パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2018年7月24日

2018-07-24 17:43:34 | 日記
聖書箇所:ヨハネ8章21節~30節

研究ノート

・イエスは、6章でご自身が天から下って来られたことを述べられました。ですから、ここで
 去っていかれたらパリサイ人たちはそこについて行けないというのは明白でした。しかし、
 彼らはそのようなことを信じてはいませんでした。ですから、「自殺するつもりなのか」な
 どということを言ったのです。
・彼らはイエスをメシアとして信じませんから、「自分の罪の中で死にます」と言われてしま
 ったわけです。
・「下から」というのは、地上、肉に属し、さらには地獄に属することをしめしています。
・「あなたはだれですか」という問いかけは、「何様のつもりか」というような軽蔑の心でな
 されたと考えられます。
・26節で、イエスはユダヤ人たち(パリサイ人や律法学者を指して用いられています)に対し
 て「あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。」と言いまし
 たがそれは最後の審判の時まで控えられることになります。
・28節で、再びイエスは自分の神性を表す「人の子」という称号を用います。しかし、その人
 の子は「上げられる」というのです。3章14節ですでにニコデモに言われたことの繰り返し
 となります。十字架にかけられることを、イエスは何度も予告していました。それは成り行
 きとか偶然に起きたことではありませんでした。
・イエスが上げられるときイエスのことがわかるようになるということが続けてのべられてい
 ます。パリサイ人たちが悔い改めた記述は聖書に残っていませんが、十字架の下にいた百人
 隊長がイエスを神の子と認めたことが記録されています。また、使徒行伝には祭司たちが次
 々と信仰に入ったという記述が有りますが、それもこのことを想起させます。
・30節では、これらのことを聞いて多くの者がイエスを信じたことが記されています。ユダヤ
 人たちと記録されたパリサイ人たちは心を頑なにしてイエス殺害を目指し続けたのですが、
 その他の多くの人たちはこの話でイエスをメシアと信じたということになります。同じこと
 を聞いても理解が正反対になることが有ることがわかります。心の状態が大事であるという
 ことになるでしょう。

おおまかなまとめ
・イエスが天から来られた人の子であり、メシアである。
・世に属する者はヨハネ1章にあるように、光なるイエスを知らないし、受け入れない。
・イエスの十字架の死はご自身の口から繰り返し預言されていて、偶然ではない。
・同じ言葉を聞いてもイエスを信じる者と憎む者が出てくる。ヨハネ1章12、13節にあるよう
 にイエスを受け入れる者は神によって生まれることがここでもわかる。
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