あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

菊池さんの事

2009-04-18 23:46:33 | 介護
昔っても、ばぁちゃんが入院してた時なので、たかだか10数年くらい前の事なのだが
折にふれて思い出すのが菊池さん…たぶんそんな苗字だったと思うのだが
ばぁちゃんの入院していた病棟の看護助手として
配膳を手伝ったり、オムツの交換だとか食事介助などしていた。

看護助手とは  ポチっと!

その菊池さんは当時50代も後半か
まぁ 60代にはなってなかったのではないかと思うのだが
小太りといった体格で、物言いもガラガラとした感じだったから
入院したての付き添いをしていた私には、ちょっと苦手な存在ではあった。


今年もたくさんの梨の花が咲いた♪


それも日にちが過ぎれば、なんとなくの人となりが見えてくるもので
一か月を過ぎる頃には、難なく話せたり相談なんかも出来るようになっていた。

その頃 ばぁちゃんと言えば、意識がなかった時期を過ぎて
鼻から管を通しての流動食を取れるようになっていたのだが
自分から飲み込んだりが出来なくて、たぶん退院には管を通したままになるであろうと
鼻からの管の通し方や流動食について覚えてもらわなくっちゃと看護師さんに言われていた。

しかも口の中は水分が入らないと、唾液かなんかが固まって
茶色いものが上あごにびっしりとくっ付いたり、舌苔がついたりする。
その都度爪楊枝のようなもので丁寧に剥がしてみたり、イソジンで口の消毒をしたり…。
そんな事を菊池さんとおしゃべりついでに話すともなく相談をしたら
看護師さんに聞いて、何か食べさせてみれば良いのに…って。

食べる事は脳の刺激にもなるし、唾液が出るので口の中の状態も良くなるはずだと。


我が家に咲いたシャクナゲの花。


そんな事が出来るのか?半信半疑ながら看護師さんに聞いてみれば
鼻に管を通していても食べるのには支障はないので
飲み込みやすいものなら食べさせても良い…って承諾をもらった。

最初はプリンから…でも食べ物とは認識できないようで
しばらく口の中で弄んでいたが、何回かやってるうちに甘味を感じることが出来たのだろうか。
少しずつ…そうスプーンに半分くらいから徐々に増やせる事が出来た。

こういう病院は3か月が目途のようで、2か月も少し過ぎたあたりから
ケースワーカーさんと退院後の事などの面談があったり
肩たたき?そんな治療段階はそろそろ終わりますよ~って声がかかり始める。
その頃には一度にプリンだとかゼリーだとか飲み込みのいいものを
一個ペロリと食べられるようになっていたので
看護師さんに食事を出して欲しいと申し込んだ。


ムスカリの青さが好き!

試しにって事で、最初は重湯やドロドロした食事だったが
一回二回と失敗しては、プリンなどに逆戻りしたり…再度挑戦をして
退院を勧告される頃には、ちゃんと食事も刻み食だが食べられるようになった。

私がいない間も食材を準備しておくと、折を見て菊池さんが食べさせてくれてたり
看護師さん曰く、食事が出来るようになっての退院とは思わなかった…と。
日々の努力の結果ですね。と褒められたが、これも菊池さんが背中を押してくれたからであり
一時期拒食症に陥ったりとかのアクシデントはあったものの
今現在もシッカリ食事だけは取れている。

そのおかげか、未だに床ずれもなく元気でいられるのは
口から食べ物を食べられてるからですよ。って主治医。

そんな菊池さんは、今 お元気でおられたら年のころ70代だろうか…。
街角ですれ違っても分からないだろうけど
今も脳裏にあるのは小太りな体に白いエプロンをつけて
何か大きな声でしゃべってる…そんな姿だった。


という事で、以前自宅近くで見つけたショウビタキをUP♪




コメント (24)
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