ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「花の都」「恋の都」「水の都」そして・・・・・

2014年07月14日 18時05分41秒 | Weblog

「花の都」といえば、フランスの首都「パリ」である。パリの観光地といえば、エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館などであり、特に「花」に纏わる「モニュメント」も無ければ、「花博」みたいな「象徴的なイベント」もないようである。フランスの「国花」は2種類あるようで、それは「百合」と「アイリス」であるが、 これは、いずれもフランスの紋章に由来するらしく、フランス語の 'fleur-de-lis' の直訳は「ユリの花」であり、ここに言う「ユリ」は一般的な「ユリ」(ユリ目ユリ科ユリ属)ではなく、「アヤメ」(ユリ目アヤメ科アヤメ属)を指すらしい。こう言うと、フランス人の方たちに怒られてしまうかもしれないけれど、恐らく日本人は、いや、少なくとも私個人としてのフランスの「国花」に対する認識は、「オランダの「チューリップ」に匹敵するような「有名な花」でも「象徴的な花」でもないわけで、そもそも、そのいずれの花も特に「パリ」とは関係ないようなのである。というわけで、「観光地」に立ち返って、 エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館などに思いをはせてみると、その「アピール・ポイント」は何かと言えば、「歴史的建造物」「芸術」「ファッション」ということになるのではないだろうか。荘厳で美しい「ヴェルサイユ宮殿」、数多くの美術品、芸術品を所蔵する「ルーブル美術館」そして、観光客がショッピングを楽しみながら歩くのが「シャンゼリゼ通り」である。ルーブル美術館所蔵の「美術品」や「芸術品」だけでなく、荘厳な建造物を含めたその「芸術性」及び、観光客を集める「シャンゼリゼ通り」の魅力だけでなく、「パリコレ」に代表されるような、世界をリードしている「ファッション界」の「華やかさ」が、まさしく「パリ」の「花」=「華」なのである。というわけで、「花の都」=「パリ」というイメージは、すでに「押しも押されぬ不動のもの」ではあるけれど、実は、私も知らなかったのだけれど、「パリ」には、別の異名というか「愛称」があって、それは、’La Ville-Lumière’=’City of lights'=「光の都市」と言われているということはご存じだろうか。

ところで、日本に「花の都」があるかというと、探しては見たが、どうもありそうにない。ただ、歌謡曲の歌詞の中に「花の東京」というフレーズを含むものが幾つか見受けられる。ひとつは、1936年、古賀政男作曲で歌手、藤山一郎が歌った「東京ラプソディ」で、もうひとつは、1970年、市川昭介作曲のテレビアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌、演歌歌手「天童よしみ」が歌う「大ちゃんの数え歌」である。この2つの曲が生まれた時期は34年の開きがあるが、時代背景を考えると、1930年代の戦後のどん底の時代から首都の「東京」を中心とした復興の足取りの中で、国民の多くが大都会「東京」の発展に見せられ、その「華やかさ」に憧れて、「地方」から「東京」へと移住して「夢」を追いかけ始めたのが、「東京ラプソディ」の流行った1936年であり、経済復興から先進国であるアメリカの技術に追いつき追い越せとしのぎを削り、団塊の世代を中心に高度成長を実現し、様々な産業が育って、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、更に1980年代の「バブル期」に突入していったそのタイミングで流行ったのが、1970年の「大ちゃんの数え歌」なのである。

田舎から出てきた腕自慢の「風大左衛門」が東京という「大都会」に出てきて柔道の「腕試し」をするという「アニメ」である。この「風大左衛門」は、当時、「大都会」である「東京」に夢を託して、我も我もと上京した若者たちを象徴する存在であった。また、藤山一郎が歌った「東京ラプソディー」は、不況に苦しむ「日本経済」を国民全体で盛り立てて発展させていこうという一種の「応援歌」みたいなものであった。「ラプソディー」=’Rhapsody’とは「狂詩曲」のことで、自由奔放な形式で民族的あるいは叙事的な内容を表現した楽曲であり、異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、既成のメロディーを引用したりする非常に軽快な音楽である。藤山一郎は、日本の経済発展の先頭を走る「東京」の華やかさを軽快なメロディーで歌い上げ、「花の都」という言葉としては定着しなかったけれど、「花の東京」への憧れ、そして、そこは「夢のパラダイス」であり「恋の都」なのだと歌い上げたのである。そういえば、当時の文豪「三島由紀夫」の小説の中にも「恋の都」という作品があったと思う。この作品は、敗戦と共に切腹した右翼塾生の恋人のことを思いつづける才色兼備のジャズ・バンドのマネージャーが、彼女の元へ届けられた一本の白檀の扇をめぐって新たな運命にぶつかる恋愛物語である。戦後の復興著しい東京の風俗や芸能界の活気を取り入れた娯楽的な趣の中にも、敗戦から冷戦時代を背景に、戦争に翻弄された男女の複雑な運命が日本とアメリカとの関係を軸に描かれている。「東京」に集まる若者たち、彼らの「豊かさ」を追求していこうとする「熱き想い」のぶつかり合いの中で、男女間の互いの「思慕」というものが「恋」という形で燃え盛っていく、そんな活気に満ちた世界が繰り広げられる「大都会」。それが「東京」だったのである。

そして、最後の「水の都」。運河や水路、河川等の水景が都市景観の形成に大きな役割を果たしている都市に対して使用される愛称で、水都(すいと)とも呼ばれ、これは、イタリア南部の「ヴェネチア」が有名である。「ヴェネチア」は、中世には「ヴェネチア共和国」の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名を持っている。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でも「ヴェニス」とか「ベニス」と呼ばれることもある。「ヴェネチア」は、5世紀頃、ゲルマン族の進入から逃れるために、当時湿地帯であった場所に街を作ったのが始まりといわれている。スウェーデンの首都、「ストックホルム」は、「島」の上に築かれた都市で、「北欧のヴェネチア」と呼ばれているようである。また、オランダの「ロッテルダム」は、マース川河口からの水路を利用した貿易で栄えた都市であり、「街の愛称」として、’Waterstad'=「水の都市」と言われることもあるようだ。

日本にも「水の都」とか「水都」とか呼ばれている場所がある。いや、そう呼ばれていたと言ったほうが正確かもしれない。その場所とは、「大阪」である。歴史的に見れば、元々は、海に囲まれていた難波宮(現大阪)をさす語で、低湿地で多様性のある水郷とは異なり、道路や水路・運河が交錯する地割が、街の風景となる水辺都市のことである。そういえば、この「水都」=「大阪」をピーアールするために、「道頓堀川水門」「木津川」「堂島川」をめぐる「クルーズ」なども運行されていて、なかなか評判がいいようである。その他、岐阜県大垣市には、「揖斐川」「長良川」など、市内に15の「一級河川」が流れていて、私は知らなかったけれど、やはり「水都」と呼ばれているようである。

その他「都」の愛称を持つ「都市」をいくつか挙げてみたい。                    まず、先のオリンピック開催国イギリスの首都、ロンドンは「霧の都」と呼ばれている。これは「愛称」と言っていいかどうか少し迷うところで、確かに冬場は冷え込んで、しばしば「霧」が出たらしいけれど、それよりも、その昔、特にビクトリア時代はスモッグが凄かったことも加味し手、「揶揄」の意味を込めた「呼称」のようである。最近は大気汚染も改善されて来ているし、地球温暖化の影響もあってか、暖冬になると、なかなか霧は発生しないようである。「都」ではないけれど、日本に「霧の街」と呼ばれる街がある。北海道の「釧路」である。こちらのほうは、「ロンドン」の昔のような「スモッグ」は発生していなかったようで、「霧」の発生頻度が相当高いようである。気象庁のデータによると、釧路は、札幌・東京 の約20倍ほど多く霧が観測されており、特に6・7・8月は、月の半分以上で霧が観測されている。

「杜の都」と呼ばれている「都市」もある。一般的に、「杜の都」と言えば、宮城県の「仙台」である。過去の文献を紐解くと、1909年(明治42年)に初めて「仙台」を「森の都」と記載している。そして、初めて「杜の都」と記載したのは1916年(大正5年)である。「杜」とは、江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた「防風林」「防火林」「防雪林」「防潮林」「屋敷林」「寺社林」「里山」「街路樹」などの「人口林」を指すものでり、「杜の都」とは「人工林の多い都市」ということである。また、「森の都」というのは、「樹木が多い都市」「付近に森林がある都市」などを呼ぶ愛称で ある。ところで、「火の国」と聞けば、恐らく誰もが「熊本」を思い浮かべると思うけれど、実は、この熊本市は、1930年(昭和5年)に制定した「熊本市歌」の歌詞の中で「森の都」と自称し、1972年(昭和47年)10月の熊本市の市議会において「森の都宣言」をしている。また、石川県の金沢市では、1974年6月の金沢市議会にて「緑の都市宣言」をしており、その宣言文中では「森の都、金沢」と明記している。

昔から「大阪」は「天下の台所」「食い倒れの街」「粉もん文化の街」などという「愛称」で親しまれ、長年それなりの存在感を示しているが、最近になって、「大都市集中型の社会」から「地方分権型のの社会」への転換が、徐々にではあるが、進展しているように見える。財政的には、政府からの地方に支払う補助金を極力廃止し、「地方は地方で稼ぐ」必要性が高まっており、全国的に「地方公共団体」ベースでの「観光開発」や「特産物」のPR合戦が盛んになってきている。「くまモン」や「ふなっしー」など、地元PRのための「ゆるキャラ」も各地で乱立している。最近では、「うどん県」「温泉県」「おしい!広島県」などを冠して観光客の誘致に力を入れている。そういう流れの中で、地元PR目的の「~の都」とか「~の街」とかいう「ネーミング」も増えてくることが予想されるけれど、その「ネーミング」については、是非「節度」と「納得性」を慎重に考慮してほしいと思う。このようなことは、「先に言った者勝ち」みたいなところもあるので、事実と異なる「誤ったネーミング」が横行して定着してしまうと、最終的に「知識の混乱」「常識の混乱」につながる恐れがあると考えるからである。「地元PR]や「地域振興」は大切だけれど、くれぐれも慎重に行っていただきたい。また、ついでに申しておきたいのは、「外国人観光客」確保ののために、ウェブサイトの「翻訳版」を作成している「地方公共団体」が見受けられるが、「機械翻訳をそのまま転記」してしまったのだろうか。「とんでもない誤訳」のオンパレードで「恥の上塗り」となっているケースがある。財政難で「予算上の問題」もあるかもしれど、ちゃんとした「翻訳者」に依頼したほうがいいし、ウェブ上に公開する前にしっかりと事前チェックをされたほうがいいだろう。とにかく、いろいろ慎重におおなって欲しいものである。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿