旅立ち

長らく閉鎖していました。ご心配をおかけしたことを深くお詫びします。

ごろ寝の気分・・・

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
今朝は雨の音で目が覚めました。

先生曰く、雨の日やお天気次第で傷跡が疼いたり、痛みを感じたりと、良くなるにつけそういった症状が出てきます。
と聞いていました。

今朝は大雨だけどそういったことは一切なし。
まだまだそこまで回復していないと言うことでしょうか・・・?

ここのところちょっと体調がすぐれず・・・といってもどこがどう・・・といったわけではないのですが・・・なんだかゴロゴロと目が覚めているのに起き上がる元気がなく・・・寒さのせいもあるのですが・・・

自分で自分に言い聞かせて見る。

(まだまだ病人なんだから。無理しないで好きなだけゴロゴロしてみよう。もしかしたら身体がそれを欲しているのかもしれないし・・・?思いっきり甘やかしてみるのもいいかも・・・?食事なんて一日6回食べるのがプレッシャーになっているみたいだし・・・一日くらい怠惰に過ごしたっていいよね)

とかる~~~いノリでごろ寝と決めていたらば・・・な・な・なんと5日間も!!!
これには自分自身も驚きです。
わたしっていくらでも自分を甘やかすことができる・・・というか、嫌いじゃないと言うことを発見しました。

いままでなら、たまにはあったけど、時間がもったいないという強迫観念もあり、せいぜい一日くらいだったのに。

ずっとごろ寝をしていてもなんとなくお腹もすき、あまり食事の間隔なんか気にしないでいいやと決めたのに、習慣になっているのか、ほぼいつも通りに食べていました。
とにかくリンゴ、リンゴが食べたい。
なんなんでしょう?
そんなこと生まれてから一度もないのに、リンゴ・リンゴ・リンゴなんです。

そういえば母が私がお腹の中にいる時は、寝ても覚めてもカレーライスが食べたかったと話してくれたのを思い出しました。(つわりがおわってから)

もちろん私のお腹の中は手術の傷跡のみで、母のこととは全く無関係な訳でありますが、人間って身体の中に変化がおきるとそういう不思議なことも起こるのでしょうか?
良く分かりませんが、そういうことにしておくことにして・・・。

いまはいろんな種類のリンゴを買ってきて楽しんでいます。
本当に美味しいですね。
色と香りと歯ごたえと咽喉ごし。

りんごに目覚めてしまいました。

次は何に目覚めるのでしょうか?
とにかく味覚が変わってきていることは間違いないようです。

でも好きな物が嫌いで食べたくなくなったというものはまだありませんが・・・

天気予報では明日は晴れ。
良いお天気になるそうです。

ごろ寝もそろそろ・・・お仕舞いにしますか・・・ね♪






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食欲???

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
食欲ってないことはない。(あるということ)

昼食を一番食べているかな?量的には。

食べ始めるとどんどん食べたくなる・・・
食べないでいると・・・お腹が空かない。

本当は間食を2,3回は取らなきゃいけないんだけど・・・
でも体重は減らないから・・・もう少しやせたいし・・・

手術をしたらもうダイエットとは縁のない人生が待っている。
と思っていたのに、どうなんだろう?

手術前の体重に戻りつつあるような嫌な予感が・・・する。

私って人は食欲がなくても食べられてしまうのです・・・(目の前にあると)

良く言いますよね・・・お腹は空いてないけど目が食べたい・・・って・・・
(言いません?)

それと好奇心が旺盛で・・・いくつになってもこれだけは・・・治らないようで・・・
これを食べたらどうなるか?
これを飲んだらどうなるか?

良く噛まないで早食いしたらどんな感じで、苦しさはどんなふう?

お酒の種類によって酔い方が違うとか・・・?

とか・とか・とか・・・・

すご~~~くためしてみた~~~い

我慢できな~~~い状態なんです。・・・いま・・・












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涙の種類。

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
今朝、気がついたのですが・・・

携帯の送信待ちメールを発見しました。
記憶になく、見てみると・・・

入院中に、痛みがひどい時に気を紛らせるために打ったものでした。

今はだいぶ元気ですが、この頃は最悪の状態で・・・痛みの原因が分かり・・・ホッ

そういえば恥ずかしながら泣いたような気がします・・・
背中の痛みと、呼吸の度の痛み、今まで経験したことのない痛み・・・
ふ・あ・ん・・・・不安・・・

たしかこんなことを思いました。

「人間ってどのくらいの痛みに耐えられるんだろう?
死ぬ時はこれよりもずっと痛みがあるのかしら?
それならちょっと死にたくないなぁ・・・?
この痛みで充分・・・これ以上の痛みは経験したくない・・・」

そして幼いころを思い出しました。
丈夫な体質なので、滅多に病気になったことはないのですが・・・
小学生の頃、10歳くらいかな?ひどい風邪をこじらせて寝込んだことがあります。

そのことを携帯に打っていたようです。


【子供のころ病気で流した涙は痛みを訴えるためと、

母が心配してくれるのを期待するためでもあった。

その涙はすこし甘い涙だったような記憶がある。

いまは手術後なので痛みは当たり前。
でもこう毎日続くと・・・痛みの終わりがないような気がしてくる・・・

辛くて苦しくて心ぼそくて流す涙は・・・意味もなく・・・ただ流れるだけ・・・

泣いたって痛みが和らぐわけではないのに。

ただひたすらあの頃のことが懐かしい。

ひたすら母が思いだされてならない。】

今見るとホント恥ずかしいのですが・・・

実は、手術中、麻酔が効いてる時に、亡くなった母が会いに来て励ましてくれるんじゃないかしら?なんて期待していたんです。

幽体離脱みたいな感じで、母のところに時空を飛び越えて会いに行ったりとかできるんじゃないかなぁ~?

なんて、非現実的なことを・・・もしかしたら・・・なんて・・・






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癌と付き合う

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
外来での診察の会話。

「切除後の残った胃に発生したがんを残胃がんといいます。
切除後の検査を必ず受けて早期に発見することが大切。

それと、肺や肝臓に転移する可能性もごくごく低い確率ですがあります。
定期的に検査をしましょう。」
と先生。

「残った胃に転移するんですか?」

「可能性があるということで、あまり神経質に考える必要はないですよ。
とにかく早期癌には間違いなかったんですからね。」

「はい。これからも検査の方よろしくお願いします。」

「とにかく食事を1日に6回くらいに分けて食べる。
ゆっくりと時間をかけてね。
基本的に何を食べても構いません。
ただ人によっては、脂っこい物や炭酸系の物を受け付けないとか、気分が悪くなったりとかがありますから注意しながら始めてください。」

「あの~?お酒は?」(思い切って聞いてみる。どきっ)

「お酒?いいですよ飲んで。何が好きですかお酒は?」

「え~と、ワイン・シャンパン・焼酎・日本酒・ウイスキーやブランディなんかも、その時の気分で・・・ビールものどが渇いた時や、仕事の打ち上げの時とか・・・」
(ほとんど全酒類制覇?きゃあ~)

「うん。うん。これからは安いお酒になるかもしれませんよ。
炭酸系・・・ビールやシャンパンは量が飲めなくなるだろうし・・・以前と比べて格段にアルコールに弱くなる人がほとんどです。
すぐに酔っぱらちゃう。
安上がりの体質に変わっているかもしれないですね?
ただ、ごくたまに、胃の手術を受ける前よりもお酒が美味くなって飲めるようになったとか、以前よりも強くなったとかいう人もいますが・・・
まあまあ・・・ゆっくりと楽しんでください。」

と、お酒解禁令が出されました。





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退院後はじめての診察

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
退院して初めての外来。
今日は手術で切り取った胃の組織検査の結果が分かる日です。

リンパ転移があるか、組織検査の結果で他に転移があるかが分かります。

まぁ運を天に任せるしかないのですが、やはりドキドキです。

結果はいまのところリンパに転移はなくステージⅡでした。
したがって、これからも癌とのお付き合いは続きます。



*****参考まで*****

【ⅠA、ⅠB、Ⅱ、ⅢA、ⅢB、Ⅳの6つのステージに分けられているもので、ⅠAやⅠBが早期にがんということになります。早期であれば、内視鏡での手術や比較的切除範囲の狭い手術で対応できるものがあります。Ⅱ程度であれば、胃の切除手術により治る可能性が高いといわれています。ⅢAやⅢBは、進行がみられるものの、まだ手術によって治る可能性があるものです。Ⅳは、遠隔転移が起こっている状態で、現在の医学では治すのが難しいとされています。いわゆる末期の状態です。この状態での治療は、手術、抗がん剤による治療、放射線療法、症状を抑える治療などが中心になります。】



癌になってみて、改めて胃の働きのありがたさがわかりました。
今となっては遅いのですが、もっと大事にしてあげれば良かったと・・・(残念)
いや、良くここまで頑張ってくれたと感謝もしています。
(暴飲暴食・時差めちゃくちゃ・季節感なし・立ち食い早食い当たり前の職業柄もありますが)

胃は、食物を攪拌(かくはん)し、水やアルコールを吸収し、ビタミンB12の吸収を助け、強い酸で内容物を殺菌したり、食物の消化・吸収に重要な役割を果たしているそうです。
その胃が3分の2無くなったわけで注意しなければいけないことがたくさんあります。

暴飲暴食は厳禁です。(残念)
胃の代わりを良く噛むということで補うこと。
1回の食事量については、自分の適量を把握する。
大切なことは食べ過ぎないように、常に腹6~7分目を目安にする。
簡単なようで非常に難しいこととと思われます。(私には)
といったようなことを、退院前に説明されました。

検診後に食事療法のアドバイスを受けました。
今回は栄養士の先生曰く

「胃の切除手術を受けた以上、胃切除後症候群を回避するのは難しいことと諦めましょう。
何らかの症状は必ず現れるものだと自覚して、からだに取り入れるエネルギーと消費するエネルギーのバランスをとり、ウォーキングなど適度な有酸素運動を続けて骨量と筋肉量を増やし、体重の増加を図ることも大切です。

あまり神経質になって、日に何度も体重を測ったり、食事をすることが怖くなったりしないように気をつけてくださいね。」
というお言葉。

「あの~、食欲もありますし・・・食べ過ぎないように気をつけてはいますが・・・日に何度も体重を測ったりはしています。
痩せないかなぁ~と思って・・・でも増えましたけど・・・異常でしょうか?」

「いえいえ。基本的にゆっくりと、食べ過ぎなければいいんです。体重も一気に減る患者さんが多いということで。
でも食欲があるなら良かったですね。順調ということですよ。何か心配なことはありませんか?」

「え~~~と。まだ食べてはいけないとされているものなんですが・・・おせんべいや、イカ・タコ・貝類・ラーメン・・・試してみるには早すぎですか?」

「おせんべいはいいですよ。良く噛んでいただければ。生ものはもう少し様子を見ましょうか?胃からの胃酸がでないので食べ物の殺菌力が弱いんですね。生ものは注意が必要なんです。」

「じゃぁ・・・お寿司は無理ですか?ゆっくりと良く噛んでも・・・?」

なんて会話をダラダラと続け、栄養士の先生も根気強く答えてくださる。
こうやって振り返って書いていると恥ずかしくなってきました。

でもでも・・・食べることって楽しみですよね。




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癌患者の大浴場

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
入院中は毎朝食事のあとになるべく散歩をすることにしていました。

胃がんの手術後の食事に大切なことはよく噛んでゆっくりと、少量づつ食べることです。

それと食事のあとは横にならず、なるべく30分は座って(または立って)過ごすこと。
胃から食道に食べ物が逆流しやすくなっているからだそうです。

そんなこともあり、ただじっと座っているのはつまらないので、ゆっくりと病院内を散歩することにしたのです。

散歩を始めてみると、私と同じ動機なのか散歩をしている患者さんにたくさん会います。

ラウンジに腰かけて一休みしながら患者同士の会話が始まります。

これから手術を受ける人。(身体に管が付いていない)

終わった人。
(身体に管が付いていて、いろんな点滴をぶら下げたスタンドをひきずっている。)

手術ができなくて抗がん剤治療の人。

状況によってさまざまです。

そんな中、まだ若い?と思われる男性に、話しかけられました。

その中年の男性は1階から7階まで階段で上がってきたそうです。

「手術の前の体力作りですよ。
肺を鍛えておかないと。
手術に耐えるには肺活量が勝負ですから。」

「これから手術なんですか?じゃぁ、それは?」
と、男性の体には管を通して袋に何かがたまっているのを指さす。

「これね。これは胆汁ですよ。
この溜まった胆汁をまた、飲むんですよ。
苦くてねぇ、私はコーラで割って飲んでるけど、それでも苦いよ。」

「どこの癌なんですか?」

「すい臓。それと十二指腸にもね。
今の症状は黄疸がでてるけど。
体の奥のほうの癌だから・・・内臓をかき分けての手術で8時間くらいかかるんだよ」
と、とにかく前向き。

72歳の綺麗なおばさま。顔色が悪い。

「私は食道がんで・・・いまは何も食べられなくて・・・水も吐いてしまう
抗がん剤と、放射線治療ですよ。
ずっと具合が悪いのを我慢してだましだまし生活してたから、癌だと言われた時はやっぱり・・・と思ったわ。
もう手術ができないと言われたからこのままなにもしないでと思ったけど、家族がどうしても治療してほしいというもんだから・・・ここを紹介されて・・・
私はもういいんですよ。早く死にたいだけ・・・」

はぁ~何も言えない。ただ話を聞いてあげるだけしかできない。

月・水・金は展望大浴場に女性が入れる日です。
それ以外は、小さなユニットバスを予約して使わなければいけないので、ゆっくりと広いお風呂に浸かれるこの日が楽しみなのです。

抗生剤の点滴が終わってお風呂に入れるように処置してもらう。

お風呂は結構空いていました。
まずは、ゆっくりと湯船につかる。
9階にあるので外の景色もよく見え、入院している身としては極楽。
まるで温泉気分。

胃の手術傷痕がまだ怖いくらい生々しいけれど・・・。

身体を全身鏡に映して見る。
人間って不思議だなぁとしみじみ思う。

胸の下の真ん中からお臍のうえまでのホチキスで止めたような傷跡。
一見すると、本当にサイボーグみたい。

普通の温泉なら他の人に見られないように気を使うところだが、ここでは全員が癌患者なので気にする必要もない。

湯船に温泉気分でゆっくりと使っていると、後から入ってきた方が私を見て(かなり生々しい傷痕なので、胃がんの手術後ということがすぐわかる)

「胃がんですか?私もですよ。全摘出しました。」

「えっそうですか?私は3分の2摘出です。今日抜糸したので、やっとお風呂に入れました。」

「あら、残せて良かったですねぇ~。
私は毎年人間ドッグ受けていたのに・・・バリウム検査ではわからないらしいですね。
ちょっと胃が・・・と思って胃カメラの検査をしたら・・・もう胃の中全部に癌細胞が・・・べっとりと広がっていて・・・
こういう癌はバリウムでは見つけにくいんですって・・・
そして即手術、脾臓までとりました・・・そうして今回は抗がん剤治療のための入院なんですよ。
10日間です。
でもここはいいわ。
皆さん癌だし、私のように抗がん剤治療の人が、お仲間がたくさんいるので元気づけらます。」

「あら~わたしはもう抗癌剤治療は7年ですよ。
もうすぐ8年になるかしら・・・こうして生きていられるからありがたいと思ってますよ。
吐き気やなんかつらいことはつらいけど、次の抗がん剤治療までは元気だし。
だんだんと慣れてくるもんですよ。」

お風呂の中でこんな井戸端会議が始まります。

ものすごく元気づけられる、大切な時間でもあります。



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手術1週間で抜糸。

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
背中に溜まった水にばい菌が入り、そのため辛かった症状もだいぶ良くなり熱も下がってきました。
毎朝体重を計るのが楽しくて♪
ぐんぐん元気になってきました。

朝、熱と血圧を量りに来た看護師さんが

「なんだか、上手く痩せて顔が一回り小さくなりましたね。
ほ~んと、すっきり。」

「ふふふ・・・今の楽しみは痩せることだけなんですよ。どれだけ痩せるかな?」

「だめだめ、胃がんの手術をしたんですよ。メタボの手術したわけじゃないんですから。痩せるのが目的ではないから、ちゃんとお食事もしてくださいね。」

「胃を切って縫ったおかげで、ウエストがはっきりとくびれが出来たんだけど・・・その下の・・・お腹がね・・・腹筋しなきゃ」

「まだまだ・・・無理しないでください。抜糸もしてないんですから」
と叱られる。

それを聞きつけた三枝子さん。5年以内に転移する確率50%

「胃癌はいいわねぇ。
私は大腸だから、あまり体重が減らないみたい。
全然痩せないし。お腹の脂肪が気になって。
大腸の手術の前までに脂肪を減らすようにって言われたけど・・・無理なのよ。
体重とお腹の脂肪とは別物なのよね。」

「そうそう。」
と看護師さんも含め全員でうなずく。(笑い)

良かった。三枝子さんも明るく元気になって。
冗談まで言えるようになりました。

その時、絶妙なタイミングで杉山先生登場。

「ここは賑やかでいいですね。
さっ、抜糸しますよ。お腹の管も抜いちゃいます。」
と軽~く言ってくれる。

「え~~~ 心の準備が・・・そんな突然・・・」

「手術して1週間後に抜糸するのが一番いいんです。」

「いっいっ、痛くありません?管も取っちゃうんですか?そんな1度にそんなこと・・・大丈夫なんでしょうか?」

「あっという間に終わります。(例の口調で)簡単です。ちょっとチクッとするだけです・・・」

と言っているうちに終わってしまいました。
チクッというよりは痛かったけど・・・想像よりは全然平気でした。

「今日からシャワーを浴びても良いですよ。明日はお風呂に浸かっても大丈夫です。傷も綺麗ですね。」

先生が去った後、自分のおなかの傷を覗いて見る。
う~~~ん。なんか不思議。

まだ切って1週間で、くっついちゃうんだ。

まだちょっと二枚の皮が上手く合わさっていないような・・・ピッタリとは云えないけど・・・でもきれいに傷跡が目立たなくなる予感は確かにある・・・。

人間の体って不思議だ。
神秘だ。






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親子で癌を患う。

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
以前お話しましたが父も3年前に胃がんの手術をしています。


私たち親子は揃って同じ胃癌なんです。

まさかこんなことになろうとは夢にも思いませんでしたが・・・

3年前の夏、父が脱水症状と貧血で緊急に入院すると連絡があり慌てて家族が実家の新潟に集結しました。

母が亡くなって一人暮らしの父。
専業主婦だった母は何不自由のないよう父の世話をしていた為に、母が亡くなった後はどんなに不自由な思いをしたかは想像するにたやすい。

そのことが分かっていたのに、たまたま姉が近くに住んでいるので、様子を見てくれることをいいことに私はあまり実家に帰っていませんでした。

母が元気な頃はしょっちゅう実家に帰ったり、旅行に連れていったりしていたのですが・・・

その年の夏は猛暑で・・・
久しぶりに会う父は、確かに痩せてやつれているように見えました。

病院に付き添ってくれ、説明を受けた姉の話では

「胃から出血しているので、貧血がひどいらしいの。たぶん胃癌だと思われるって。手術できるかどうかを即入院して調べましょうって言われたんだけど・・・
お父さんが、今日は子供たちが心配して来てくれることになっているので、入院は明日からにしてください。って先生に頼んだのよ。だから明日早く入院ということになったの。だいたいの準備はしたけど。」

翌日姉と私と弟と、3人が付き添って、地元の病院に入院しました。
検査の結果、手術が可能ということで体力の回復を待って手術が行われました。

私たち3人はこうなってみて改めて、もっと父の様子を見守ってあげていれば良かったと話し合い、後悔したものです。

手術当日は仕事を休んで病院に集合、無事に終わりますように。
助かりますようにと祈り続け、予定より手術が長引いて不安にかられ、ようやく終わった時にはホッとしました。

手術後、執刀医の先生からの説明を受けます。

「お父さんは高齢のためと、思っていたよりも広範囲に癌が出来ていた為に時間がかかりました。目で見える範囲は全部切り取りましたが・・・内臓を持った手の感触。私の手術の経験からですが、目では確認はできませんが、すでに転移していると思われます。あくまでも私の触った感触ですが・・・一旦は元気になられるとは思いますが・・・1年もったら、1年生きることができたら幸運だと思ってください。」

そう言われた時はやはりショックでした。

あれから3年目になります。

私たちはその後、皆で相談して、父を、国立がんセンターでアフターケアを受けさせることにしました。

3カ月に一度検査を受けています。
今回も検査を受けに1月の中旬にこちらにきました。

父が検査を受けて、結果が分かるまで、私の入院と重なってしまいました。

父の検査結果は異状なしで次回の検査は半年後で良くなりました。

9階の展望レストランで昼食を取るところに、点滴のスタンドを引きづりながら現れた私を見て
「気をつけろよ」
と、ひとこと。

立場が逆転してしまいました。

私も退院し、順調に回復しています。

そして父は今日、新潟に帰りました。(まだ寒いのに!)



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痛みの原因が判明・・・ホッ・・・

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
辛い現実を目の当たりにすると何とも言えない気分になります。

そんな時、気晴らしと暇つぶしを兼ねて、病院の1階に行くことにしています。
病院の1階には図書館があるのです。

広いロビーに受付や清算するカウンターなどがずらっと並び、またその先に外来の病棟もあります。
その一角に図書館が3か所ほどあり、入院患者や外来やその付き添いで来ている人が利用しています。
あちこちにボランティアの人がいて、広い病院内をまごついている人なんかの手助けをしてくれています。

いつもここに来ると思うのですが、広い病院が狭く思えるほど患者さんとその付き添いの人で溢れています。
どこの病院もそうでしょうが、ちょっと特殊なのがここは癌専門病院だということ。
癌以外の病気の人はいないのです。

だから入院生活に慣れてくると癌になるのはあたりまえのことで、癌にならない人の方が珍しいような、そんな不思議な感覚が身についてきます。

日常会話の挨拶のように、始めて会う人同士の最初の会話は、どこの癌ですか?手術はこれから?どちらから紹介されて・・・何回目?
といったように・・・それがあたりまえなのがちょっと不思議ではありますが。

私は胃癌で3分の2の胃の切除の手術も無事にすんだわけで、井戸端会議ではなんとなく先輩格になってまいりました。

これから手術を受ける人に偉そうにアドバイスをしたり・・・励ましたりして・・・入院したばかりの頃、そんなことがすごく有り難かったし・・・

そんな中、手術後はメキメキと回復と思いきや・・・?痛い・・・?

井戸端会議のメンバーたちは腸の癌の人ばかりで、胃がんは私だけ。
もうすでに退院された年配のおじさまが確か胃癌だっただけなんですね(私の知る限りですが)

「どこが癌なの?」
「胃がんです」
「ほぉ~ 僕と同じだね。どのくらい切るの」
「3分の2切除の予定です。」
「ああ~そう。僕は全摘出でね。とにかく手術の後は痛くて痛くて・・・最初の2,3日は眠れなかった・・・痛くてねぇ~」
「そうですか?そんなに痛いんですか?(ドキドキ・・・不安)」
「全摘出だからね。」
と言いながら胃のあたりをいとおしそうに、ずっとさすっていられました。

その話を聞きつけたゆう子さんは

「心配ないって。大丈夫。男は痛みに弱いのよ。癌の手術をした人の話はいろいろ聞いてるけど、男の方が女よりずっと痛みに弱いの。」

「そうですか~~~?そういえばもし男の人がお産をするとしたら、痛みのショックでほとんどの人が死んじゃうって聞いたことがあります(ほんとか?)」

「そうそう。お産は麻酔もなしだし。私も大腸癌の手術なんかよりずっと苦しかったわ。痛みの種類も違うけどね。」

「知り合いのお医者さんも言ってたわよ。同じ怪我をして同じように出血したりしても女の方が助かる率が高いんですって。男の人は出血のショックや痛みのショックには耐えられないようにできてるらしいの。神様も罪よねぇ」

なんて会話に発展してしまいました。

ところがところが・・・私は男並みに痛みに弱いのかなぁ?・・・
と悲しいけれど・・・手術後の痛みが良くなりません。

手術後5日目から5分粥の食事が始まる予定なのですが・・・
昨日は痛みどめの飲み薬を飲んで眠ったのですが、目が覚めてしまい背中が痛くて痛くて・・・もちろんお腹も痛いし・・・呼吸をするたびに胸も痛く・・・息が上手く吸えないような感じで・・・

また看護師さんの
「痛みは我慢しなくていいんですよ~」
の声が聞こえてきて・・・ついにナースコールして・・・痛みどめの点滴を・・・すぐに効いて眠くなり・・・すぐに切れて目が覚めて・・・どうしよう・・・痛いよ・・・後はどんな方法があるんだろう?痛みを止めるには?・・・もう一度麻酔を・・・打って・・・打ってほしい~・・・

そして再びナースコールしました。
今度は痛みどめの座薬となりました。
始めての経験です。座薬を使ったのは。

これでどうにか、少し眠れ、朝を迎えました。

起きてすぐ、ゆっくりと体重を量りにナースステーションへ。(少しでも減るようにとトイレを済ませてから)

このころから500グラムづつ体重が減少を始めました。
今の喜びは、これです。体重を量り、減った体重に満足する。すごくうれしい。

その後、杉山先生が昨日の痛みどめの件で心配してきてくれました。

「お腹のエコーを撮りますね。あとは腸と胃と正常につながったかどうか造影剤で検査しましょう。食事はもうちょっと先にしましょう。」
だって。
そのあとに偉い?木下先生が
「痛みは人それぞれ。痛いと感じる人もいれば、同じ状況でもそんなに感じない人もいる。痛いからって心配しなくても良いから。手術は予定通りにうまくいってるからね。」
と不安を取り除いてくれる・・・のつもりだろうけど・・・

私としては、私って痛みに弱いの?割と我慢強いはずなんだけど・・・と不安がまたまた頭を持ち上げてくる・・・
それと・・・あ~あ~ご飯はまだか・・・がっくし・・・

造影剤の検査は何ともなく翌日から5分粥にしますと言われうれしい♪
やはり、何の異常もなく、私は痛みに弱い人間だったのか~と、思った。

しかし・・・またもや・・・夜中に背中の痛みで目が覚めてしまった。
痛いし寒い。
なんだろう?
毛布を一枚持ってきてもらう。
ついでに痛みどめの点滴も。

寒い。
そうだ熱を測ってみよう。と思いついて計ると39度近くある。
寒い、寒いと思いつつもそのまま寝入ってしまい朝が来た。

大好きな体重を量る。(しかしこの日は前日とほぼ同じ体重。ガクッ)

様子を見に来てくれた先生に昨晩の話をする。

「熱が出ましたか?」
「はい。だいたい37度台だったのですが、昨日は38度以上で・・・でも37度台でも私は平熱が低いので、つらいんですがそれ以上で・・・昨日は寒気もしたし・・・」

「このあとCT検査をしましょう。念のために。朝食はちょっと食べないでください。」
と言われ・・・うらめしい・・・

しかし、CT検査の結果、背中の後ろに水が溜まっていて、そこにどうやらばい菌が入り、それで熱も出て痛みがあったということが判明しました。

この日から点滴がまたまた増えました。(抗生剤)

このことで私は弱虫ではなかったと証明されて、かなりうれしい。(子供のころから強い子と言われていたので)

そして抗生剤が効いてきたのか痛みも軽くなりました。

どうやら本当に痛みの峠は越えたようです。





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つらい現実

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
ラウンジで井戸端会議メンバーで一番の元気印のゆう子さんと三枝子さんのことを心配していると、そこへご家族の方がいらっしゃいました。

「昨日はご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。」

「いいんですよ。全然気になさらないで。お互いさまなんですもの。ところで三枝子さんは納得されました?」

「はい。最初はなかなか信じてくれませんでしたが、私たちも先生から本人が言われたことと同じことしか聞いていませんし・・・そう何度も言いましたら・・・やっとわかってくれたようです。」

「良かった~。あんなに落ち込んでは良くなるものも良くなりませんし。ご家族も大変でしょうけれど、一番ショックなのは本人なんですから。私達にはその気持が良く分かります。大丈夫。すぐに立ち直りますよ。私も経験者ですから。」

ご家族の方も疲れたご様子で、今後ともよろしくお願いしますと挨拶されてお帰りになりました。

この元気印のゆう子さん。
私が入院した時に最初に声をかけてくれた人です。
凄く明るくてとても病気とは思えない。

癌になる前は山登りが趣味で、日本だけではなくカナダやアルプスの山々、中国やアジアなど、世界中を節約登山と称してお仲間たちとお金をかけず、登山旅行を趣味としていたのだそうです。

専業主婦だというゆう子さんですが、お話は百戦錬磨の超キャリアウーマンといった感じなんです。とてもパワフル。

彼女は大腸癌。
それもかなり進んでいて、見つかった時には即手術といわれたそうです。
自覚症状は全くなし。寝耳に水状態だったと言います。
入院した病院では肛門を残すことは難しく、人工肛門の手術となる説明を受けたそうです。

「人生明日はわからない」とは良く言い当てたもの。
思いもしないところで人生行路の大暗転に遭遇、この私がガン・人工肛門という重荷を背負って、60路坂にさしかかることになろうとは夢にも思わなかった。
最初はどうしたら良いのか?
とにかく人工肛門だけでも・・・どうにかできないか・・・?
何度も担当医師と話し合いをしたそうです。

インターネットでこの病院を知り、担当医と相談して、紹介状を書いてもらいこの病院の門をくぐったのだそうです。

この病院では、癌切除の大腸癌手術で半年間だけストーマ(人工肛門)で、半年後の再手術で元のように自分の体で排泄できることが可能という診断が下りました。

これを聞いてゆう子さんは悩んだそうです。
最初の病院では手術日まで決まっていたことと、再手術がうまくいくかどうかは可能性に賭けるということになります。

担当医の先生が、
「手術台に乗る直前まで考えて、いつ中止しても良いから自分の考えで決めてください」という一言と、
息子さんが
「後で後悔しないように」
という一言で、お世話になって申し訳ないけれど、たとえ失敗でも仕方ないと覚悟してこの病院での手術を決めたのだそうです。

そういう経緯を経て今は無事に手術に成功し、私たちを励ますことに徹しているのだそうです。

ゆう子さんとおなじように、私が入院した時からお世話になった井戸端会議のメンバー大山さんは幼稚園の園長先生。
ずっと忙しく人生を走り続けた挙句が癌。
最初は胃癌と診断されて入院したけれど、調べていくうちに転移も見つかり手術はできないという結論を下されてしまった一人です。

とても優しくて穏やかで、明るくて。
今ではご自身の病気を受け入れて、無理せずに向き合っていこうと思えるようになったと話してくれます。
私が痛いと愚痴をこぼすと、
「いいじゃない。切った痛みでしょ。うらやましいわ。手術が出来て」
なんて言って明るく励ましてくれます。

その大山さんは抗がん剤治療に変更ということで、病棟が変わり、お会いすることが少なくなってしまいました・・・淋しい・・・
(癌の症状や治療法、部位によって病棟が別れている。)

あっちをむいてもこちらを見ても入院患者はすべての人が癌患者。
そういう私も癌患者の一人です。



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胃がん手術の翌日歩きます。

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
開腹手術の翌日は、普通の病院ではベッドに起き上がる練習をして、その翌日、手術後2日目に歩く練習を行うというのが定番のようです。
しかし、ここ国立がんセンターではよほどのことがない限り翌日から歩行訓練を行います。
早ければ早いほど、術後の内臓癒着の危険が減るからだそうです。

とはいうものの、まぁやればできる、意外と、ただし痛~いし、縫ったところがほころびはしないかと心配?といったところです。

体重は思いもかけず増えたもののこの日から水分も取れるし、日に日に回復して痛みも軽くなるはず・・・と、単純に思い込んでいましたが・・・

この日の夜から痛みがひどく、特に背中が痛い。
寝返りも苦しくて打てないし、何とか横向きになりつつ・・・と思うとお腹に激痛が走ります。
それなのにそれなのに・・・点滴のせいでトイレが近い。

真夜中にひとりで起き上がり、トイレに点滴のスタンドにつかまり行くのは結構辛い。
痛み止めが効いてやっと眠れそうな予感とともに・・・トイレの恐怖が湧きあがり行かないと気が済まない。
ようやくベッドに横になる頃には、もう痛み止めが切れてしまったりして・・・(気のせいかそう感じる)
あまり良く眠れないままに長い夜が終わり、朝になると少し元気になります。

そしてナースステーションまで歩き、体重を計ります。
この日も体重は減るどころか、手術前の2キロ増(1キロ減ったか?)
生まれてこのかた何日も食べ物を口にしなかったことは初めてなのに!
体重は減らない。
かなりの脂肪を蓄えているってことなんでしょうか?(ガクッ)

担当医の杉山先生が様子を見に来てくれます。
「お早うございます。どうですか?ねむれましたか?」

「いいえ。痛みがひどくて。点滴からの痛み止めもあまり効かないような?それにトイレが近くて・・・(愚痴)」

「それじゃあ飲み薬の痛み止めも処方しときましょうか。このほうが痛みに効くという人もいますから。」

「えっそうですか?ぜひお願いします。たくさん下さい。安心なので」

「10錠出しますが、1回1錠です。8時間空けて飲むようにしてください。他に変わったことはありませんか?ちゃんと歩いてますか?」

「先生!トイレに行く回数をカウントしたらかなりの距離を歩いていると思いますよ。もうサンダル履いて歩いてます。」

「頑張ってなるべく歩くようにしてくださいね。それと今朝の採血で鉄分が足りないようなので、貧血がひどくなるといけないから、鉄分を点滴します。2,3日ですが。」

「え~ 私って血が濃い方で鉄分が少ないなんて言われたことはないんですけど?」

「手術を受けるとそうなる人が多いんです。全く心配はいりませんが」

というわけで、点滴の袋がまたひとつ増えてしまった。(泣く)

午後になり(絶食中)私よりも1日早く大腸癌の手術を受けた、お隣の三枝子さんにまだ会っていなかったのでちょっと覗いて見る。

三枝子さんは大腸癌だけど、軽い方でお腹に4か所穴をあけての手術。
開腹手術ではないので私よりも元気なはずなんだけど・・・

なんだか顔色が良くないし、元気がない。
聞くと、手術をしてみたらお腹の脂肪が思っていたより厚かったことと、大腸の癌が腸の裏側にまで転移していて、癌を切り取るのにかなり時間がかかり、大手術となったそうだ。

「手術の前までに痩せなさいと言われて頑張ったのよ。これでも。でもお腹って一番痩せない部分じゃない。体重は落としたけど。思ったより皮下脂肪が厚いなんて言われて・・・だったら脂肪吸引でもしてくれればいいのに・・・」

「ホント。女性にそれはないですよね。」

「それだけじゃないのよ。5年以内に再発する可能性が80%って言われて・・・癌になっただけでもショックで、怖い手術もやっと済んだと思ったら・・・もうすぐまた再発するかと思うと・・・どうして・・・わたしが・・・」

慰める言葉に窮していると、そこへご家族の方が数名いらっしゃいましたので、ひとまずラウンジへと退散しました。

そこで三枝子さんと同室のゆう子さんも。

「昨晩は三枝子さん大変だったのよ。熱も39度以上も出たみたいで先生や看護師さんが一晩中入れ替わり立ち替わりいらして・・・
ちょっと間が空いた時にトイレに行くって立ち上がって、ふらふらと出て行きそうになったから後ろから付いて行ったら、倒れそうになっちゃって・・・心配で私が付いていったから良かったけど・・・倒れるところだったの・・・もう朦朧としちゃって・・・転移していたのがよほどショックだったのね・・・」

「可哀想に・・・じゃぁ三枝子さんもゆう子さんも昨日は眠れなかったんですね。」

「そう。三枝子さんのところに今ご家族が見えてるでしょう?手術後の説明で何を言われたのか確認のために呼んだみたい。彼女はもうすでに転移して、自分は手遅れなんじゃないか?自分には言わなかったけれど家族にはそう説明したんじゃないかって思っているみたい。この病院は本人にはっきりと告知するはずよって言ったんだけど・・・ご家族から聞かないと信じられないらしいの」

「無理ないかも知れない。あんなに癌になったことにショックを受けていて・・・完全に受け入れないままに手術した感じだったし・・・それに当初は簡単な初期の大腸癌といわれていたんですから。」

この病院に来て初めて現実を見せ付けられ、暗い気分になったのでした。





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手術って・・・こんな感じ・・・?

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
胃癌だと言われた時はが~~~んとショックを受けたけれど、へこんでも悲しんでも考えても状況が変わるわけもない。
そういった現実に冷静にたどり着くまでは若干時間がかかりました。

しかし、悟ってからは癌という病気、病院の様子、癌患者、手術、医療の現場などなどしっかりと見据えて、感じて、記憶しようと心に決めていました。

なのに、肝心の手術のことが全く記憶になく・・・良いことなのでしょうが・・・空っぽの現実というか・・・このことで手術自体、本人は痛くも痒くもないということが良く分かったということだけです。

しかし、いったん、痛みに目覚めると我慢がきかない。

手術前に看護師さんに言われた甘い誘惑の言葉
「痛みは我慢しなくていいんですよ~~~」
この言葉がリフレインのように響いてくる。

気がつくと身体にいろんな管が付いている。
一番嫌なのが鼻からの管。喉にあたって不快なんです。

見回すと、機械で24時間定期的に血圧を測っているのがわかります。
大きくゆっくりと深呼吸を繰り返すと血圧が下がるという発見もしました。

熱も39度くらいはあったような感じがします。
何時か分からないけれど、杉本先生がわたしの鼻の管から流れ出ている液体を注射器で取り、お腹から出ている管から溜まった液体も採取しました。

これによって状態が分かるのだそうです。

この日は一体何時間眠ったのでしょうか?
長かったような、短かったような・・・

痛いか眠っているかどちらかなのですから。

そして翌朝になりました。
7時過ぎていたくらいでしょうか?
杉本先生が来て
「おはようございます。どうですか?これから私が付き添いますから歩きましょう。
その前に先ず鼻の管を抜きますね。」

まったく心の準備が出来ていないことをいいことに、嫌がる間もなくすっっ~す~と、鼻の管を抜かれました。

これがなんと言ったらいいのか、説明のつかない、説明のしようがない、変~~な~、気持ち悪~~~い、うううっ~~~というか・・・
ぎゃぁと叫ぶ前には終わっているというたぐいのもので、いまも嫌な奇妙な感覚だけが残り、具体的に説明はできませんが。

酸素マスクを一旦はずし、ベットを起こしてもらいます。

「ゆっくり、ゆっくりでいいですから、体を起こして・・・大丈夫ですか?」

「はい。痛いけど、何とか起きられそうです。」

「足をこちらに出して、スリッパを履きます。あれっスリッパは?」

「これです。これを履きます。」
と低いヒールの可愛いサンダルをスリッパ代わりに使っていたので、それを指さします。

「えっこのサンダルですか?」

「はい。滑らないし、履き心地が良いので、ずっとこれを履いてますけど。」

と、このやり取りを聞いていた井戸端会議のメンバーの一人が

「これ使って。手術の後に歩かされる人をたくさん見てきたけど、サンダルの人は今まで見たことがないわよ。ねぇ~先生。危ないですわねぇ~ これ使って、このスリッパ」
と慌てて持ってきてくれた。

ちょっと不満だったけど(お気に入りのスリッパなので)先生もそうだという様子でうなずくので仕方なくお借りする。

時間をかけてようやく立ち上がる。
このやり取りのおかげで外野の人数が増えてしまった中を、片手は点滴のスタンドを持ち、片手は杉本先生に支えられながらゆっくりと歩く。

頭がふらふらし、めまいのような感じに襲われる。
が、すぐに慣れる。

ナースステーションのところにある体重計に乗るように言われる。
今日から毎日こうやって体重を計るのだそうだ。

手術の前日の夜9時以降から何も食べていない。
期待を胸に恐る恐る・・・慎重に・・・体重計に乗る。

「え~~~~~ しんじられな~~~い。ど、どうして~ 3キロも増えている!」
と、たぶん叫んだような気がする。
別に胃癌の手術をしたわけであって、ダイエットしたわけでもないけど、何で増えるの?と思った。(少なくのも胃の3分2取った分は減っていても?)と、本当に思った。

「手術の直後は、体の中にいろんな薬がまだありますから、2.3キロ増えるのは当たり前なんですよ。大丈夫。安心してください。これから確実に痩せますから。」
と杉本先生に慰められてしまいました。

しかっし、大変なショック!でありました。・・・続く・・・




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ついに来た。手術当日。

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
7時ちょうどに目が覚めました。
とにかくトイレに行かなくては・・・
そのために2日前から下剤を飲まされているんだし・・・
プレッシャーに負けることなく無事に・・・

顔を洗い歯を磨いていても今日が手術という実感がわきません。

何だかそんな自分が不安になってきます。
麻酔をして、背中にモルヒネの管を入れて、鼻からも管・・・
お腹にも管・・・管だらけにされる・・・どんな感じなんだろう?
と想像するのですが・・・それも間もなくそういう状態になるというのに・・・
恐怖心が湧いてこない・・・恐怖心を駆り立てても・・・ダメ。

つくづく鈍いんだ・・・わたしって・・・と呆れてしまいました。
なんだか他人事のような気がするんです・・・

7時40分過ぎに担当医の杉本先生が病室に現れました。
手術に備えての点滴を打つためです。
まだ手術用に着替えていなかった私は10分ほど時間を貰い用意をします。
点滴を打っちゃうと着替えが上手く出来ないので。

手術の際はガーゼの寝巻用浴衣と決まっているのです。(この病院では)

着替えも済ませ点滴も打ってもらうと、やっと病人らしく見えてきました。

井戸端会議のメンバーが次々と励ましに来てくれます。

「やっと病人らしくなったじゃない?大丈夫。ぜ~んぜん痛くないわよ。眠っているうちに終わっちゃうから」
「そうそう。切れば治るんだから。さっさといってらっしゃい。」
「明日はもう歩くのよ。その時が一番辛いかな~。それに比べれば手術なんてかるいかるい。」

と、すでに手術が終わっている人の明るい励ましのお言葉。

「大丈夫?何時から?点滴は上手く入った?手術用だから点滴の針は太いんでしょ?痛くなかった?」
「どこの癌だっけ?胃?あっそう。全摘出?あっ3分の2。じゃあ大丈夫よ。何時間かかるの?麻酔はまだ?」

なんてどこが大丈夫か分からないけど、自分も手術待ちで不安でたまらない人のお言葉。

8時半に来るように言われているナースステーションの隣の処置室に、皆に手を振り、ガラガラと点滴のスタンドを引きずりながら一人向かいます。

移動用の小さなベッドに横になり、手術の麻酔が良く効くための注射とやらを肩に打ち手術室の待合室へ運ばれます。
このときも意識ははっきりしていて・・・もの珍しく・・・周りを観察したりして

背中にモルヒネの管をさす時に麻酔の先生が
「おっ焼けてるね~見事に」
「癌だとわかる前にプーケットで遊んで来たので・・・」
「かなり長く遊んできたな?うらやましいねえ」
なんて会話をしたのもはっきりと覚えています・・・が・・・

その後は全く記憶がありません。
見事にありません。
もちろん、痛みも何もかも、幻や夢も見ていません。
良くテレビドラマなんかでは手術の最中に夢の中で回想シーンが現れたりしますが、私の場合は全くなし。

術後の回復室でちょっと目が覚めました。
私だけではなく手術が終わった数人が横にずら~とならんでいます。

へぇ~同じ時間に手術した人がたくさんいるんだ~私一人じゃないんだ~さすが、癌専門病院!なんて、何がさすがなのか分かりませんが、そんなことを思ったのを覚えています。
そして次に気がついた時は自分のお部屋。
麻酔が効いていて、痛みどころか、すごく心地よい眠りから覚めたといった感んじ。
手術の結果の説明を受けた家族と面会。心配しているのが分かるけどこちらは本当になんともない。
体にメスが入ったという実感もない。
早朝から病院に拘束された家族の方がよほど病人の様に疲れて見える。

もう心配ないからと帰ってもらう。
そして親しい人に携帯で、無事に手術が済んだことを報告する。

メールを送った人からは驚きの返事が返ってくる。(いい気分)

1時間毎に看護師さんが血圧と体温などのチェックにやってくる。
「痛みは我慢しないでいいですよ。言ってくださいね。痛み止めがいろいろありますから」

「大丈夫です。痛みはありませ~ん♪」
と元気。癌の手術ってこんなもんか~・・・とまたうとうとと・・・

真夜中・・・何時だろう?
なんだか背中が痛いような・・・
あれ・・・鼻の管が喉にあたって痛いような・・・
呼吸をすると苦しいような・・・(酸素吸ってるのに?)

どこがどこだかわからないけど・・・苦しいみたいな・・・
そうだ・・・胃癌の手術をしたんだ・・・麻酔が切れはじめたってこと・・・(不安)・・・
もしかして・・・どんどん痛くなるかも・・・どのくらい痛くなるかな・・・いや痛みは我慢するなって言われたし・・・でもまだまだ・・・うっっどうしよう?・・・ナースコールしようか・・・そろそろ看護師さんが来るかも・・・それまで待ってみようかな・・・そうだ!また麻酔してもらおう・・・
と、ぐずぐず、自分と戦っていると、そこへ待望の看護師さん登場。

すぐに点滴から痛みどめを入れてもらう。
ふうぅ~・・・
うとうとと・・・再び眠りに・・・
と思うと、痛みなのか何なのかよくわからないけど・・・ちょっと苦しい。
今度は躊躇なくナースコールで、痛みどめを点滴で入れてもらう。
一度痛みどめをやってもらうと我慢するのが効かなくなり・・・
またお願いする・・・

この繰り返しで手術当日はゆっくりと過ぎていきました。(イタ!)




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癌って・・・なに?

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
私の手術の前日に大腸癌の手術を受けた三枝子さん。
わたしより7歳年上のお姉さんです。

毎年健診を受けていたのに、突然大腸癌と宣告されたそうです。
彼女はこの病院に私が入院して3日後に入院して来ました。

お隣の病室だということもあり顔を合わせて挨拶したりしているうちにだんだんと親しくなりお話しをするようになりました。

最初は癌という病を受け入れられない様子で、どうして?なぜ?信じられない!
怖い、手術を受けたくない・・・と、かなり参っている様子でした。

そんな彼女を励まして元気にさせた人がゆう子さんです。

ラウンジ友達の一人、ゆう子さんは半年前に大腸癌の手術を受け、ストーマ(人工肛門)を一時造設しました。
今回はそのストーマ閉鎖をするための再手術を受けに来た方です。

ストーマとは人工肛門のことです。
造設の理由はさまざまですが、多くは大腸(小腸)の一部もしくは全部を摘出することによって、肛門の使用が困難になった場合に行われるのだそうです。

ゆう子さんは半年間ストーマを使用し、今回の手術でストーマ(人工肛門)をなくす手術(新肛門手術)によって以前と同じように生活ができるようになりました。

めちゃくちゃ明るくて活発。
山登りが大好きという彼女は、暗く、怯えている三枝子さんに自身の体験を何度も話して、元気づけていました。

三枝子さんはお腹を開腹するのではなく、お腹に穴を4か所開けて癌を摘出する手術です。

それを聞いたゆう子さんは
「な~~~んだ。それなら時間も短いでしょう?手術の時間はどのくらいって言われてる?」

「2,3時間だそうです。」

「そうでしょう。半年前の私は同じ大腸だけど大きかったらしくて、勿論開腹したし、7時間もかかったのよ。それに比べたら大丈夫。切ったら治るんだし。心配ないよ」

「そうですね。ここまできたらくよくよしても仕方ないですものね。」

なんて会話を毎日のように繰り返し、励まし、励まされ、病を受け入れていきます。
大腸癌の人は手術の2日前から準備に入ります。
2日前から絶食・点滴・下剤の投与が始まるのです。

そしていよいよ三枝子さんの手術当日がやってきました。

三枝子さんは手術の順番が2回目なので、1回目の手術が終わったら看護師が知らせてくれて、着替えたりして、30分後に出発して行きました。

「頑張って。明日は私も朝一で手術だからお帰りを迎えてあげられないけど・・・またラウンジでお話しましょう。いってらっしゃい。」
とお見送りをしました。

同じような光景があちらこちらで・・・
手術が毎日のようにたくさん行われているため、珍しく感じません。

あ~あ~、明日はいよいよ私の番か~。
朝一番の手術なので、8時30分になったら出発だ~。
なんか、まだ信じられないような気もするけど・・・現実だ~

私は胃癌の手術なので、大腸と違い、準備というものは特になく。
前々日と前日の夜9時に下剤を飲むだけです。
それ以外は何もなく、前日の夕食も普通に食べて良いのです。

そのため、前日の眠りにつくという段階になっても、まだ、明日手術という実感が湧かず。
こうしている自分が、夢なのか現実なのかよく分からないまま、処方された薬のおかげで熟睡へと・・・深く安らかな気分のまま・・・安眠したのでした。




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癌と告知された時

2009年04月12日 | 癌を患った紙ヒコーキ
私はバリウム検査を受ける前からなんとなく
「今回はやばいぞ。ひっかかるかも?」
なんて予感がしていました。
ちょっとストレス溜まっていたし、胃が痛いのもガスター10でごまかしたり・・・
それでもお酒を飲むのは止めなかったし・・・

バリウム検査にひっかかり、胃カメラの検査を受けた時は胃潰瘍かなと思ってはいました。
胃カメラを受けた医院の先生からの電話を取った瞬間、声を聞くまでもなく胃癌だとわかっていました。
その間数秒だと思うけれど・・・

先生から
「残念ですが、癌細胞が見つかりました。病院に紹介状を書きますからどこの病院にかかるか決めてください。」
と言われた時は、落ちついていました。

これまで、あまり挫折とかを知らず、それなりに恵まれている方だと思っていました。自分の自由に、好きに生きてきました。
ちょっと怖いもの知らずの面もあったと思います。

あたりまえのことが、当たり前に普通で、それがどんなに大切なことだったのかを知らずにいたときがあります。

10年ほど前になります。
仕事が忙しくて、時差とかもきつく、珍しく体調を壊し、変なイヤ~な腹痛に襲われたことがあります。

でも仕事を休む程でもないし・・・
病気とかではなく時差ボケか疲れが貯まったのか・・・?
なんてかる~く考えていました。

気がつくとそういえば・・・月に一度の物がまだ・・・?

まさか、まさか?と思いながら病院へ・・・

そう、妊娠していたのです。初めての妊娠でした。予想もしていない出来事です。
もうあきらめていたので、とてもうれしく、舞い上がってしまいました。

すぐに会社に連絡して産休に入りました。
母や姉たちに連絡し、皆すごく喜んでくれて、特に母は
「お母さんが若いうちに子供を作って。面倒を見てあげられるから。
あまり年取っちゃうと子供の面倒見るのもしんどくなるから。」
と、常日頃からそう言っていたくらいなので、ものすごく喜んでくれて・・・

わたしもすっかり妊婦の気分に・・・
お酒もピタッと止め、食事にも気を遣ったりと・・・楽しかった・・・

それから2週間後の健診。

「どうやら着床していませんね。残念ですが流産です。すぐに手術をしましょう」
と宣告されました。

そのあと、病院からどこをどう歩いて自宅に戻ったのか記憶にありません。

ただ、
へぇ~~こんなことが、私にこんなことが起こるのか~?
妊娠したら子供は生まれるものと、それがあたりまえだと・・・
結婚したら子供が出来るのは普通だと思っていたのに・・・
やっとできたのに・・・
ふ~~~ん。流産なんだ・・・流産・・・
ぶつぶつ、ぶつぶつ・・・とひとりごとを繰り返しつぶやいていました。

手術を受けるために病院の待合室で待っている時が一番辛かったというよりも、自分が不思議でたまりませんでした。

まわりには、大きなお腹の妊婦さんや、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしている人たちが目に入ってきて・・・

どうしてこの中には入れなかったのか、ただただそんな自分が不思議でした。

今思うとこれがはじめて・・・運命というか・・・神様は残酷な試練を与えることもあるのか・・・と発見した最初の出来事でありました。
何が、いつ、予想もつかないことが起こりえる。
それも突然。
油断をしていてはいけない、いつも慌てないように覚悟をしておかないと・・・と漠然と思いもしました。
(大人になったということか?)

それから10数年後・・・
胃癌の告知

正直、癌と言われてが~~~ん!となりました。
が、しかし、冷静に、すんなりと受け入れることができました。

入院してみると、国立がんセンター病院ですから、患者は全員癌と診断されて紹介状を書いてもらって来ている人ばかり。

病を隠す必要もありません。
真剣に思い悩むことが持続しない性格で、すぐに環境に慣れてしまうお調子ものですから、それなりに楽しみ方を見つけてしまう。

ラウンジでお会いする、いろんな患者さん同士の会話は興味深く、考え方や感じ方も様々で、とても大切な時間を共有できたと思います。

人それぞれ感じ方も思いも違うでしょうが、私にとってはとても気が休まる環境でした。

ごめんなさい。ちょっと疲れてきました。
続きは後日。



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