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冷戦時代の遺物である核シェルターで暮らす中国の人々、100万人

2018年08月19日 21時26分04秒 | 日記

 

ナショナル・ジオグラフィックスが報道していた:::::: 冷戦時代の遺物である核シェルターが主として学生や低所得者で今も使われているいう話であるが、日本にはそんな大規模な核シェルターは存在しない。複雑な心境になる。

 冷戦中の1960年代後半から70年代、中国では、核兵器が使用された場合に放射性降下物が生じ、街が荒廃してしまう事態が危惧されていた。毛沢東主席は中国国内の都市に、核爆弾の爆発に耐えられるシェルター付きアパートを建てるよう指示。程なくして、北京だけでおよそ1万カ所の地下シェルターが建設された。

 その後、中国が広い世界に扉を開いた80年代初め、中国国防部は、これを機に民間の家主にシェルターを貸し出すことにした。放射性物質から逃れる隠れ家として作られた空間を小さな住居に作り替え、利益を得たいという家主が多かったのだ。

 そして今、夜になると、100万を超す人たちが、北京の慌ただしい通りから地下の世界へと消えていく。大半が移民の労働者か、地方から出てきた学生たちだ。地上の世界にいると、その暮らしぶりを知ることはほとんどない。

 こうした状況に興味を抱いたイタリア人写真家のアントニオ・ファシロンゴ氏は、2015年12月、地下の暮らしを記録しようと北京にやって来た。地下シェルターは街のほぼ全域にあり、見つけるのは難しくなかったが、中に入るには大きな障壁があることが分かった。

ファシロンゴ氏がどこを訪ねても、このような核シェルターに外国人が入ることは法律で禁じられているという理由で警備員に追い返された。落胆したファシロンゴ氏は地元の役所に正式な申請書を提出したが、断られた。氏はついに、警備員が昼食で離れたすきに忍び込んだ。

核シェルターで暮らす中国の人々、冷戦時代の遺物に100万人 
中国、北京の魏公村地区。こうした建物の地下に核シェルターがある。(PHOTOGRAPH BY ANTONIO FACCILONGO)

 しかし、ファシロンゴ氏が中に入れるようになってからも、多くの住人は写真に撮られることを警戒し、中には困惑する人もいた。

「150人ほどに会いましたが、撮影に応じてくれたのは50人だけでした」とファシロンゴ氏は話す。「中には不安がっている人もいました。いい仕事に就いて、いいアパートに住んでいると、田舎の家族に伝えていたからです」

 実際、地下シェルターでの生活環境は厳しい。戦時や放射性物質の降下に備えて数カ月暮らせるよう作られただけあり、電気、配管、下水設備はあるが、適切な換気装置がないため、空気がよどみ、かび臭い。共同で使う台所やトイレは往々にして狭苦しく、不衛生だ。

 地元の法律は、最低限の居住スペースを借家人1人あたり4平方メートルと定めているが、無視されていることが多い。ファシロンゴ氏が撮った人たちの中に、4歳のジンジンちゃんがいる。祖母、父、弟と暮らす部屋は、ベッド1台が入るだけの狭さだ。この家の隣にはもっと広い空間があるが、オートバイの駐車場として使われている。「これまで訪れた中でも、最も貧しい場所の1つです」とファシロンゴ氏は話す。

 中国政府は2010年、家主がこうした状態を放置していることや、安全上の欠陥があることを問題視し、核シェルターやその他の格納スペースを住宅に利用することを禁じた。しかし、シェルターの一掃は難しく、今のところ成果は上がっていない。大きな理由は、地下シェルターの住人たちには、他に行き場がないことだ。

 この数十年で、北京の住宅価格は高騰している。住宅用不動産の価格は2017年の時点で1平方メートルあたり平均5820ドル(65万円弱)と、世界で3番目に高い都市になっているのだ。

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