パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2018年8月14日

2018-08-14 22:48:23 | 日記
聖書箇所:ヨハネ8章48節~59節

研究ノート

・「ユダヤ人たち」は、ここではパリサイ人や律法学者を指して用いられている。
・サマリヤ人扱いするのは、異端や分派として非難する意味合いが有る。サマリヤに二日滞在
 したことが知られていたためかもしれない。
・51節と同様のことは、既に5章24節、6章49節で述べられている。イエスと御父を信じる者
 は永遠の命を得る。
・アブラハムも預言者も死んだのに、自分を信じる者は死を見ないというとは、自分を何だと
 思っているのか、悪霊につかれているのでなければそんなことは言えない、というのがユダ
 ヤ人たちの弁である。
・54節「わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。」 バプテスマの時に天から聞こえた
 御父の声もその一つと考えられる。
・56節 アブラハムは、神との契約と信仰によってキリストの日を思い見て喜んだ。
・57節 50歳はレビ人が引退する年齢であり、ユダヤ人が助言者の地位に就くことができるよ
 うになる年齢である。若造が何を言っているかというようなニュアンスが有る。
・58節 アブラハムが生まれる前から存在するということは、約2000年前から生きているとい
 うことで、超人的な存在、神のような存在ということになる。「わたしはいるのです。」と
 いう表現は出エジプト3章14節で神がご自身の名前をモーセに告げた時に用いた表現と同じ
 であり、「わたしは神だ」と述べたことになる。
・59節 冒とく罪であるから石打にするというのがユダヤ人たちの考えであった。宮に石が有
 ったのは、宮の補修用などのために置いてあったからであろう。9節の記述から、この日は
 安息日であったことが判る。石打は安息日にもゆるされていた。イエスが身を隠したという
 のは、神の力で見えなくした、もしくは目がかすむようにされたという理解ができる。

ごく簡単なまとめ
・イエス・キリストは神である。
・イエス・キリストは御父の御心の通りに発言し行動した。
・ユダヤ人たちは繰り返し説明を聞いても心を頑なにしてイエスを受け入れなかった。
・ユダヤ人たちがその父、悪魔の欲望を成し遂げたいのだということがはっきりしている。
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