「ぽれちゃん、お元気でしょうか?
11月に○○先生が来阪されて、ぽれちゃんの懐かしい話をしました。
・・・(中略)・・・私も今年、60才です。
10才だったぽれちゃんと出合って、もう40年も経つのですね・・・・。」
昨日届いた年賀状の中の一枚。
綺麗なお姉さんだった先生も、もう60才なんだ・・・。
昨年、住所不明で戻って来た年賀状の主は、
その年の三が日が明けてすぐ「もしもし、ぽれちゃん?分かる?先生よ。」
と電話をかけて来てくださった。
声を聞くのはその時が20年以上ぶり。
我ながら驚いたのは、最初の一声ですぐに相手が分かった事。
彼女は私の小学校5年生の時の担任
○○先生と言うのは、同じく、3,4年生の時の担任。
お二方とも、年賀状以外のお付き合いは全くと言って良いほどない。
・・・・・・・
あのぉ・・・お二人で何を話さはったんですかぁ?
いや、その・・・
時を遡ることは私の得意とする所ではあるが、
この年になると、そのスピードが極端に遅くなる。
極印象に残っている事でも、せいぜい20才・・・ん~・・・
ちょっと頑張っても16,7才が限度。
10才の時にどんなだったって・・・全く覚えてない
自分の知らない小さな自分を語られるのって・・・
うわぁぁん・・・めちゃくちゃ恥ずかしいんですけどぉ
私が特に悪ガキだった訳ではない・・・筈だぁ
私が特に目立って迷惑をかけたわけではない・・・筈だぁ
ただ、私が結婚する時に、先生からもらった手紙に書いてあった。
当時は子供の数が爆発的に増えていた頃で万年教師不足。
非常勤の先生方が担任を持つことも珍しくなかった時代で、
短大をでたて、20歳になったばかりの先生は、いきなり5年生の担任に。
初めての参観日の時には半泣きになって授業が進まなかったと言う事だ。
それが元でクラスの親からクレームが相次いぎ、辞任を求められたらしい。
ちょうどその頃PTAのクラス委員だったかぁちゃんから
私は、何かを聞いたのだろう。
夏休みのプール授業が終わった後
みんなが帰った後にひとりうなだれてプールサイドに残っていた私は
先生に声をかけられた時「先生、辞めんといて。」と言った・・・そうだ
先生はそれで教師を辞めないと思ったと、その手紙には綴られていた。
方や○○先生は、バリバリの若手教師。・・・おっかなかった
当時は教師不足に加えて保育所不足。
女性が社会に出て働く事がまだまだ一般的ではなかった時代。
何がどうなったのか知らないが、
ある日の夜、隣町に住んでいた先生が突然家に来られて頭を深々と下げられた。
翌日から数回にわたって、まだ1歳にもならない先生のお子さんを
我が家で預かった事がある。
こちらは、私が唯一持っていた犬のぬいぐるみの鼻を齧られたので
記憶は鮮明に残っている。
ふと思い出した。
・・・あの頃、かぁちゃんは随分親として頑張ってた。
・・・かぁちゃんは、泣きむしのあかんたれ・・・じゃない頃があったんだ。
・・・かぁちゃんと先生達の絆に乗っかって残った私と先生達との絆。
それにしても40年という年月を越えて身近になった先生方の存在。
人との関わりという物は何と不思議で強い物なのだろう。
自分の知らない自分が、自分と関わった方の共通の話題となるなんて・・・。
遥かなる年月を越えて、私もまたどなたかと再び巡り会う事があるのだろうか?
私を覚えていてくれる方がいるのだろうか?
・・・・・・・・・悪い事はできまへんなぁ・・・・・・・・・
そして、紛れもない事実がここにある。
先生の娘さんはうちの子供たちと同じ大学で年の差4歳。
○○先生の末娘さんは何と同い年
先生、今度もし会えたら同じ目線でPTAの集いが出来ますね
年の初めの非日常の日々の中での出来事。
今日はぽんも始業式。明日から給食も始まるようだ。
さ~て、新しい年の日常の始まりである。
11月に○○先生が来阪されて、ぽれちゃんの懐かしい話をしました。
・・・(中略)・・・私も今年、60才です。
10才だったぽれちゃんと出合って、もう40年も経つのですね・・・・。」
昨日届いた年賀状の中の一枚。
綺麗なお姉さんだった先生も、もう60才なんだ・・・。
昨年、住所不明で戻って来た年賀状の主は、
その年の三が日が明けてすぐ「もしもし、ぽれちゃん?分かる?先生よ。」
と電話をかけて来てくださった。
声を聞くのはその時が20年以上ぶり。
我ながら驚いたのは、最初の一声ですぐに相手が分かった事。
彼女は私の小学校5年生の時の担任
○○先生と言うのは、同じく、3,4年生の時の担任。
お二方とも、年賀状以外のお付き合いは全くと言って良いほどない。
・・・・・・・
あのぉ・・・お二人で何を話さはったんですかぁ?
いや、その・・・
時を遡ることは私の得意とする所ではあるが、
この年になると、そのスピードが極端に遅くなる。
極印象に残っている事でも、せいぜい20才・・・ん~・・・
ちょっと頑張っても16,7才が限度。
10才の時にどんなだったって・・・全く覚えてない
自分の知らない小さな自分を語られるのって・・・
うわぁぁん・・・めちゃくちゃ恥ずかしいんですけどぉ
私が特に悪ガキだった訳ではない・・・筈だぁ
私が特に目立って迷惑をかけたわけではない・・・筈だぁ
ただ、私が結婚する時に、先生からもらった手紙に書いてあった。
当時は子供の数が爆発的に増えていた頃で万年教師不足。
非常勤の先生方が担任を持つことも珍しくなかった時代で、
短大をでたて、20歳になったばかりの先生は、いきなり5年生の担任に。
初めての参観日の時には半泣きになって授業が進まなかったと言う事だ。
それが元でクラスの親からクレームが相次いぎ、辞任を求められたらしい。
ちょうどその頃PTAのクラス委員だったかぁちゃんから
私は、何かを聞いたのだろう。
夏休みのプール授業が終わった後
みんなが帰った後にひとりうなだれてプールサイドに残っていた私は
先生に声をかけられた時「先生、辞めんといて。」と言った・・・そうだ
先生はそれで教師を辞めないと思ったと、その手紙には綴られていた。
方や○○先生は、バリバリの若手教師。・・・おっかなかった
当時は教師不足に加えて保育所不足。
女性が社会に出て働く事がまだまだ一般的ではなかった時代。
何がどうなったのか知らないが、
ある日の夜、隣町に住んでいた先生が突然家に来られて頭を深々と下げられた。
翌日から数回にわたって、まだ1歳にもならない先生のお子さんを
我が家で預かった事がある。
こちらは、私が唯一持っていた犬のぬいぐるみの鼻を齧られたので
記憶は鮮明に残っている。
ふと思い出した。
・・・あの頃、かぁちゃんは随分親として頑張ってた。
・・・かぁちゃんは、泣きむしのあかんたれ・・・じゃない頃があったんだ。
・・・かぁちゃんと先生達の絆に乗っかって残った私と先生達との絆。
それにしても40年という年月を越えて身近になった先生方の存在。
人との関わりという物は何と不思議で強い物なのだろう。
自分の知らない自分が、自分と関わった方の共通の話題となるなんて・・・。
遥かなる年月を越えて、私もまたどなたかと再び巡り会う事があるのだろうか?
私を覚えていてくれる方がいるのだろうか?
・・・・・・・・・悪い事はできまへんなぁ・・・・・・・・・
そして、紛れもない事実がここにある。
先生の娘さんはうちの子供たちと同じ大学で年の差4歳。
○○先生の末娘さんは何と同い年
先生、今度もし会えたら同じ目線でPTAの集いが出来ますね
年の初めの非日常の日々の中での出来事。
今日はぽんも始業式。明日から給食も始まるようだ。
さ~て、新しい年の日常の始まりである。
♪5才の頃を~
私がよく覚えているのは小学校、5年と6年に担任してもらった先生。
日記を書くことを、毎日の宿題にされ、
私が文章を書きはじめるきっかけを作ってくれた。
中学3年の時の担任は妙に気が合った先生。
コミケで私が新聞に載った時、
「すごいなあ、すごいなあ」と電話をかけてくださった。
小学校の時の担任は亡くなられたとか…
(少女漫画ですよ~♪)
当時、自由勉強帳と言うのがあったのですが、
新しい物になると、裏表紙に絵を描いてくださったのです。
私がごそごそ絵を描き始めるきっかけになったかも・・・。
中2の担任は、授業中に竹刀を持ってらしたのですが
本職はお坊様
校区の一番奥に住まいがあったので、近くの檀家に来られる時は
いつも我が家で袈裟に着替えておられました。
・・・何故だろう??
それから数年後に亡くなられましたが、
病院が大阪だったので、
通院帰りに私の引越し先に立ち寄ってくださった事もありました・・・。
あら、いけませんね。
少々過去を思い出しすぎました。
過去が現在へ未来へ繋がる物ならば、
時折思い出に浸るのも良いかもしれません。
沢山の人達と関わってこそ、今があるのですものねぇ。
・・・なんか、真面目になっちゃいました
まーーー!
もぅーーーー!
ビックリ!
今年還暦の兄が見つけ出して、食い入るように見てて・・・
何見てんの?
さかえ(私の名前)は、昔は、意外と?綺麗だったんだなぁ・・・・
え?っと覗き込むと、そこには35年以上前の私が。
私も、それから、かなり思い出の中に浸りましたよ。
35年前と今。
どちらも正真正銘の私です。
ぽれぽれさん。
一緒に今年も頑張りましょーね。
ウルッときてしまいました。
10歳のぽれちゃんが、先生に
「先生、辞めんといて。」と言ったトコ。
先生、ものすんごーく、嬉しかったんだろうなーと、心中をお察しすると・・・
私、心に残る先生って、いないなー。
ママンは結構PTA張り切っていたから
いろいろあるみたいで、
毎年ママンのトコへ来てる年賀状、
「コレ誰?」って聞いたら
「ばかっ!アンタの小学校の担任の先生じゃない!」
って、バカ!って言われちゃったーん
momijiさんのコメントを読ませていただいて
思いを巡らせていたのですが、
私の卒業アルバムってどこ行ったんだろ?
ないっ・・・
私ねぇ、その頃あまり思い出したくない事が多くて
「わ~すれた!」って事にしようとしてたら
ホントに思い出せなくなっちゃったかも
でも、それもこれもひっくるめて正真正銘の私ですね。
momijiさ~ん、私がうだうだやってたら渇入れてくださいね~。
って言うゼリーさんが好きだぁ
そっかぁ、ママンはPTA頑張ってらしたのね。
そういえば私も毎年PTAでごそごそしてたけど、
ん?年賀状をずっとやり取りする先生なんていないよぉ。
え?ほんとは書くべきだったのかな?
私さ、6年の3学期に転校したの。
その先生ね、可哀想に思われたのか自宅に呼んでくれて
泊りがけで遊びに行っちゃたんだよ~。新婚家庭に
チビ達が1歳の時に娘さん連れて家まで来てくださった事もあったなぁ。
んふ、何だか近いうちに会えるような気がして来た