人のふんどし繋げる旅🎗
気まぐれでつれない現実に、夢で心が肥大した我が身を投じ、向き合い、セッションして、未来を変える方法
自分を育て培った、“時間を超え脈々と続く尊い愛の夢”(それは、自分を護った文化、人の遺志)を護り続け、温め続け💎、その愛を未来に繋げる方法…
イマジネーションを続け、夢を見続けること…
彼と彼女は、恋人以上に、“同志”。。。🌟🌟👞👡
先月、実家に、グアム旅行のお土産を送るとともに、お手紙も書いたのだけど、太平洋戦争が終戦を迎えたあとも、ずっとグアムの密林の中に隠れて生活してた、横井さんの話や、その関連でフィリピンのルバング島の小野田さんの話も書きました。。。(旅行から帰って来て色々調べたので...)
母は、あの時の戦争の話のことを娘の私が関心を持って話すことを喜んでくれます...
幼少期に、母は、都会からの疎開先である静岡県の伊豆で、食料の節制、いたわり合い(当時6歳の子供であっても、親が悲しむ顔を見たくないので、4姉妹で話し合ってごはんの配当を決めたり、お腹がすいても顔に出さず我慢をしたようです。)という形で戦争を体験しました。
同じく伊豆出身の父は、空襲も経験した、と聞きます。当時7歳だったのだけど、空襲警報が解除された後「〇〇が居ない!!」(父は10人くらい兄弟が居るので、それこそ点呼が必要。。。)と父のことを家族が探しまわると、父は居間で大の字で寝ていた、という武勇伝を以前聞いたことがあります。。。(その父に、私よく似ていると言われてるのですが。。。)
話がそれてしまいましたが、起こった事実を忘れない、関心を持ち続ける、ということが必要なんでしょうね...(そして、先に繋げる.....)
私は父と母が大好きなので、母と父が喜んでくれることをただただしたいです...。
元々、ダンナさんのことを大好きで、馬も合うしたくさんお世話になり感謝していてたくさん喜ぶこともしてあげたい、良きパートナーだと思ってるけど、お互い我が強いので、(そして、私が至らないので...)時々、喧嘩をすることもあります。 でも、母や父の悲しむ顔を見たくない、と思ったら、冷静になれますよね。