ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

台北室内合唱団日本公演 ~ついでの水天宮~

2009-11-04 11:35:31 | 音楽
台湾出身の知人から、「甥が出演するのでよろしかったら聴きにいってくれませんか。」
と誘われ、昨日台北室内合唱団の日本公演を聞きにいった。
一緒に行く予定だったダーリンは、風邪でダウン
会場は日本橋公会堂だったので、水天宮の散歩も兼ねて一人で出かけることにした。

台北室内合唱団は、約20名の混声合唱団で
パンフレットに書かれた経歴は、錚々たるものである。
会場は、恐らく親戚の日本在住者と思われる方々で熱気ムンムン
観客のほとんどが日本人の演奏会とは、全く違った雰囲気だ。
台北室内合唱団の団員は皆、音楽大学の出身者や在籍者で
声楽以外の専門の方もいるということだが、つまり素人さんではないのである。
演奏は、素人さんにしてはなかなかのもので
手拍子足拍子を交え、体を使って表現してもなお音楽の流れが乱れないのは
やはり皆さん力量のある方々なのだ。
「お上手ね~」程度にほめられている素人合唱団が
ちょっと調子に乗って振りなど入れてみようとしようとしても
実際にしてみると上手くはできないものである。
歌いながら芸を見せるという技は
歌い手としての力量が相当なものでないと、してはいけない領域だ
かなり盛り上がっているステージを台無しにしたのは
ゲストなのか何なのかわからないソプラノとテノールの2人
休憩を挟んだ後半に登場し、1曲めは合唱団とのジョイント
2曲目はデュエットだったのだが、これがもう本当に、もう…
せっかく合唱団で盛り上げてきた前半を、一気に台無しにする実力は
かなりのものである
しかも、この2人の伴奏をしているピアニストも
持てる実力を振り絞って、ステージを台無しにしている
いや~、音楽というものは、声が良い、楽器が上手いというだけでは駄目なのだ。
ましてやこの3人、決してそれを備えているとも思えない(ごめん…)。
音楽は、どんなに声が良くても、どんなに楽器の技巧に優れていても
世界観というか流れというか、そういうものが全く見えない
演奏者が何を伝えたいか全く感じられない演奏は、たいそう退屈なものだ


終演後、東京メトロの水天宮前駅に向かう途中寄り道をして、水天宮へ。

夕方だったにもかかわらず、こじんまりした境内には参詣者がたくさんいて驚いた。
これなら、戌の日はかなりの混雑に違いない。

境内を歩くと、子宝に恵まれ、安産の代名詞のような犬の銅像が。
「子宝いぬ」と名付けられた犬の回りには、十二支が書かれた半球体が出ていて
自分の干支の突起を撫でると御利益があると説明されている。

その脇には、子供を肩に乗せ懐に抱いた「安産子育河童」の銅像が建っている。
なぜ河童?
水天宮だから、水つながりということか。

まあ、もともと水天宮は水運関係者を鎮護する神様だ。
そのため、燈籠には碇のレリーフがあり、境内には弁天様も祀られている。

和船の碇も奉納されていて、水運関係者からの信仰が篤いことを窺わせる。

ビルに囲まれた、こぢんまりした境内を一回りすると
すっかり日は傾いて、冷え込みを感じるようになっていた。
参詣者はほとんどが妊婦とその家族である。
どうか体を冷やさずに、無事にお子さんが生まれることを願ってやまない。



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