ひょっとすると、この芝居のために平田がつくった歌詞なのかもしれない。才人である。
朝鮮侵略や差別のルーツは幕末の吉田松陰あたりにあるのかもしれないが、普通の日本人にとっては、やはり1910年の韓国併合が大きいと思われる。差別感は100年後の現在も日本社会に根深く残り、街頭でのヘイトスピーチなどではっきりみられる。たとえば東京朝鮮高校裁判の高裁判決(敗訴)も、下村や安倍の差別感の反映のひとつといえるかもしれない。

2階が70席ほどの小さいホールになっている
役者では、まず島田曜蔵だ。
「ソウル市民」には謎の手品師、3作「昭和望郷編」には満蒙文化交流青年会の一団、「1939 恋愛二重奏」にはヒトラー・ユーゲント(ドイツ青年愛国同盟)の少女が出てきた。この作品には相撲取りが出てくる。相撲といえば日本の「国技」だが、関取・甲斐ガ岳は体こそ大きいが気はとても小さく、余興で「熊や虎」と取り組まないといけないかも、と想像しただけで、椅子のクッションにお漏らししてしまうほどである。あげくにマスクをかけて、内地に逃げ帰ってしまう情けなさだ。「ごっつあんです」というセリフを連発する島田曜蔵がコミカルに・演じていた。
そして朝鮮人女中役のたむらみずほ申瑞季(シン・ソゲ)のアイルランド民謡「霧の滴」(Foggy Dew)がすばらしかった。感情の起伏にに満ちた哀切なメロディが2人の朝鮮人女中により韓国語で歌われる。てっきり、朝鮮の抵抗の歌かと思ったが、じつはアイルランドのイングランド軍に対する抵抗の民謡だそうだ。東京朝鮮中高級学校の女声合唱で美しい歌声は知っていたが二人のデュエットもとても美しく?迫力があった。ただ歌のあと3分ほど韓国語の台詞が続くので、ここまで続くのなら字幕があるとよいと思った。
そして堀田由美子役の井上みなみ荻野友里の幸子と同年代という設定にはムリがあったが、溌剌とし無邪気な演技をみて、将来青年団を背負って立つ女優に育つかもしれないと感じた。

19時半開演、19時10分開場(自由席)なので、19時前に駒場の駅に着いた。まだ寒くはないもののとっぷり日は暮れている。前は吉祥寺シアター同様外に並ぶしかなかったと思うが、いまは1階の室内でも待てるようになっていてチラシ、販売本のほか、上段に現代日本戯曲大系(三一書房)、シェークスピア全集などが図書室のように並んでいた。
向かいは東大電気という昔ながらの電器店、隣はマイバスケット、その先に居酒屋かこ、手前に南海食堂 昔ながらの小さい商店街なのでなつかしい感じがする。

舞台には6人がけの大きなテーブルがあり、大きな食器棚が二つある。なかのティーカップ、グラス、皿、茶碗など高価そうにみえる。吉祥寺シアターと異なり、舞台と客席の距離がずいぶん近いのではっきりクリアにみえるせいもあるのだろう。そういえばテーブル、椅子などインテリアも高価そうだ。かつてここに来ていたころみた小道具、大道具とはレベルが数段違うような気がする。そういえば役者の発声や演技もかつてとはレベルが違うような気がする。あのころの青年団はどこに行ったのだろうか。

「悲劇喜劇2000年7月号」のエッセイで平田は「この年の4月に私は劇団員の筒井陽子と結婚した。5月、連休を利用して、私たちはヨーロッパに新婚旅行に出かけた。(略)十年ぶりの欧州の地で、私は「ソウル市民」の構想をほぼ固める。(略)帰国後、数週間で私は一気に「ソウル市民」を書き上げた」と書いている。
先のわたくしの09年の記事の末尾に「ひらたよーこさんが開場前の案内をやっていた。そしてハネてからも寒いなかあいさつのため立っていた。こまつ座の井上都さんもわりと最近まで紀伊国屋ホール入口であいさつに立っていた。好感をもてる」と書いていた。10年の時間の差は意外にというか、じつにというか遠いことを実感した。

☆久しぶりに渋谷の「とりすみ」に行った。井の頭線の出口から50mのところにあるが、行くのはたぶん20年ぶりくらいだ。これも元は浜田信郎さんの「居酒屋礼賛」で知った店だ。この日は、エリンギのバター炒めとお腹がすいていたので焼きそばを食べた。酒は日本酒と焼酎のお湯割りだった。
たまたまカウンター席の隣の席が20年くらい通い続けている常連さんで、話が弾んだ。駅そのものも含め変貌が激しい渋谷。富士屋本店も閉店したが、こういう安くてボリュームが多く、かつ落ち着いて飲める店がまだ残っているのはありがたいことだ。

エリンギのバター炒め
☆本題とは離れるが、女優の角替和枝が10月27日原発不明がんで亡くなった。64歳とのこと。芝居つながりということでここに記す。わたくしは「ヒポクラテスたち」(1980年大森一樹監督)の医師夫婦の気の強そうな若妻の印象が強い。プロフィールで、内田栄一の東京ザットマンで芝居をはじめ、つかこうへい事務所を経て東京乾電池に移籍ということを知った。どこかで舞台もみていたかもしれない。哀悼の意を表する。
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