JDIがなぜ行き詰まったのか。理由はたくさんあるだろうが、大きく分けて2つある。根本にあるのは、液晶がハイテクからローテクに変わった、という認識を持たなかったためだ。筆者は、シャープが危なくなった2015年にもこのことを指摘している(参考資料1)が、もっと早く警鐘を鳴らせばよかったと後悔している。もう一つは、日本の大企業同士の事業統合でうまくいった事例が一つもないからだ。これもはっきりとした理由がある。

 液晶産業は今や、台湾、韓国から中国へと移転した。韓国においてさえもう利益を生む産業ではなくなっている。液晶ディスプレイは、基本的に1画素を設計できたら、あとはそれを何十万、何百万個ひたすら並べるだけの、いわゆる「ラバースタンピングインダストリ(ゴム印産業)」にすぎない。技術バリアはそれほど高くないため、中国でも早期に量産できるようになった。

 現在は中国の最大手のBOEが7400億円もの設備投資を行い、一人勝ちを目指しつつある。台湾の大手液晶メーカーでは、1990年代から液晶ディスプレイを出荷してきた中華映管が2018年末に民事再生の手続きをとった。

 1990年代までは液晶はハイテクだった。大型化するための各画素の均一化が難しく、量産でのノウハウを蓄えるための期間が必要だった。このため、大面積で均一につくることに集中し、それを製造装置につくり込んだ。このため製造装置を買ってくれば、製造できるようになった。ここが半導体製造とは違うところであり、半導体のランダムロジックやアナログ回路パターンはチップ内ではディスプレイのように単純ではなく、大都市の地図のように入り組んでおり極めて複雑である。つまり高集積半導体の製造は、いまだにハイテクだ。

●危機感もマーケティング能力もない

 もう一つ、大企業連合はなぜうまくいかないか。大企業幹部も従業員も、財務部門以外の人たちはのんきで、会社が潰れることをまったく想像できない危機感ゼロの人たちが多い。例えば、1999年にNECと日立製作所のDRAM部門が合併してできた、エルピーダメモリでは、合併直後から減収減益、ゼロ投資であったため、業績は毎年200億円の赤字を3年続け、年ごとにじり貧になっていった。2000年のITバブルがはじけた後でも海外のDRAMメーカーは着実に成長していた。

 エルピーダはもはや潰れる寸前、という2003年に、社長に招聘された坂本幸雄氏は、1年目に150億円の黒字に転換させた。坂本氏が経営陣を見て最初に驚いたことは、赤字が続き会社が潰れる寸前だというのに、役員はゴルフの話ばかりしており、出張するときはファーストクラス、会社をどうするというアイデアをまったく出してこなかったことだ。

 結局、坂本氏は多くの役員に元の会社へ帰ってもらったが、そのうちの一人は、「坂本氏は血も涙もない奴だ」と述べていた。会社が潰れる寸前にゴルフの話しかしない役員のほうがよほど罪つくりである。会社が潰れると多くの従業員が路頭に迷うことになるからだ。

 一般に大企業は、中小企業よりも待遇が良い。出張する場合でも出張手当、宿泊手当などが支給され、グリーン車やファーストクラス、ビジネスクラスが使えかなり恵まれていた。これに対して、中小企業や外資系企業は出張手当なしで、すべて実費精算、飛行機はエコノミークラス、というところが多い。米大手通信ネットワーク機器メーカーのシスコシステムズ社のCEOであったジョン・チェンバース氏は、日米を安売りのエコノミーチケットで往復していた。この話を聞いた東芝OBのある方は、こんなケチな会社には誰も行かない、と筆者に述べた。

 また、大手メーカーはマーケティング能力も乏しかった。JDIはiPhoneの液晶に使われたため、一時大いに潤っていたが、これもたまたまJDIが受注しただけにすぎない。JDIが液晶パネルをアップルに供給する前は、アップルはサムスンから調達していた。しかし、両者がスマートフォン開発を競い、しかも知的財産権をめぐり法的な争いになったときに、アップルはサムスン以外の液晶メーカーから液晶を調達する方針に変えた。そこにJDIがいた。自ら積極的な売り込みをアップルにしたわけではない。JDIがアップル以外のスマホメーカーとの取引をほとんど獲得できなかったことが、それを物語っている。

●液晶エンジニアは、力を発揮できる企業へ転職すべき

 また、大企業は素早く変化に対応できないことも、ITビジネスには向かない理由として挙げられる。iPhoneがX以降に液晶から有機ELに変えたときに、JDIは対応できなかったことがその証である。スマホビジネスでは、素早く動けなければ絶対に勝てない。日本の大企業同士が共同で立ち上げる事業がうまくいかないのは、トレンドや顧客への対応が遅すぎるからだ。会社の組織では、承認をもらうハンコの数の多いことはいうまでもない。

 液晶市場で生き残るためには、むしろ会社の規模をもっと小さくすることで、クルマのダッシュボードや工場、プラント、電力会社などの産業用途を狙うほうが着実で、緩慢な体質でもやっていけるのではないか。

 ITではTime-to-Market(製品化までの時間)、Agility(俊敏性)、Flexibility(柔軟性)、Expandability(拡張性)、Resilience(すぐに回復できる能力)などの言葉がよく使われる。とにかく素早く対応できる体質が最優先だが、日本の大企業同士の連合では、動きの早いIT産業でビジネスするのは無理だと思う。スマホのような動きの早い分野に、大企業同士を無理にくっつけて液晶部門を延命させた経済産業省が、IT産業のこの特質を知らないはずはない。経産省の責任も大きい。

 このように書いていくと、「後出しジャンケンだ」という声が出るかもしれない。しかし、ローテクになった液晶にしがみつくのではなく、テレビやAV機器と同様、捨てることも重要であろう。今回の台中連合への譲渡に近い出資受け入れに対して、日本は液晶を捨てたという見方もある。液晶エンジニアは、液晶開発を続けたいのであれば、開発を続けられる中国企業などへ移ればよい。あるいは液晶ディスプレイで培った技術を持って、新たにフレキシブルエレクトロニクスや、ウェアラブルエレクトロニクスに向かう手もある。要は、自分の力を発揮できなくなるなら、できる企業へ転職すればよい。責任をとらない役所に頼ってはいけない。(文=津田建二/国際技術ジャーナリスト)