『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

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こんな形の愛はあり?なし?

2017-07-19 14:51:05 | イギリス文学


『夏至祭の女王』(1994年)ウィリアム・メイン作 森丘道訳 偕成社 ラズロ・アクス絵
MAX’S DREA,1977


物語の舞台は、19世紀も終わりに近いヴィクトリア朝後期のイギリスの荒野の中の小さな村。ムーア、ヒース、ハリエニシダにヘザー。『嵐が丘』好きとしては、これらの言葉を聞くだけでもうたまりません。最初の数ページで、もう、ぐぐっとこの物語に惹かれてしまう。


≪『夏至祭の女王』あらすじ≫
階級制度がまだ厳しかった時代。村の子どもたちは夏至祭の王に、下半身不随のみなしごマックスを選ぶ。ところが、マックスが相手の女王役に選んだのは、夢の中で出会った少女だった。マックスのお世話係の村娘ケイティーは、ひそかに愛するマックスのために、夢のあとを辿ることに。そして、ついに夢の中の少女ヘレンを探しあてる。身分違いの古風な愛の物語。



以下ネタばれも含みますので、知りたくない方はここまでで


物語は、村娘ケイティーの一人称語りで始まります。老人になったケイティーが、自分が12歳か13歳くらいだったころの回想録。教育を受けてこなかった身分の出であることが、その秩序立って話せない語り口からも分かります。

一方のマックスは、今や出自もワカラナイものの、その話し方で上流階級の出だと分かる。だから、村人はみなマックスに一目置き、ヴィアリイの奥さんもどこの誰とも分からないマックスの世話をずっと買って出てるんですね。でも、そこに‟不平等だ!”といった感じはなく、みな自分の身分をわきまえて、それぞれの場所で生きている感じ。

ケイティーはマックスの夢の描写が、バーマウス行きのフェリーが出てる場所にそっくりということに気付き、本当の場所の話をしていると確信します。それを辿っていくところは、何とも言えないドキドキ。

そして、恋から愛へ変わる思い。マックスのお妃さまを見つけてしまったケイティーは何とも複雑な思いに苦しむのですが、やがて、そのお妃さまヘレンのこともマックスと同じように愛せる自分を発見するのです

児童書評サイトの中で、ある方がこの物語の感想をこんな風に述べています↓
読後、この〈愛〉がなぜかストンと胸に落ちない。苛立たしさと気持ち悪さを感じてしまう。その愛とは、マックスを愛するのと同じようにヘレンをも愛させるような、残りの人生を二人に捧げ尽くしてしまうような、献身的で偉大で崇高な愛である。作者がかつての時代こんな風に人を愛し生きた女性がいたんだと伝えたかった気持ちは解る。が、九四年翻訳出版されている。今、何故この愛なのか? 現代を生きる若い人たちは、この物語をどんなふうに読むのでしょう?(全文はコチラをクリック

確かに現代っ子たちがどう読むかは興味ありますが、私はこの方とは反対にこの〈愛〉がストンと胸に落ちました。相手のことが好きすぎて、相手が好きなもの(恋人)含めた全てを好きになってしまう。崇拝してしまう。それは、自分と結ばれるかどうかとかは関係がなくて・・・。この形で、ケイティーは幸せだったのです。相手の幸せのお役に立てたのですから。

何もすべてが今の時代と合わなくてもよいのでは?こういう時代もあった、そして、どんな環境の中でも、自分なりのベストを見出していった、それでいいのではないでしょうか。個人的には、こういう物語大好きで、地味だけれど堅実に生きたケイティーに幸あれ!と、静かな感動がありました

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