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2012年度の年次大会のプログラム

2012-09-06 10:46:31 | Weblog
日本ポー学会第5回大会プログラム

日時 2012年9月15日(土)・16日(日)
会場 京都府立大学 下鴨キャンパス 大学会館 京都市左京区下鴨半木町1-5

9月15日(土)

13: 30~14: 40 役員会 (会議室)
14: 30 受付開始
14: 50 開会      
開会の辞       日本ポー学会会長 巽 孝之
会場校挨拶      京都府立大学英文学会会長 菅山謙正
総合司会       福島祥一郎(日本ポー学会事務局・東京電機大学)
―――――――
15: 00 ~16: 20 研究発表 1・2
司会 宇沢美子 (慶應義塾大学) 

◎「ポーの詩のロシア語への翻訳をめぐって――バリモントをはじめとする
ロシア詩人のテクスト分析への応用を試みる」
寒河江光徳 (創価大学准教授)

◎Hearts Laid Bare: Poe’s “Secret Autobiography,” According to Lou Reed
Taras Sak (安田女子大学准教授)

16: 20~16: 50  特別研究発表 
◎蔵書票に見られるE. A. Poe の人と作品
内田市五郎(共立女子短期大学名誉教授)

17: 30~20: 30 懇親会
会場 開晴亭 (京都市左京区下鴨前萩町5-8 電話 075-706-6966)
会費 6,000円(学生3,000円)

9月16日(日)
9: 30 受付開始
10: 00~11: 20 研究発表 3・4
司会 水野尚之(京都大学)

◎Poe and “Young America” 
Gong Yuezhu(京都大学・院)

◎ポーとジェイムズ――『黄金の盃』をめぐって
松井一馬 (上野学園大学・非) 

12: 30~12: 50 第6回総会

12: 50~15: 20 シンポジアム
◎ポーとモダニズム            
司会・講師 大串尚代(慶應義塾大学)
講師 池末陽子(近畿大学・非)
講師 後藤 篤(大阪大学・院)
講師 下條恵子(宮崎大学)

15: 40~16: 40 特別講演            
司会 巽孝之
◎ポーを魅了した謎のチェスプレーヤー           
服部 桂(朝日新聞社ジャーナリスト学校シニア研究員) 

16: 50 閉会の辞   副会長  伊藤詔子

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研究発表概要 
1. ポーの詩のロシア語への翻訳をめぐって――バリモントをはじめとする
ロシア詩人のテクスト分析への応用を試みる

寒河江 光徳

「大鴉」の詩には約20のロシア語翻訳が現存する。最初に翻訳を試みたの
はアンドレーフスキーであり (1878年の発表)、その他パリミン、オボランス
キー、コンドラチエフによって翻訳がなされ、1895年以降、メレシコフスキー、
バリモント、ブリューソフ等の象徴派詩人による翻訳がなされた。本発表では
ロシア文学におけるポー文学の受容の変遷を振り返るとともに、バリモントに
よる「大鴉」、そして、「構成の詩学」の翻訳を踏まえながら、バリモントの作品
におけるポー的要素について考察する。その上で、バリモント、ツヴェタエヴァ、
ナボコフの諸作品に見受けられるポー的要素の関係について考察する。


2. Hearts Laid Bare: Poe’s “Secret Autobiography,” According to Lou Reed
                                    
Taras Sak

In 2000, protean rock star Lou Reed (born Lewis Allan Reed) reinterpreted
the work and life of Edgar Allan Poe for Hamburg’s Thalia Theater, creating
a musical called “POEtry,” which was later performed at the Brooklyn
Academy of Music (2001) before being released in 2003 as an album entitled
The Raven. An ambitious―some say pretentious―melange of Poe’s writing
and biography transformed by and through Reed’s own work, life experiences
and streetwise sensibility, the result is an uneven but surprisingly strong
“collaboration” between the two Poet Laureates of the American Nightmare.
In this presentation, I will draw upon both Poe’s writing―including poems
such as “Dreams,” “Alone,” “The City in the Sea,” “Dream-Land,” and
“The Bells”―and Reed’s back catalogue, including _Transformer_ (1972),
_Berlin_ (1973), _The Bells_ (1979), and _The Blue Mask_ (1982), as well as
_The Raven_, in order to explore Poe’s pervasive influence on Reed and the
ways in which Reed has, in his own work, transformed Poe. The wager of this
study is that Reed, like Poe before him, is essentially a gothic artist,
producing what Leslie Fiedler called an art of “darkness and the grotesque
in a land of light and affirmation.”


3. Poe and “Young America”                       
                   Gong Yuezhu

This presentation aims to show Poe’s subtle relationship with “Young
America” by examining the three comparisons between Poe and the“Young
America.” Although “Young America” consistently had drawn upon American
democratic liberalism as a standard for judging literature, they added new
dimension to literature criticism at the same time. Poe’s subtle
relationship with “Young America” could be stimulating. Firstly, they
were in sharp disagreement on esthetic theory. “Young America” emphasized
the side of “Romanticism” which was interested in the common man and
reform. “Young America” found no such names as democracy, equality,
freedom in Poe’s poems. Samely, Poe found “Young America” ideas so
social in his realm of “the art of poetry.” Secondly, Poe sometimes was
found close to the group and benefited from their critical approval. When
Duyckinck, a leading member of “Young America,” was publishing Poe’s
books, and when “Young America” was approving his attacks on Longfellow,
they shared a good relationship. In most of the time, Poe criticized the
standard of the literary criticism of “Young America.” Thirdly, although
Poe disagreed with “Young America” on some important points in relation to
literary theory and criticism, they both strove to create a national
literature. When “Young America” had realized mass publishing was
detrimental to the formation of a national literature and finally converted
to support the campaign of an international copyright law, Poe and “Young
America” stood on the same line.


4. ポーとジェイムズ――『黄金の盃』をめぐって               
                 松井 一馬

 1876年のBaudelaire論において、Henry JamesはBaudelaireの欠点として
「Poeを真剣に捉えすぎている」ことをあげている。これまで、JamesのPoe観
はここに集約されている、と見なされてきた。しかし、であればなぜ、晩年の
_The Golden Bowl_ (1904)において、イタリア貴族Amerigoは自らを取り巻くアメ
リカ女性への印象にPoeの_The Narrative of Arthur Gordon Pym_ (1838)の終
幕に現れる “a great white curtain” を引き合いに出したのだろうか。そもそ
も幼少時代のJamesがしばしば暗誦した詩にはPoeの “Lenore” があった。
構想中の作品に “golden bowl”という名をつけた 時、連想がPoeへと向かっ
たことは想像に難くない。また、短編の中にはPoe作品を書き換えたとしか思
えないものもある。これはすなわち、少なくとも晩年のJamesの意識の中にPoe
が存在していたことを物語っているのだ。今日JamesはPoe(およびHawthorne)
のアメリカン・ゴシックの伝統を受け継ぐ作家と見なされる。しかしむしろ、長い
闘病の末逝った妹Aliceを悼み、病のためほとんど床を出ることのなかった彼女
をモデルとして作中に登場させるJames自身の姿が、「死にゆく妹への愛」とそ
の「早すぎる埋葬」を悔やむPoe作品の登場人物の姿と重なる瞬間がある。こ
の観点から後年のJames作品にPoeとの関連性を見出していくことは、アメリカ
ン・ゴシックの系譜に新たな視点を提供するだろう。


シンポジアム 全体趣旨・個別趣旨 
ポーとモダニズム
ポーが詩人・小説家・批評家・編集者として活躍したのは、1827年に第一詩集『タマレーン、その他の詩』を出版してから、死後出版となった「アナベル・リー」を世に出すまでの約20年間である。この時期は、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローやラルフ・ウォルド・エマソンに代表される国民文学が着実に形成されていった時代と重なっている。ポーのゴシック・ロマンス的な作品もまた、一見するところヨーロッパなどの異国を舞台にしながらも、ニューヨークや南部の異装として表象されている。仮にロマン主義をマイケル・ロウィーにならって「土地の精霊」を構築するものと定義するならば、19世紀前半のアメリカにおける国民文学の形成期に、ロマン主義的特徴が存在することは不思議ではないだろう。また、M・H・エイブラムズが指摘するように、「生命、愛、自由、あるいは想像的能動性」をロマン主義文学の特徴とするならば、叙情的といわれるポーの作品がロマン主義に分類されてもおかしくはない。一方で、ポーの作品がボードレールを初めとするフランス文学——とくにフランス象徴派——に大きな影響を与え、マラルメへと引き継がれたことは、いまさら繰り返すまでもないだろう。
 ではポー文学の継承はここで終わってしまっているのだろうか。たとえばクエンティン・アンダーソンは、エマソン、ヘンリー・ディヴィッド・ソロー、ハーマン・メルヴィルなどの19世紀のアメリカ作家たちが、孤立を経験し自己充足と自己の創造性への信頼を獲得していた点において、モダニズム作家たちとの類似性を指摘している。ヨーロッパ的伝統からの離反をひとつのモチーフとしたヨーロッパのモダニズム作家とアメリカのモダニズム作家を比較するアンダーソンは、アメリカン・モダニストたちの先達として、アメリカン・ルネサンスの作家を見ているところが興味深い。ここでアンダーソンはポーに関しての言及はおこなっていないが、それに対しアニタ・パタソンは著書『人種・アメリカ文学、および間大西洋的モダニズム』において、シャルル・ボードレールを経てポーを知ることになったT・S・エリオットにみるポー文学の継承について「コスモポリタン的な要素ではなく、局地性 (provincialism) があるがゆえに、ポー文学は普遍的な魅力をもつ」ことを論じ、ポーをモダニズムと接続させる。
 本シンポジアムは、このパタソンの論考をひとつの足がかりとして、ポーとモダニズムとの関係性を文学史的・文化史的に再考することを目的とする。それにより、ポー文学のみならず、19世紀と20世紀の文学的言説史を再定位する可能性を模索したい。                                               (文責 大串 尚代)

ゴシックという仮面――エドガー・アラン・ポーからモダニズムへ
池末 陽子
 エドガー・アラン・ポーは、「赤死病の仮面」を1842年に発表した。この作品では、発症後短時間で死に至る疫病の蔓延する「荒地」から逃れるため、領主プロスペローは臣下と共に、外界との接触を完全に遮断した城に立て篭もる。しかし、「赤き死」に仮装した不可解な人物の登場により、城の内側も「荒地」と化してしまう。 この作品はいわゆるゴシック短篇小説ではあるが、近代社会に対する絶望感や虚無感、確実性の喪失といったモダニズム的特徴の一端を予兆しているように思える。
 現在多くのモダニズム作家におけるポーの影響はもはや自明のこととして研究されているが、モダニズム詩人T・S・エリオットは当時ポーの自らへの影響を「特定できない」と語っていた。もっとも、彼はポーを「もっとも人工的なメロドラマによって真実の世界を創り出した」作家であるとも分析する。ではポーが創造した、特定不能な影響力をもつ、虚構で構成された「真実の世界」とは、どのようなものと捉えるべきなのだろうか。本発表では、本作品を中心に、ポーとモダニズムとの関連の新しい可能性を探ってみたい。

奇術師の「ダブル・トーク」――ポー、ロシア・モダニズム、ナボコフ
後藤 篤 
エドガー・アラン・ポーが残した文学的遺産は、アメリカのみならず、世界各国で受け継がれている。フランス語経由でポーを知ったロシアにおいて、英語原文からの翻訳による本格的な受容が開始されたのは、19世紀末のことであった。前期象徴主義を代表する詩人コンスタンチン・バリモントが、翻訳や批評、自作への取り込みによってポーの紹介に尽力したという文学史的事実が示唆するように、世紀転換期のいわゆる「銀の時代」におけるロシア・モダニズム文学の形成と発展の影には、ポーの姿が垣間見える。
自らがロシア文学の系譜に連なることに意識的でありながら、その一方でアメリカ文学の先達たるポーに関心を寄せるウラジーミル・ナボコフの特異な立場は、こうしたポーとロシア・モダニズムとの関係性を照らし出す重要な光源となるであろう。そこで本発表では、「ウィリアム・ウィルソン」を下敷きに持つ短編「ダブル・トーク」(後に「団欒図、1945年」に改題)を議論の糸口に取りながら、ナボコフが『ロリータ』をはじめとする諸作品で試みたポーへの間テクスト的な対話が持つ意義を明らかにするとともに、ロシア文学史的観点から両者の結び付きを捉え直してみたい。

世界の真下で――ポーとボウルズのトラベル・ナラティヴ
大串 尚代
かつてゴア・ヴィダルは、ポール・ボウルズは「アメリカ的経験」を書かないがゆえに、アメリカ文学史において孤立した存在だと述べた。故国であるアメリカを離れ、モロッコはタンジールで創作活動を行なったボウルズは、アメリカ文学史において長らく忘れられた作家であった。その一方で、ボウルズは短篇集『優雅な獲物』を「ポーを読み聞かせてくれた母に」捧げているとおり、エドガー・アラン・ポーからの影響を自ら認めている。アメリカ文学の主流から外れているとされるボウルズが、ポーというアメリカン・ルネサンス作家と共鳴しているとするならば、「遅れてきたモダニズム作家」と呼ぶべきボウルズにおける、ポー的文学伝統の継承はどこに求めることができるのだろうか。ポーとボウルズの比較研究を行なったウェイン・パウンズは、両者に共通する自己の分裂と探求の物語を、それぞれの旅行譚の中にみとめている。パウンズの先行研究を足がかりとして、本発表ではボウルズの『世界の真上で』と、ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』における移動をめぐる越境性と局地性を考察したい。

ポーとオースター
下條 恵子
 『シティ・オヴ・グラス』のクィンは「ウィリアム・ウィルソン」の名で探偵小説を執筆し、『ティンブクトゥ』のホームレス詩人ウィリーはボルティモアに現存するポーの家を訪れ、そこを “Poe-land” と呼んで自らの故郷ポーランドに重ね合わせた上で死を迎える。このように、ポール・オースターがポーの後継者を自認しているであろうことは、十分に明らかであり、彼の作品に見られるポーの影響は、ロマン主義文学の系譜の中で、あるいは探偵小説ジャンルの中で、すでに議論されてきた。しかし、彼のポーへの文学的応答は、このような作品内での言及を越えて、作家活動そのものに及ぶ。詩人でもあるオースターが、アンドレ・ブルトンを始め多くのフランス詩を英訳することで詩人としての作法を学んだ過程は、ボードレールやサン・ジョン・ペルスを通してポーを学んだT・S・エリオットと共鳴し、オースターが編纂し、エリオット訳のサン・ジョン・ペルスを収録したランダムハウス版『20世紀フランス詩集』として結実している。そしてそこにはポストモダン作家といわれるオースターがモダニズム文学を通してポーの影響を受けた可能性が見てとれるのである。今回の発表では、その可能性について検討することにより、新たなポーとオースターの関係性を見出したいと考えている。


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