鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

食糧難だった正月の鉄チャン

2006-01-03 02:54:26 | 現役蒸気機関車
 昭和40年代後半~昭和50年代前半には、まだ田舎にコンビニもなく、
また、年末年始に開けている商店、食堂も少なく食事には苦労したものです。
定番の菓子パンも、12月26日あたりが最終製造日で、三が日過ぎまで、
やっと開いている商店に行っても、売れ残りの1週間も経った豆パンなんぞしかなく、
それを我慢して齧るしかなかった。


                 《1974年の正月、定期貨物も荷がなく単機。都城駅にて》

                          《淋しく発車していく単機》

 そんな経験を何度かするうちに、固形燃料+鍋+ラーメン持参という手法が編み出された。
新宿のカメラ屋でフィルムや機材を仕入れた後、秋葉原の登山道具屋で、固形燃料を買う。
丸い、未使用のガムテープくらいの大きさの缶に固形アルコール燃料が入ったもので、
(料理屋の小さな鍋料理で、下から燃やすアレですな)
中々の火力だった。

 昭和48~49年頃には、鉄チャンの集まる駅では大体調理風景が見られたものだ。
調理が終わった後、火を消す為フタをかぶせるのだが、あわててかぶせると、
熱膨張で、「パーーーン」と、もの凄い音とともに、フタが数メートル飛んだ。
その音を聞くと、「ああ、やってるな」と笑いが込み上げて来たものだった。

     《しょうがない、C55でも撮るか。だけど、背景の建物、今見ると古風でいい味だなあ》

                  《おっ、C55がブルートレイン牽いてるよ。いいねえ》

 色々な銘柄のラーメンを食べたが、一番のお気に入りは都城の地元製品で、
「クロレラうどん」というものだった。
これは半生麺と共に別添で揚げ玉が付いていた優れもので、汁も抜群に美味かった。
これを青井岳や、楠ヶ丘の山中で、湧き水でつくって食べた時は、幸福感に満たされた(笑)
何しろ食後にやってくるのはC57ですしね。

 他には緊急避難として、桜田淳子がCMをしていたグリコのコメッコをよく食べた。
まあ、米だから、いくらか一般食に近いかなと思ったまでの事だが。
登山屋で、フリーズドライ食品も買って試したが、当時のものは容量が少ない上に美味くなかった。

 その頃、駅の立ち食いそばは、カケが60円くらいだったが、宮崎駅ではカケでもカマボコやトロロ昆布が載っており、
お得な感じがした。

               《臨客が走るのは正月のウレシイところ。田野~日向沓掛》

                   《田野駅に戻ると人気スターC5765が!貨物もついてる》

                    《青井岳で待ち受けたけど、風が強くて失敗》

                      《交換の貨物も単機だよ》

                      《にちりんが通過すると、間もなく発車》

                        《ショボい白煙だが、オマケの一枚》


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