‥‥

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本質的に群れで生きる人間のメリットとデメリットの特徴について

2018年11月24日 | 人について思うこと

人間は単独ではなく群れで生きてきた動物だから 群れの中の大勢に従う ことを本能的に第一優先に選んで生きている人が圧倒的に多いと思います。

勿論、私のように、そのことを第一優先に選ばず、自分の意思決定を第一優先として生きている人も少数派ではあって、間違いなく存在しています。

人間がまだ原始生活していた頃に、あったであろう話を例に出して紹介します。

群れ(集団)で暮らす人間たちにとって、群れの一員であることを、他のの仲間に認めてもらうことが、群れの中で快適に過ごせる大切なことだったと思われます。

集団の中での大多数の人が示している感情には、個人の思いとは関係なしに、(例え表面的であったも)同じような感情を示すことが重要です。

その流れは、現代社会にも繋がっています。

冷静に考えれば、ちっとも面白くないことでも、組織の中で、大多数が面白がっていると、それに乗り遅れまい と、自然に愛想笑いをしてしまうことなど。

もっと酷いケースだと 「イジメ」 でしょう。
大多数が、特定の誰かをイジメていると、積極的に参加しないとしても、イジメられている人が大勢に笑いものにされている時、周りの多くの人は、一緒になって、その人に対して笑っていたりしています。

私は、そうは思いませんが、イジメは絶対になくならない! なぜならば、他人をイジメるのは、人間の本性だから‥‥という説を主張している人たちの理屈も、これに似ていることが多いです。

人間にとって、生きるか死ぬかの過酷な選択が求められていた原始時代に話を戻します。

(今も)変わらないでしょうが、人間にとって最も大切なことは、命を失うことなく生き延びることです。

居心地の良い暮らしをしていても、急に危険に晒されて、命を失うようでは、ダメなことは、理屈では、誰もがわかります。

しかし‥‥

原始時代のある場面で、人間の群れが進む方向



分かれ道に出くわして、右に行くべきか、左へ行くべきか‥‥

群れの大多数の意見というか、意見というレベルにもない、ある種の雰囲気というか‥‥

所属する群れ(集団)は、もう、左へ進むということが、何となく決定的になっている雰囲気の中で

もしも、自分は、左に行ったらば、危険な予感がする。左に行けば、獣が待ち構えて、殺されてしまう。だから、私は右へ進んだ方が良い‥‥と感じた時。



果たして、声を出して、群れの仲間を説得しようと出来るでしょうか?

実は、声すらあげられずに、何か嫌な気がするけれど‥‥と言って、従ってしまう人が大多数ではないでしょうか?

もっと言えば、声を出して、説得した、それでも、受け容れられずに、逆に疎外され、それならば‥‥と、例え、自分独りでも、群れから別れて右へ進む勇気のある人は、更に少数派だと思います。

仮に、この不安が的中して、左へ進んだ先には、恐ろしい獣が待ち構えていた時‥‥、唯一、生き残れるのは、群れから離れて単独でも右へ進んだ人間だけです。

勿論、たった一人で生き残れたとしても、その先の人生は過酷なもので、その後も長く生き続けられる保証はありませんが、それでも、獣に襲われて、即、殺されてしまった人たちよりは、(可能性という意味で)間違いなく正しい選択をしたことに違いありません。

この話は、原始時代だけでなく、現代にも通じる話だと私は思います。

企業の衰退や倒産、様々な事件や事故に巻き込まれる危険など、例え、合理的な根拠が示せなかったとしても、人間が本能的に感じる、何か嫌な予感がした場合に、どちらへ進むのかを、自分で決断したいか、群れの大多数の意思に従うことを選択するのか‥‥

人それぞれの、人生観が如実に表れる瞬間かもしれません。

勿論、私は、何があっても、自分で決断した道を進みたい人間です。

今年も紫陽花の挿し木をしました

2017年08月01日 | 花や野菜の魅力

狭い我が家の土地ではありますが、嬉しいことに季節になると毎年、何箇所で、様々な色の紫陽花が 綺麗に咲いて くれます。








毎年、6月~7月には、庭で咲いた紫陽花を仏壇の父にもお供えしています。

一昨年、昨年と連続して、庭の紫陽花を植木鉢に 挿し木 して、更に紫陽花を増やす試みもしています。

傾向として、花が咲くまでには、2年が必要なようです。

植木鉢の中にある紫陽花のうち、一昨年のものは、今年、初めて、綺麗に花が咲きましたが、昨年のものは、まだまだでした。

楽しみ(花が咲く) を2年後まで気長に待つことも、素敵なことだと思います。

また、欲しい方には、お譲りすることで、喜んでいただけるケースもあります。

今年も、紫陽花の挿し木を行いました。

(お譲りすることも想定して)鉢は、ホームセンターに売っていた、軽くて(相手の方に心の負担となららいような)200円程度の安価なものを用意しました。(今年は3つ購入)


鉢に入れるのは、土(黒土)などではなく、赤玉(土)です。写真は小粒タイプの赤玉です。


園芸用ネットを植木鉢の形に切ります。


鉢の下の方には、赤玉(土)の大粒を入れます。


続いて、赤玉(土)の小粒を入れます。


花が咲かなかった紫陽花の先端から5節目辺りから切断します。


写真のように、途中の葉を切り取って、上部の葉だけを残します。


最下部の切り口は、V字型 に尖らせて、バケツなどに浸して、十分の水分を含ませませた後に、鉢に挿します。


このような感じで、挿しました。


十分な水分が必要です。晩秋の頃まで、毎日、十分な水を鉢に与えていく予定です。


手前3つが今年の鉢で、その向こうが昨年の鉢、更にその向こうに(少し大きな)鉢が、今年、花が咲いた一昨年の鉢です。



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収納機能のあるお花台を作りました

2017年05月08日 | DIY(自分で作ったり修理したりする)

我が家の小さなサンルームの手前の空間に置くための収納機能のあるお花台を作りました。


元々は既製品の収納庫の上に花を飾っていたのですが、これを別の場所にもっていき、寸法に見合った新しい木製の収納庫を作ることにしました。

また、この空間は、ドクダミなど、雑草が多く、それらをシャットアウトするために、地面をモルタル処理することも併せておこないました。

横幅 1600mm 奥行 400mm 高さ 800mm のを作り、地面もモルタル処理して、砂利とレンガを敷き詰めました。


まだ、あまり物は入っていませんが、べニアで作った戸を開けると収納スペースがあります。




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驚くことに生きるか死ぬかの戦国時代の武士たちは鉄砲に否定的だった

2017年05月02日 | 歴史あれこれ

隣国から攻められて滅亡する危機と隣り合わせだった戦国時代にヨーロッパから伝わってきた最新兵器の鉄砲(火縄銃)に多くの武士たちが拒否反応を示していました。
 
どうして?

現代人の視点からは、それまでの戦(いくさ)を一変する威力を持つ兵器を受けいれようとしなかったことが不思議ですが、そこには 人間の本質のある一面 が典型的に表れていると言えます。

当時の鉄砲以外の主な武器には、刀、槍、弓などがありました。

それらの武器を使いこなすためには、日々の鍛錬(訓練)を重ねる必要がありました。

全くの素人に武器だけ渡しても、上手に使いこなすことは出来ないからです。

そうした状況では、戦国大名のそれぞれの家には、刀の達人、槍の達人、弓の達人など、それぞれの分野での達人達が存在していた筈です。

そかも、それらの達人達は、その優れた武術(武器の使用法)を親から子供へと伝えていくことで、※※家は、槍の達人の家 というように、戦国大名家の中で、その地位を確立していたと思われます。

戦(戦争)となれば、槍隊は名門の※※家、弓隊は名門の※※家に任せる ‥‥ といった陣容となります。

いざ、戦(いくさ)となれば、上記のような枠組みが作られ、その中で、有力家臣たちの位置づけ(ポジション)が決まっていた中で、全く新しい 鉄砲(火縄銃) という兵器が登場してきたのです。

同じ飛び道具の弓よりも殺傷力が大きく、弓のように立ち上がって放つ必要がなく、腰を落として撃つことが出来ます。

離れた距離から鉄砲で攻撃されれば、刀や槍を持った兵士たちは、相手(敵)に攻撃を加えようとする前に殺されてしまいます。


部隊の主力を 鉄砲隊 に変更することで、兵士の数が同じでも、軍事力を各段に増大させることが可能になります。

殿様(戦国大名)からみれば、このような画期的に素晴らしいことでも、殆どの家(戦国大名家)では、軍事改革は行われませんでした。

軍隊の主力が鉄砲隊となれば、自分たちの代々、引き継がれていた、槍や弓の名門というポジション(立ち位置)を失うことを恐れたのです。

出来るだけ遠くへ矢を飛ばす必要性がある弓は、威力を発揮させるための構えや狙う方向など、長い期間、相当な鍛錬を積んで、技術を身につけたと思われますが、新兵器の鉄砲を実践で使えるようになるのに、弓ほどに長い期間の鍛錬が必要ではなかったことは、想像に難くありません。

つまり、弓や刀、槍などの(伝統的な)武器を、大して使いこなせない下級兵士(足軽)たちに、鉄砲の使い方を教えて、鉄砲隊に編入させて戦(戦争)で戦わせれば、これまで、戦で、大きな成果を出していた、弓や槍、刀の達人たちの活躍の場が失われることを意味します。

鉄砲は ‥‥
・雨が降れば(火縄の火が消えてしまうので)使えない
・暴発(火薬が破裂)する危険がある
・威力はあっても一丁が高価で財政を圧迫する

など ‥‥ 、鉄砲のマイナスばかりを挙げて、反対するのです。

隣国が大規模な鉄砲隊を組織して攻めてくれば、自分の国は滅んでしまう危険性よりも、自分の所属する家(戦国大名家)の中での、自分のポジション(保身)を大切 にして、鉄砲に反対したのです。

トップである戦国大名は、現代で言うビジネスでのトップと同じで、マネージメントを重要視せざるを得なかったのでしょう。

主だった部下たちが反対しているのだから、我が軍の主力を一気に鉄砲隊に切り替えることは出来ない ‥‥ と考え、結果として、全軍比率からすれば、10%程度規模の少数の鉄砲隊を組織させた戦国大名が殆どだったようです。

近視眼的な自分の現在のポジションを優先して、自分が所属する組織の存亡に関わる将来の見通しが出来ない場合がある ‥‥ という 人間の弱点が表れた典型的な事例 だと言えます。

弓隊を率いていたトップの家臣ですが、その豊富な経験を活かして、鉄砲隊の隊長になれば、まだ誰も効果的な戦術を模索中だった鉄砲を効果的に用いて、大きな戦果を挙げることが出来た筈ですが、多くの武士たちは、そのような発想の転換を行って新境地へ踏み込みませんでした。

生きるか死ぬかの戦国時代の話をしましたが、この話、現代のビジネスの話と多くの部分で重なります。

ライバル企業と食うか食われるかの戦いが日々、繰り広げられています。

現代の転職やヘッドハンティングのように所属する企業を変える人がいるように、戦国時代の武士たちの中にも、仕える主君を必要に応じて変えていった者もいました。

しかし、全員ではありません。大多数は、運命共同体的に、自分の家(戦国大名家)や自分の企業(会社)の中で、必死に働いています。

しかし、自分の所属する企業が倒産に追い込まれてしまえば、昨日まで、その企業の中で、それなりのポジションにいたとしても、何の意味もありません。

だからこそ、近視眼的な保身の呪縛から解放された柔軟な発想力を磨いておく必要性があります。

多くの戦国大名たちが、部下(家臣)たちの反対もあり、大々的な鉄砲隊の編成を行わなかった中、唯一、軍隊の主流を鉄砲隊に変えた戦国大名がいませい。


あの有名な織田信長です。信長は、現在の愛知県の約 1/6 しか領土を持っていなかった弱小な戦国大名でした。


現在の愛知県は、昔の尾張国と三河国の2国からなりますが、尾張と三河の面積比は、約 1対2 で、領有していたのは、尾張(地図上の赤色)の半分しかなかった織田信長は、現在の愛知県の約 1/6 しか支配していなかった弱小戦国大名でした。

歴史が物語る事実として、名だたる有力な戦国大名たちは、次々と織田信長に滅ぼされていき、信長は天下統一目前にまで辿りつきました。

現在の日本の企業の中でも、多かれ少なかれ、汗を流して一生懸命に働いている社員が頑張っている人間だという高い評価を得る傾向があります。

日々、相当な鍛錬(訓練)を行い、敵の矢が降り注ぐ危険の中で、矢を放つ弓の使い手の方が、腰を屈めて鉄砲を撃つ足軽(下級部下)よりも、立派に映る(見える)のと似ています。

経験上、私の得意なExcel(エクセル)の複合関数や簡易マクロ(VBA)を使ったプログラミングによる効率化に対して、斜に構える人がいない訳ではありません。

全員ではありませんが、それぞれの年齢層や地位で、自他ともに、それなりの高い評価を得てる人ほど、Excelプログラミングによる効率化計画に距離を置きたがる傾向があるのは、戦国時代の鉄砲の話と共通する部分を感じます。





消えてしまったの?

2017年03月10日 | BLOG総合

鍵付きの所へ引っ越している最中かもしれませんよ。


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