23日(日)は、学生・卒業生を乗せて、京都まで往復しました。この日は杉村邦彦先生の個展に合わせて、博物館めぐりもしました。
まず、午前中に行ったのは京都国立博物館で開催中の「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」展です。細川氏は室町時代の管領家で京都にいましたが、阿波・讃岐・伊予もその領地だったので、徳島に縁が深く、さらに戦国大名となってからは丹後・豊前・肥後と転封して、現代の細川首相にまで続きます。細川幽斎は和歌・能・有職故実に通じ、その子忠興は千利休の有力な弟子で、ガラシャの夫、その子忠利は54万石熊本藩主の初代でした。宮本武蔵の雇用主でもあります。歴代、文化的なことにも造詣が深い一族で、日本の文化にも大きな影響力を持ちました。近代になっての当主である護立も日本画や東洋美術のコレクターとして有名でした。こういう家の御宝ですから、とにかく目を見張るような逸品ばかりで、教科書で見るような絵も多かったです。書道で、特に良かったのが、図録写真の「伏波神祠詩巻」です。黄庭堅の名作ですが、近くで見ると、墨の強さがよく分かりました。また、宮本武蔵の筆と考えられている屏風絵も良かったです。この展覧会は11月23日までやっています。
食事のあと、泉屋博古館に移動して企画展を見ました。この日が最終日でした。近代から現代にかけての日中の書画が中心で、住友家のことがよく理解できました。明治の住友家当主で、コレクターとして有名な住友春翠(1864~1926)が、西園寺公望の実弟であることを初めて知りました。内藤湖南とも仲が良く、辛亥革命で清国のお宝が西洋に流出しようとした時に、内藤湖南がそれを何とか日本に留めようとして日本の財閥に声をかけて購入するのですが、その財閥の一人が住友春翠であったこと、そして春翠がもとは京都の公家の出身で、西洋通だった西園寺公望の弟であったことがそのような文化的な収集に関心を持たせる一因だったわけです。
午後3時からは、京都市役所に隣接する「ギャラリー創」で、杉村邦彦先生のギャラリートークがありました。杉村先生の自伝的なお話で、今まであまり聞いたことのないお話も聞けました。ギャラリーの部屋一杯に聴衆が入り、1時間半のお話を楽しみました。作品も、書ばかりでなく、画や拓本を混ぜたものもありバラエティーに富み、楽しいです。ちなみに、拓本に賛の入った作品の拓本部分は、私がお盆休みの時に、丸一日かけて約10枚を採ったものの一部です。
お話を聞いたあと、徳島に帰りました。なかなか充実した京都での一日でしたが、少し疲労し、ぐっすり寝ました。