『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

ぬすまれた宝物

2016-02-14 17:08:31 | 児童:アメリカ
『ぬすまれた宝物』 ウィリアム・スタイグ作・絵 金子メロン訳

      すみません!!!!児童書ナメてました!!!

この本のテーマはずばり冤罪。これねー、大人が読んだほうがいいです。ストーリーはシンプルだけれど、ドラマチックで考えさせられます。絵本でも有名なスタイグの短めの児童文学。低学年中学年向きの児童書って大人が読むと退屈なものが多い中、これはヒット!

・・・と、本題に入る前に、訳者の金子メロンさんって何者~???メロンが気になってしょーがない私です



あらすじ・ネタバレ含む】

誠実で村人からの人望(動物望?)も厚いガーウェイン。本当はりっぱな建築家になるのが夢だけれど、王室の新しい宝物殿の見張り役主任の仕事に誇りを持ってるガチョウ。この仕事を引き受けたのは、ひとえにクマのバジル王が大好きだったから。
ところが、ある日、宝物殿から次々と宝物が盗まれる。この宝物殿の鍵を持てるのは王とガーウェインだけだったため、ガーウェインが犯人なのではと疑いの目がかけられてしまう。最初はそんなはずはない!とガーウェインを信じていた村人たちも、事実を前に犯人はガーウェインしかありえないと思うように。絶望したガーウェインは逃げ出すが、その後不思議なことに宝物は元に戻る。罪悪感をおぼえた真犯人がガーウェインの無実を証明するために戻したのだ。真犯人はガーウェインを探しに行き、真実を告白する。そして、ガーウェインは皆の元へと戻るが真犯人のことは二人の秘密。


人(動物だけど)がいかに簡単に人の意見に流れていくのか、集団心理をとても分かりやすく描いています。冤罪を描いているけれど、説教くさくなくて、純粋に読み物として面白い!しかも、押しつけがましくなく(←ココ重要)考えさせられる!ガーウェインのバジル王を慕う気持ちがねえ、なんだかけなげで泣けてくる。荒々しい王さまなんです、でも大好きなんです。しかし、真犯人であるネズミのデレックは結局最後まで自分が犯人だと公表することはなく、それでいいのか、ガーウェイン!?そんなに物分かりが良すぎていいの~???とツッコミを入れたい気持ちも多少残ったのでありました

そこへ、司書勉強仲間のWさんからこんなメールが来たのです。

「犯人のネズミが、何ら社会的な?罪の償いをしないところがちょっと気になりました。
いくら心で悔い改め、相手から赦しをもらっても、
やっぱり何らかの社会的償いは必要だし、子どもたちにもそれは伝えないといけないと思うんだけど、どうかなぁ。」


それで気づいたのです!!!いや、この物語もっと深いかも!!
最初読んだとき、誰が真犯人かあてたかったのに、スタイグは第2章であっさりと真犯人をあかしてしまうのです。なんだ~、もうちょっと推理したかったなのにな~、という気持ちが残ったのだけれど、そこでまずひとつ!
スタイグはあえてあっさりと真犯人をあかしたのだ、と。だって、彼が焦点を当てたいのは「犯人探し」、じゃない。
「事実」じゃなくて「本質」「真実」は何かってことなのだ!!!

読んでいて、ああ、子どもがモノを盗ってしまうときの心理ってこんな感じなんだろうなあ。子どもたちは思わず盗んでしまったデレックに共感を覚えると思う。

 ~デレックはこれはもっていくのであって、ぬすむのではないと思っていました。だって、自分が悪ものになるなんて、夢にも思わなかったからです。デレックにいわせれば、悪ものというのは、なにかというとすぐにだれかを傷つけたりする危険なごろつきで、牢屋に入っているようなやつのことなのです。そして、悪いことをしているのはわかってはいましたが、自分はごろつきではないし、危険なやつでもなく、ものごしがやわらかくて新設な、ただのネズミのデレックなんだと思っていたのです~

うんうん。でも、悪いことは悪いこと。

・・・じゃあ、一体何が悪いって誰が決めたことなんでしょう?
社会的制裁って本当にいつも正しいのでしょうか?誰から見て正しい?何のため?当事者双方が納得してるのに制裁の必要があるとすれば、それはその他の周りの人が納得するためでは?冤罪を作り出した人たちの・・・。

凡人から見て正しいことと、神さまから見た正しいことって異なるんじゃないかな、と。
Wさんがクリスチャンだからクリスチャンでない私もキリスト教的に考えてみましたが、イエスは弟子はなぜ、正しい律法学者ではなく、世間から嫌われている取税人を弟子に選んだのでしょう?ここにヒントがあるような気がします。

そこで、私の中で彼が思い出されたわけですよ、彼です、彼!
ジャンバルジャーーーーーーン
はい、レ・ミゼです。生きるためにパンを盗んだのです。ジャベールは社会の中では正しい。では、彼を見逃した神父さまは間違ってるのか?「正義」という名のもとに、心を入れ替えたジャンバルジャンを追い詰める権利がジャベールには果たしてあったのか。

ネズミのデレックとジャンバルジャンでは盗みの動機が全然違うわいっ。ってそりゃそうなんですけど、天から見てどうか、って思うとき共通点がある気がします。そして、デレックの告白を聞いたとき、ガーウェインはデレックよりも彼を疑ったあてにならない友だちや王さまのほうを許せない気持ちになるのです。人間の作った法律ではなく、天の目から見たらどううつるでしょう?

そして、みんなに告白するつもりだというデレックにガーウェインは「きみはもう、罰を受けちゃったんだよ」「きみは、だれよりも苦しんだんだもの」というのです。もうね、素晴らしすぎて感動しました!さらに、みんなには不思議に思わせておいて誰が真犯人だか絶対に教えないことにしようというのです。「みんなには、ひとを信じる心が欠けているんだから、それでとうぜんさ」と。

「人を信じる心が欠けてる」ことは法律上は何の罪にも問われない。
けど、本当に人を傷つけるのはどちら?

スタイグは事実ではなく、本質を問うていたのだなあ、と。

自分の子には人を裁く「正しい子」ではなく人を信じる「優しい子」になってほしいと思ってる人は多いハズ。なのに、気づくと「この話道徳的にどうよ?」とか思っちゃってる自分もいる。本当の道徳は人を傷つけないことを教えることなのにね

泥棒が肯定されてしまっているから、人気絵本『すてきな三にんぐみ』を否定しているママも見かけます。けど、それ言い出すと「正しい」子どもの本ばかりがあふれ、息苦しくなってくるような気がします。ピッピだって、女の子が一人暮らししているという設定から当初はかなり批判を受けたとか。
だけど、見よ、子どもたちからの支持率!

ガーウェインを疑う村人や王さまひどい、なんて思ってた私。実は、真犯人が明かされるまで総理大臣の猫をあやしいと思ってました。ガーウェインを犯人に仕立てるし、目つき悪くていかにも野望高い感じだし(笑)。冤罪を作り上げた人々をひどいと思う一方で、また私も冤罪を作り出そうとしてたことにやっと気づきました。猫がずるがしこそうというだけで!
私も当初何らかの罰を受けたほうがいいのでは?と思ってたけれど、それは「私が」罰を受けさせたい、許したくなかったんだなあ。

いやあ、児童書あなどれません。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿