Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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「臨床神経学と共に生きる-或る神経内科医の軌跡-」を読んで

2019年06月18日 | 医学と医療
廣瀬源二郎先生(浅ノ川病院顧問,金沢医科大名誉教授)から,先生の自叙伝を頂戴しました.郷里静岡での空襲の話,大学時代に患った結核の話,空軍病院や米国大学での修行時代,金沢医科大学教授時代から現在の生活までを綴った素晴らしいものでした.とくに感銘を受けたのは医学教育者としての以下の言葉でした.言葉や本には,時として出会うべきタイミングに出会うものがあるのですが,まさに今回はそれであるように思いました.しっかりと胸に留め,教育に励みたいと思いました.

「私の教育論は極めて単純であり,未来を託すべきかけがえのない若い男女医学生に少しでも優れた教育をし,1人でも良いから私を超えた存在になって欲しいという希望を持って教えていることである.昨今教育は教える(teaching)ことではなく,学ぶ(learning)ことであると言われているが,そんな言葉の裏腹の関係で解決するようなものではない.誰かに惹きつけられて豊かになり,いつの間にか輝くようになる学生諸君をみたくて努力するところに教育の真心があるように思われる.」

「昨今大学での教育手法として,教育(teaching)と学習(learning)の比重を逆転させ,学生の自発的学習を主にして,教育による教員による教育を従にする流れがあるように思われる.どちらが良いかという問題ではなく,両者がともに必要であることに異論は無いはずである.ただ研究時間を増やし業績を上げるために学生の自発的学習時間を増やすとするなら,それは明らかに誤りである.」

「教育とは,何にもまして,人を惹きつける魅力の体験であり,何かを教えるだけでなく,この社会には学生を惹きつけたり,惹きつけられる何かがあることを,学生が自然に理解するのが真の教育だと思う.医学教育においてしかり,教官に魅力を感じ,医学のどこかに興味を持ってくれればしめたものである.」

「学生を教育して,ぜひ自分を超えるような教官,医師に育ってほしいと願い,それなりの準備をして如何に教えようか日々考えながら暮らせるのは,実に教師生活冥利に尽きる.教師にとって教えるために費やされた時間は決して無駄になるものではない.」




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