昨年同様8月14、15日は60年以上の月日を経て今も残る戦跡をご紹介します。昨年は掛川市(旧大東町)の陸軍遠州射場跡をご紹介しましたが、今回は海軍の飛行場です。
今年6月4日、牧之原台地の上に静岡空港が開港しました。華やかな式典の後一番機が福岡に向けて飛びたったのですが、この牧之原台地から飛行機が飛び立つのはこれがはじめてではありませんでした。
今から69年前の1940(昭和15)年、今の牧之原市と菊川市にまたがる牧之原台地300町歩に海軍の飛行場が作られることになりました。当時この付近には小学校や民家そして広大な茶園がありましたが、すべて立ち退くことになりました。結果、命令とはいえ多くの農家が貴重な茶畑を手放すことになったのです。
(1946年に米軍が撮影した航空写真。すでに滑走路や設備は爆破解体されていますが写真からはその大きさがわかります。>>>こちら )
その後、海軍の飛行場建設は住民も協力して進められ、1942(昭和17)年に完成。
最大5人乗りの機上作業練習機「白菊」が配備され、最大で3000名の隊員が主に偵察や機上作業の訓練を行っていました。
(写真は当時作られたと思われる航空隊敷地内のレンガ塀)
一番上の写真、隊門の記念碑がある付近。少し先に「空港」の標識が見えます。静岡空港までは5km位でしょうか。
今年6月4日、牧之原台地の上に静岡空港が開港しました。華やかな式典の後一番機が福岡に向けて飛びたったのですが、この牧之原台地から飛行機が飛び立つのはこれがはじめてではありませんでした。
今から69年前の1940(昭和15)年、今の牧之原市と菊川市にまたがる牧之原台地300町歩に海軍の飛行場が作られることになりました。当時この付近には小学校や民家そして広大な茶園がありましたが、すべて立ち退くことになりました。結果、命令とはいえ多くの農家が貴重な茶畑を手放すことになったのです。
(1946年に米軍が撮影した航空写真。すでに滑走路や設備は爆破解体されていますが写真からはその大きさがわかります。>>>こちら )
その後、海軍の飛行場建設は住民も協力して進められ、1942(昭和17)年に完成。
最大5人乗りの機上作業練習機「白菊」が配備され、最大で3000名の隊員が主に偵察や機上作業の訓練を行っていました。
(写真は当時作られたと思われる航空隊敷地内のレンガ塀)
一番上の写真、隊門の記念碑がある付近。少し先に「空港」の標識が見えます。静岡空港までは5km位でしょうか。