パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2018年9月11日

2018-09-11 23:00:18 | 日記
聖書箇所:ヨハネ10章19節~42節

研究ノート

・18節までのイエスの言葉でまたユダヤ人たち(パリサイ人、律法学者たちを指す)の間
 に分裂が起こる。悪霊につかれているというのは、人間的に考えると到底有り得ない、
 命を捨て、また命を得る権利が有るということをイエスが言われたからであろう。
・宮清めの祭りは、今日の暦では12月18日から始まるハヌカに当たる。アンティオコス・
 エピファネスが、神殿の祭壇で豚を焼き、また豚の煮汁を神殿内に撒いて神殿を汚した
 が、ユダ・マカバイが宮清めをしたことから始まっている。
・24節でユダヤ人たちがイエスに強い口調でキリストであるかどうか明言するように要請
 しているのは、その証言を用いて訴えようとしてのことであろう。
・「わたしと父は一つです。」という表現でユダヤ人たちがイエスを石打にしようとして
 いること、33節ではイエスが神を冒涜したとしていることから、イエスが自分の神性を
 言い表したのだと理解することができる。
・34節でイエスが言及した律法は、詩編82編からの引用である。神の御心を行うために立
 てられているはずの王や指導者たちを指して「神々」と複数形で述べられている。ラビ
 の教えでは、その理解を反映して、使者という説明をしているものがある。
・イエスは神であるから、当然ご自身に対して神という言葉を使うことができたが、同時
 に人性を持ってこの世に来られたのであるから、詩編82編の神に立てられた人々を神と
 呼ぶ表現にも当てはまるご存在であった。
・イエスが行われた奇跡、しるしは、神から遣わされたメシア、キリストであることを十
 分に証明していた。
・イエスを捕らえようとするユダヤ人たちの手をのがれられたのは、まだその時ではなか
 ったからであるが、手を伸べてもつかめない、姿が見えなくなるなどの奇跡でもあった
 かもしれない。

ごく簡単なまとめ
・イエスのメシアとしてのしるしや証は十分に示された。
・一度救われたものは決してその救いから落ちることはない。(28節)
・イエスは神性と人性を備えられた存在であった。
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