ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

久喜の天王様 ~提灯祭り~

2011-07-13 08:23:13 | 旅・おでかけ

7月12日(火)

あまり祭りに興味がないぴすけなので、今まで住んでいながら行ったことがない久喜の天王様(てんのうさま)。
提灯山車の曳き回しで有名なことから、久喜の提灯祭りとも呼ばれている。
天明3(1873)年の浅間山大噴火で、農作物に被害が出たため
祭礼用の山車を曳き回して豊作を祈願したのが始まりとも伝えられているが
もともと天王様とは、牛頭天王を祭神とする神社の疫病除けの祭礼である。
ぴすけが以前していた民俗の聞き取り調査では、埼玉県東部地域では久喜の天王様は大変有名で
祭りといえば久喜、ほかの町から出張して参加した人もたくさんいたほどであった。


普段ぴすけが利用している近所のクリーニング店や魚屋豆腐屋などで
この時期いつも「お祭り行く?」とか、「一度は行ってみるもんだよ。」と声を掛けてもらっていたので
今年はちょっと行ってもいいかなという気持ちになり、19時過ぎに帰宅したダーリンと共に出掛けてみた。

祭り当日、久喜駅西口の主要な道路は交通規制がかけられている。
我々もそのなかの一部であるのだが、どこから湧いて出たと思うほどの人、人、人

志ん一(旧新町1丁目)の人形、日本武尊。
明治41年の作と伝えられている。
こうした人形が、18日(日)には山車の上に飾られて町内を曳き回され
夜には人形に代わって提灯が組み替えられ、提灯山車となるのである。

西口の大通り(通称提灯祭り通り)に出ると、まるで計って行ったかのように
各町内の提灯山車が曳き回されているところだった。
蝋燭の灯は揺らぎがあるので、風情がある。

山車には、提灯のやぐらが組み立てられてかぶさっているような格好で
山車の上に囃子連が乗って演奏をしながら、若衆が山車を曳き回す。

通りを曲がるときは、迫力がある。

久喜駅西口の駅前通は、普段は人通りさえ少なく、交通量もあまりないのに
提灯山車の曳き回しのため()としか思えないくらい道幅も広い。
そこを山車が次々と曳き回されていく。
提灯やぐらの組み方なのか、電線ぎりぎりというか、電線についてしまうような町内の山車もある。

それにしてもすごい人出だ
道端に座り込んでやきそばやらたこ焼きやらを食べている人あり、歩きながらかき氷を食べている人あり
道路には大量のゴミあり
どうしてこうなってしまうのだろう…
大通りから、駅前商店街に歩みを進め
魚屋(重ちゃん)の旦那さんに、「今日は見に来ました。」と言うと
「これから駅前広場に山車が集合して、そこで山車がクルックルックルックル回るから、見ておいで」と勧められ
比較的空いていると言われた道を歩いて、駅前広場に出た。
待つこと暫し。

駅前商店街の通りから駅前広場に集まった山車は、ロータリーを曳き回されながら所定の位置についた。
スピーカーでなにやら言っているようだが、何を言っているのだか全然聞き取れない。
山車が回る気配も、微塵すらない。
だんだんと帰り始める観衆。
「本当に山車が回るのかな~?」
「クルックルックルックル山車が回るって重ちゃんが言っていたけれど
   回るってそういう意味じゃなくて、駅前広場を回るってこと?
   でもさ~、広場をただ回るだけなら、クルックルックルックルって言う?」
すると…

山車が回った~
これはクルックルックルックルだな


久喜の天王様は18日(日)までで、18日(日)の午後には再び山車の曳き回しが行われる。
この日は人形山車も出るので、12日とはまた異なる趣があるだろう。
提灯山車が方向転換したり、回る時の迫力は感じられるし
なにより蝋燭の灯の揺らぎが大変美しい。
観衆の柄の悪さと道路に散らばる大量のゴミを差し引いて、確かに1回は見ても良いかもね



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
きれいきれい (芝刈り爺さん)
2011-07-13 20:16:30
ちょうちん祭り、うわさには聞いていたけれどきれいなんですね。十分感動です。

10人いれば、そのうち一人二人がごみを捨てる、そうすると1000人がいれば200人くらいがごみを捨てる、町は汚れますね。少数の根性悪が汚しても、でもきっと掃除する人もいて、町は清められるんですね。目立たないけれど、そんな人たちで、世の中は回っているとこのごろ思います。

佐賀県知事、まあこれまたしょうがないけれど、政治家に主義、主張、哲学がないのは、戦前の反動でしょうかね。票を求めてみんなの言うまま気まま。これはちょっとさびしいけれど。
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実際はもっときれいです (ぴすけ)
2011-07-13 22:43:51
夜間に提灯の美しさを撮影するのは、私の技術とコンパクトカメラではなかなか難しく、山車の大きさも周りが暗いため表現できないまま、こんな写真になりました。
実際は、もっときれいです。
久喜の提灯祭りでさえ(?)これほどきれいだなと思うのですから、青森のねぶたや弘前のねぷた、秋田の竿灯などはさぞかしきれいなのでしょうね。
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ごみ その2 (芝刈り爺さん)
2011-07-14 19:59:55
実は私、職場の行き帰り、ごみを拾います。今日は両手に持てないほどの空き缶、ボトルでした。1000人からの人間が通れば、5,6個のごみはまあ可愛いもんか、と(実は腹立ちながら)自分を慰めています。

ともあれ別件、ちょうちんさまはきれいに撮れてます。くるくる感も感じられるし。でも本物はもっときれいなんでしょうね。
ねぶた、確かに勇壮でしたがねぶたそのものは、光りながら動いていく感じ、竿灯は案外ものさびしかったです。ねぷたは心ひかれながらまだ見ていません。お祭り、花(桜)、山など、この国にはきれいなものがたくさんあるんですね。
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私達もごみ拾い (ぴすけ)
2011-07-14 22:11:02
芝刈り爺さん、私とダーリンも、山で柴刈りならぬ、山でごみ拾いをしています。
那須で知り合った、定年後に山登りを始めたという男性が、山歩きの時、1個で良いから途中で見つけたごみを拾うと話してくださり、私達もそれならできるのではないかと始めたのです。
たいていの山では、わざとではなく、知らないうちにポケットから落ちたのだろうとか、何かを出した時に一緒に入っていた袋から落ちたのだろうとか、そんな感じのごみが多いのですが、群馬県の山と奥多摩の山は明らかに捨てているごみが数多くあります。
特に群馬県の山のごみは悪質で、岩の陰に隠したり、穴の中に詰め込んだりして捨てられていて、私たちが出したごみより拾ったごみの方が多くなってしまうこともあります。
山を歩くことで美しさを愛でることができたり、展望を楽しんだり、自然を歩く恩恵を得ているのに、それを汚して帰る人がいることは、とても悲しいことです
でも、私達も、ちょっと急がないとバスがなくなってしまうとか、きつくてきつくて帰るのに精一杯という時には、ごめんねと通り過ぎます。
志賀高原で転んだ時も、転んでからは蓮池に帰るのに必死で、ごみを拾うどころではなくなってしまいました

放射性廃棄物は、誰が拾うのでしょう?
引き取り手のいないごみを、先送りにして次世代の国民に押し付けることは、したくないと考えています。
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