タップダンスが大好きで タップシューズが下駄箱にありました
思い出したかのように 時々 タップダンスのステップ踏んでた
今思えば お嬢さまだったんや お母さん
兄が2人 弟が1人
代々言われてる事1人だけ出世する
人を動かし 世の中を動かす人になる
社交ダンスも習っていたらしく
ブルースのステップ
幼い頃 スロースロークイッククイック と言う風に足を
動かして・・・こんな風に・・・
タンゴは ステップも激しく難しいけど
踊りごたえがある と・・・
幼い私には 何のこっちゃでしたが
今思い返すと・・・
懐かしい
1927年 昭和2年 うさぎ年生まれ
生きていれば94才・・・
53才で 命の灯は燃え尽きて
何の不自由もなく育った母は
病気で母親を亡くし 後妻に来た人と折り合いが悪く
今までの生活が一変
まるでいつも私に優しかった
ばあや以上に こき使われてん(笑)
まぁ あれは修行やね
あれがあればこそ 負けへん なんでもこなして見せる
今に見ておれ と言うハングリー精神が芽生えたんやから
継母には まぁ 感謝や と 言ってた
継母 ばあや どんな家やねん と 思いましたが
そういえば 幼い記憶に
母の実家は 2軒あり
南の家には ヘリポートと住まい 北の家は住まい
緊急事態の時 や おじさんが自家用ヘリとかで来てたとか聞いた
でも 子供心に信じられなくて 広い家で怖かった
蔵とか離れとか・・・
そんな母も 結婚式の前の日まで 畑で仕事して
高校英語教師の父と結婚
1ケ月に1回 散髪と称して 娘の様子見に来る父親(おじいちゃん)
に 会うのが嬉しそうでした
私もおじいちゃんは大好きで
白髪に 優しい笑顔 何時も四文字熟語を教えてくれて
散髪の後きて お昼ご飯と少しのお酒 昼寝して帰る
ただそれだけでしたが 楽しみでした
来月は おじいちゃんいつ来るの?と
心待ちにしていた幼い頃の思い出
母も父も 弟も みんな今はなく
思い出だけの実家のみんな
時々夢に出てくるけど
みんな私より若い
そりゃそうだ
父は51才
母は53才
弟は44才
それで逝ったのだから・・・
今や彼らより年を重ねて
一番の年上になりました
これからも 宜しくね
そして楽しい思い出をありがとう
私は元気に生きてます
あなた達の分までも・・・
では また
勉強して 私と弟の洋服はみんな手作り
今思えば お料理も上手でした