パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

日曜礼拝 2018年6月24日

2018-06-26 15:58:19 | 日記
聖書箇所:1サムエル 17章31節~47節
説教題:ゴリアテの対処をめぐって (説教音声はありません)

(導入)
 サウルを王とするイスラエル人はペリシテ人と対峙していました。ヨシュアの頃からこの時
まで、彼らはイスラエルの強敵でした。13章にはペリシテ人がイスラエル人に武器を持たせな
いように、鍛冶屋の存在を許さなかったことが述べられています。すると、この戦争の時も、
イスラエル側は大変武器が少なく、心細い状況であったことがわかります。しかも、ゴリアテ
という身長が3メートル程も有る兵士に40日も脅されていたのです。
 そこにダビデが来て、ゴリアテに対して強い言葉を使いました。それがサウル王に報告され
ダビデが召し出されることになりました。


(解説)
 ダビデはゴリアテとの一騎打ちを志願します。しかし、サウル王はダビデは経験不足である
と判断しました。試してみるまでもないと思ったのでしょう。すると、ダビデは、自分の羊飼
いとしての経験を述べます。何度も猛獣である獅子や熊と戦って生き延びて来ていることを。
しかし、大事な点は、それが神が共におられるからだという信仰に有りました。(37節)
 サウロは神の守りを祈って許可を出しますが、実際には信仰は有りませんでした。ですから
自分の兜、鎧や剣をダビデに貸したのです。ダビデはそれを用いないことにしました。慣れて
いないからだと説明されています。それに、サウル王はイスラエル人で一番長身と言える人物
でしたから、サイズが合わなかったことでしょう。
 ダビデは日頃使い慣れているものを持って行きました。羊を導いたり猛獣を打ったりするの
に使ってきた杖と石投げでした。士師記20章には、石投げの勇者が戦士として記録されていま
す。昔の中近東では石投げは立派な戦闘の武器でしたから、その意味ではダビデも経験を積ん
だ戦士と言えました。
 
 立ち向かってくるダビデを見た時にゴリアテの反応は先ず、彼を軽蔑することでした。若者
であるからでした。この語は少年、青年、若者、小間使い等の意味が有ります。年齢の範囲は
14歳から20歳と考えられます。この物語の直後にサウルの息子であるヨナタンが、ダビデに自
分の鎧や剣を与えていること、この後の戦闘に動員されていることを考えると、間もなく20歳
になるぐらいの年齢であったと推測されます。戦闘員に数えられるのは20歳からなのです。ゴ
リアテは、彼の外見からしか判断をしませんでした。紅顔の美少年という描写から、普通は兵
士が生やしている髭や、戦闘の経験からくる傷跡が顔になかったことがうかがえます。しかも
鎧も無しに、杖を持ってきたのですから。
 次にゴリアテは、ダビデを呪いました。ペリシテ人の崇拝する神々の名で呪ったということ
ですから、バアル、アシュタロテ、ダゴンの名を挙げて呪ったことになります。
 更に、ゴリアテはダビデを脅迫しました。(44節)確実に殺してやる。死体は葬られず、野
の鳥や獣に食われる、惨めな死に方になるというのでした。

 ダビデの反応は、先ず神への信仰、信頼を告白することでした。武器を頼りにすることはし
ないと言いました。
 次に、ダビデはアブラハムに与えられた創世記12章3節の契約を心に留めていただろうと思
われます。ゴリアテはダビデを呪いましたが、アブラハムとその子孫を呪う者を神は呪うとい
う約束が有りました。ですから、ダビデは明確に神がゴリアテを彼の手に渡すと宣言すること
ができたのです。
 更に、ダビデはペリシテの敗戦によって神の御名が全ての国々に知られると宣言しました。
また、彼は、ペリシテ人のみならず、集まった全ての人々、すなわちイスラエル人にも、神が
ダビデとイスラエル人の味方であることを認識させようとしました。(47節)

 この戦いの結末はご存知の通りです。ゴリアテは倒れ、ペリシテ人は敗走しました。

(まとめ)
 多くの場合、この物語の題は「ダビデとゴリアテ」として提示されます。しかし、文脈から
考えますと、「ゴリアテの対処をめぐるサウルとダビデ」と題されるべき物語です。
 この時点では、サウルもダビデも王としての任職の油注ぎを受けていました。サウルはまだ
王座に留まっており、ダビデは次期の王であることが内々に決まっていました。サウルは既に
神に退けられており、ダビデは神の御心にかなう人物でした。その二人の違いは何であったの
か、どうしてダビデの方が御心にかなうのかということを示すのがこの物語なのです。

ゴリアテの対処をめぐって

1)ダビデは神と神の誠実さを信頼していました

   ダビデは神の力を信じていましたし、神が契約を必ず守られる誠実で真実な存在である
  ことを信じていました。神は約束の地の領土、祝福、守りを約束されました。ですから、
  ペリシテ人はイスラエルを脅かすことはできないと信じたのです。
   サウルにはその信仰は有りませんでした。彼はこの世の力に頼り、自分の軍は不利であ
  るということしか見ていませんでした。
   私たちもこの世のことだけに目を留めて恐れることが有るかもしれません。しかし、そ
  れでもダビデのように神に信頼していく方を選ぶ姿勢を持ち続けることです。

2)ダビデは神の恵みを心に留めていました

   ダビデは過去の猛獣との闘いを神が守ってくださったという認識が有り、それを告白し
  ました。また、神から与えられた杖や石投げの技術、賜物を認識していました。
   サウル王も過去にはアモン人、ペリシテ人、アマレク人を破った経験がありました。で
  も、彼には勝利が神の恵みから来たという思いが有りませんでした。ですから、罪を犯し
  て、神に退けられたのです。この時点であっても、心底悔い改め、この戦いのためだけに
  でも神の力を求める謙虚さが有れば良かったかもしれません。しかし、できませんでした。
   私たちも、日々の生活の中で、過去に神様がくださった恵みを思い返し、感謝しながら
  生活することが大事です。それは過去に終わった恵みではなく、引き続き神がくださる恵
  みを確信する助けにもなるのです。こうして、私たちは生ける供え物として生活の中で神
  を礼拝し、褒め称え、また、その恵みの一部として、私たちの信仰に励ましと力をいただ
  く歩みをしなければなりません。

3)ダビデは神に栄光を帰し、神を証した
   ダビデはゴリアテと一騎打ちをしました。ですから彼は声高に勝利の宣言をすることに
  なりました。公に彼の神への信頼が宣言されました。また、彼は神の誠実さ、真実さを証
  するために行動に出ました。
   難しい局面に在っても、私たちも私たちの信仰を告白し続けましょう。自分にそう語り
  かけるだけでも違った世界が開かれるでしょう。私たちには、もっと大きな罪と死という
  敵を打ち破ってくださったイエス・キリストがついていてくださるのです。
   若かろうが、年老いていようが、大事なのは信仰なのです。正直に自分を省みると、私
  たちもサウルのような考え方になっている時が有ります。しょっちゅうそういう状態にな
  っているかもしれません。それでもなお、踏みとどまって、もう一度ダビデのように歩む
  ことに繰り返し戻っていき、神に栄光を帰し、神を証しましょう。


 
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