3月10日付のコメントで,tarashiさんから,エダラボン(商品名ラジカット)をALSに対して使用できるよう保険適応を変えようという署名活動がネット上で行われていることを教えていただいた.署名活動をなさっている方々の気持ちは痛いほど分かるものの,「おぼれるものは藁をつかんじゃだめだ」というtarashiさんの言葉のほうがむしろ印象的だった.私の知る限りにおいてALSに対するエダラボンの効果は,本邦の一病院施設における短期間の治療研究において検討されたに過ぎない(間違いがあれば,ご一報ください).しかもその結果は,PubMedはもちろんのこと,Web上ですら知ることはできない.インターネットで中途半端な情報を入手し,主治医の先生にエダラボンを用いた治療を懇願するALSの患者さん・ご家族に「エビデンスのない薬なので・・・」と言ったところで,冷たい先生と思われるのがオチだろう.それでも,脳梗塞に対するエダラボンのように,ヒトに対する十分なエビデンスがないまま,financial disclosureつきの動物実験で肉付けされ,最終的に患者さんに本薬剤が使用されるということにならないようその効果はきちんと判定されるべきであろう(つまり藁を渡しちゃいけないということ).
いずれにしても,私が強調したいのは,効果がある薬を世に送り出すためには,きちんとした手順を踏まねばならないということだ.それなしに宣伝をしたところで,臨床の現場に混乱を招くだけである.ALSや脳梗塞に対するエダラボンのみならず,プリオンに対するキナクリンや塩酸キニーネも,脊髄小脳変性症に対する磁気刺激もみな同じだ.きちんとした手順に従った上で効果の判定をしなければ,それらの治療のエビデンスは,癌に対するアガリスクや紅茶きのこ(図)とほとんど変わらないレベルになってしまうのだ.
とは言え,批判に耐えうるエビデンスを確立することは非常に大変なことだ.とくに日本のドクターは(私を含め)このような新規薬剤の治療効果に関わるエビデンスをどのように確立するべきかというトレーニングを受けてきていないので,医師主導の治験を企画することが苦手である.まして研修医の大学病院離れが加速する今日,こういった領域に関心を持てない医師が増加し,将来,日本が新薬の使用において,欧米と比較しますます遅れを取っていくだろうことは想像に難くない.(若い先生方よ,挿管やCV入れることだけが学ぶべきことじゃないぞ!)
さて今日はレベルのあまり高くない話に終始したが,次回は多発性硬化症におけるTysabri(natalizumab)を例にとり,治験の難しさについて考えてみたい.「過ちては改むるに憚ることなかれ(論語・学而)」「過ちを改めざる,是れを過ちと謂う(論語・衛霊公)」という父に学んだ言葉があるが,まさにこれを地でいった最近読んだ論文の中でも一番,感銘を受けた論文を取り上げたい.
いずれにしても,私が強調したいのは,効果がある薬を世に送り出すためには,きちんとした手順を踏まねばならないということだ.それなしに宣伝をしたところで,臨床の現場に混乱を招くだけである.ALSや脳梗塞に対するエダラボンのみならず,プリオンに対するキナクリンや塩酸キニーネも,脊髄小脳変性症に対する磁気刺激もみな同じだ.きちんとした手順に従った上で効果の判定をしなければ,それらの治療のエビデンスは,癌に対するアガリスクや紅茶きのこ(図)とほとんど変わらないレベルになってしまうのだ.
とは言え,批判に耐えうるエビデンスを確立することは非常に大変なことだ.とくに日本のドクターは(私を含め)このような新規薬剤の治療効果に関わるエビデンスをどのように確立するべきかというトレーニングを受けてきていないので,医師主導の治験を企画することが苦手である.まして研修医の大学病院離れが加速する今日,こういった領域に関心を持てない医師が増加し,将来,日本が新薬の使用において,欧米と比較しますます遅れを取っていくだろうことは想像に難くない.(若い先生方よ,挿管やCV入れることだけが学ぶべきことじゃないぞ!)
さて今日はレベルのあまり高くない話に終始したが,次回は多発性硬化症におけるTysabri(natalizumab)を例にとり,治験の難しさについて考えてみたい.「過ちては改むるに憚ることなかれ(論語・学而)」「過ちを改めざる,是れを過ちと謂う(論語・衛霊公)」という父に学んだ言葉があるが,まさにこれを地でいった最近読んだ論文の中でも一番,感銘を受けた論文を取り上げたい.
ブログ、拝読しました。
身の丈にあった出来る事を、続けていきたい。
年内にもう1度、実行するべく目標が出来たから、9月に入ったら準備を始めます。
ロウソクが溶けるように自分の手や足や指が肺が、不具合になっていくのを実感しながらの日々、素直に、焦りや恐怖は消えない!。
人工呼吸器を付けるかどうかは、折に触れ話し合っています。
ブログを通して話し合っているいる私達。
もしかしたら、どこかですれ違っているかも・・・。今後共宜しくお願いします。
ALSとの日々は厳しい!!!
されど、国からの答えを待っていたら、何も変わらない・・・。(キッパリ!)
故に、草の根ですが活動をしているの。
強い気持ちを持って、可能な限り、周りの方々のご協力を得て声を上げております。
私達マイノリティの存在を、何としてでも分かってもらわねばなりません。
それにしても、今年の猛暑は身体に堪えますよね。
活動する為にも身体を労わりつつ、仲間にも自分にもフレー!フレー!です。
進行がゆっくりが故、キーボードが打ちにくくなっていますが、こうして自分の考えを述べられます。
介護の現場は逼迫しており、身体が思うようにならなくなっていく現実を、患者は実感しながらの過酷な日々です。
私は、患者あるいは家族が望み、自己責任の中で生き方を決めていくことは、誰にも否定は出来ないと思っております。「死」=「生き方」は、人生そのものです。とはいえ、ALSに皆さんが関心を持って頂き議論をする事はとても大事です。
賛否両論あってしかり。
・・・が、患者の1分1秒は待ったなし!です。
医療側の方達には、患者側にたって患者の苦しみを受け止め臨んで頂きたいと痛切に願っております。
御免下さいませ
待ってるうちに 死を迎えます。たとえ はっきりしなくても。
ひとつだけ。
アガリクスです。リスクは上がりません(^^)。
その過程で,こちらを拝見しました.主張されていることは大変納得のいくものだと思います.上の患者側の書き込みは批判的なものがほとんどですが,真に科学的にALSに取り組んで,ALSの治療法を確立し,将来に少しでも私たちのように苦しむ人たちが少なくなるように,医学研究者の方々にはがんばっていただきたいし,臨床の先生たちも無駄に患者に希望を与えることなく,冷静に治療にかかわっていただきたいと思います.
おそらく,家内は来月からラジカットの治験に参加することになると思います.これは唯一の希望の光ですが,感情的にならずに,淡々と治験に望みたいと思います.これが効かなくても,それはそれで医学的研究に寄与できるのですから.
多岐にわたる検討が許されるのであれば、ゆっくりと検討し安全面を確保し冷静に対処できる事が望ましいと私も思います。
共通認識を持つ為の話合いを何方がALS治療の確立の為に立ち上がっていただけるのでしょうか?
やっぱり厚生労働省まちですかね。
であれば署名活動はある意味において有効な問題提起になりますね。
私の場合、主治医の神経内科の医師が直接このエダボラン治験を行った医師と話をしていただく事は可能でした。
ダメを言う前にALS患者が望むのであればデーター、論文が存在してないのであれば直接、聞いてみる事は何方でも出来る気がしますが・・・不思議です。
安全が確保されていないと言われるエダボランを使うか使わないかはALS患者の判断だと思いますし。万が一の事を想定し同意書を交わすという作業で医師のリスク回避という方法もあると思いますが・・・
なぜ、ダメか。
納得の行く説明には行き着かない物ですね。
ちなみに私の母はエダボランお試し後、死んでません。
検討している間にもゴロゴロとALS患者が死んでいます。
死ぬ前にどうしたらALS患者含む神経内科の難病患者に
医療を提供できるか検討して頂きたいと思います。
ある意味、ALS患者は期限付きですから。
医療とあらゆる情報の精査を医師と患者とで共有は現実的には全ての人には難しいようですかね。
めんどくさい事は皆さん嫌がりますからね。
残念です。
「難病でない人は冷静な意見が言えるもの」というコメントもその通りかもしれません.でも逆に私は,医師は冷静でなければならないとも思っています.私の信念として申し上げたいのは,新しい治療薬は正しい方法で薬効の評価を行い,そして患者さんに及ぼす副作用が最小限であることを確認した上で承認されるべきだということです.それは自身や肉親が患者の立場になったとしても変わりません.エダラボンについては1施設における臨床研究のデザインや結果をまずみんなで検証したうえで,本当に有効性が期待されるのであれば,次の段階として全国規模での治験を厚労省に要望すべきではないかと思います.そのような手順を踏んだ上で,有効性を証明できるのであれば,より多くの患者さんやご家族に福音をもたらし,医師も安心してエダラボンを治療に使用できると思います.
難病患者にとって命をかけずに治す道は今のところないということです。
難病でない人はとても冷静で優秀な意見が言えるものです。
母がALSを治す為に命をかけるというALS患者の思いを最大限に生かして欲しいと思います。
誰かがマウスに変わらなければALSでなくなる日は来ないのでは?
安全にALSを治したければ1番最後が1番安心です。
私はそう思います。