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淡路市 生穂賀茂神社 蜂須賀桜植樹

2017年02月13日 | 日記

2月12日(日)、午後に、淡路市の東浦で益習の集いの開いていたパネル展「立木兼善と岡田鴨里」に行き、終了後に会長の三宅玉峰さんに「蜂須賀桜を守る会」の皆さんがこの日の午前中に蜂須賀桜を植樹したという淡路市生穂賀茂神社にご案内いただきました。ここは江戸時代に蜂須賀家が保護した神社として有名です。

http://www.eonet.ne.jp/~kamojinja-ikuho/

蜂須賀桜の植樹された近くに大川真澄の国学塾「養徳学館」の跡地の碑がありました。

社務所内には、蜂須賀茂韶の書いた扁額が飾られていました。解読を依頼されました。

「豊かな功は日月の昭なり」と読むのだと思います。明治28年(1895)、日清戦争後に、その従軍者に与えられたものです。「あなた方の功績は日月のように燦然と輝いている」というような意味です。茂韶侯は「誠堂」の雅号を持ち、書家としても有名です。この作品は中央の「日」の字を小さく書くことで、却って作品の対角線の交差の中心であることを意識させています。上手な構成です。

蜂須賀茂韶 (はちすかもちあき)  文久2~大正7 (1846~1918) 享年73歳。徳島藩最後の藩主。幼より学を好み岡本晤室・四十宮石田・新居水竹・橋本晩翠らに学ぶ。明治1年(1868)、家督を継ぎ、明治政府に仕えて議定・民部官知事・徳島藩知事に任じ、廃藩後、数年間はイギリスに留学、帰朝後、外務省・大蔵省の要職につき次いで元老院議長・東京府知事・貴族院議員・文部大臣・枢密院顧問を歴任した。この間侯爵となり、また北海道雨龍牧場の経営、日本鉄道・東京海上保険・大阪紡績の創設、民間諸学会などの会長として貢献した。書にも卓越した。

すばらしい作品が人々の生活の中に飾られています。

この後、洲本市五色のウェルネスパークに移動して、益習の集いの会合に参加しました。


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