下北沢 デイジーバーライブ 2

2010-02-01 03:52:21 | 日記
写真の写真はヒロ。イベントの主催者。
つい先日亡くなった。最後に会ったのは去年の秋ぐらいだったろうか。

『渋谷ラママ午前2時』というレパートリーがあるのだけど、冒頭に“人生で一度は人を殺してみたいです。などと、カシスオレンジを緑茶の如くズーズー啜りながらヘラつくクソガキ”というくだりがある。これ、彼のこと。

妻が時々ぼくにこんなことを言う。自殺ほど自分勝手なことはない。残される人のことを考えろ。何があっても自殺だけはするな。と。俺だって重々同感だ。
だから彼が亡くなったことを聞いたとき、寂しく思うよりも、悲しく思うよりも、腹が立った。あのガキ、ふざけんな!バカタレ!って。そして、そもそも、俺は彼のことを全然大切に扱ってなかった。会う度、てめーこのやろーってやってた。だからくたばったからって今さら優しく思おうなんて絶対いやだった。

今日だって京都からの移動中もずっと同じ気持ちだった。イライラしてた。寝不足だったのに寝れなかった。彼の死については一切触れず、いつもどおりのボンクラ丸出しなライブをやってやろうと思ってた。

でも会場に入った途端、彼が亡くなったことが妙にピンときてしまった。アイツ、もういないんだなって。ある意味当たり前のことが。
そこに重ねて、共演の方から“あいつに薦められて野狐禅を聴き始めたんです。”とか、“ピストルさんのことよく話してましたよ。”とか、そんな声を聞いた。
また、楽屋の片隅に見覚えのあるギターが立て掛けてあった。いつだったかヒロが俺に弾き語りをやってみたいと言ってきて、そんじゃあこれやるよとプレゼントした、元、俺のギターだった。ピストルさんにもらったんだって仲間らに自慢していたそうだった。

くやっしいんだけど本番前、楽屋で一人くすんくすんってなった。

それでも当初の心意気通り、ヒロのことについては一切触れずでライブ本編をやりきった。くだらん意地だと言えるかもしれない。でも本音でもあった。

アンコールをいただいた。アンコールがきたら。。とそんな風に用意していた、楽屋で書いたヒロに宛ててのポエムを読んだ。読みたかった。だからどうしてもアンコールが欲しかった。それももう一つの本音だった。
“ヒロ、あの世で退屈したらいつでも化けて出てこい。また散々からんでやるからよ。いつでも化けて出てこい。ありがとうな。黙祷。”
っていう短いポエム。


ヒロは東京でライブをするときは毎度のようにライブを見にきてくれてた。そういった意味では、俺は彼に対しても野狐禅というバンドを通して、“生きてもねえのに死んでたまるか!”というメッセージを発信し続けていたはずだ。死んだらだめだ、まだ何もやってねーだろって。
でも彼は亡くなった。これは大きな挫折感を覚えざるを得ない。
俺は自分の歌に込められているメッセージを絶対に過信しないようにしている。むしろ、伝わる伝わらないは二の次三の次、そんなことよりお客さんをとにかく楽しませるんだって思ってる。でも、思わず、正直、オメーは野狐禅の歌をきいてたんだろ!?なのに何でだよ!なんも聴いてねえじゃねえか!って思った。

結局、伝えたかったんだなーなんて自己分析はさておく。

何故自ら命を絶ってはいけないのか。
妻の論も先述の通り重々同感だ。でもそれだけではない何か他の理屈があるような気もする。
何故生きていかなければなないのか。それは、何故自ら命を絶ってはいけないのかを考えることと同義なのかもしれない。
ならば俺は考えに考えに考えたい。結果として命の限りに生きていたい。


ヒロ、見てたか?俺は今日、アンコールでお前の死を土台としたMCで笑いをとったぞ。すげーだろ。場をぐるんとひっくり返してやったんだ。お前の死についての説明は予想通り他の出演者がフォローしてくれた。俺はゴール直前でコツンとヘディングを合わせて一番おいしい所をもっていったんだ。俺はそーゆー人間だよ。

俺はお客さんの笑い声を聞いたとき、強烈な生きがいを感じるんだ。お前の死が俺の生きがいを生むとはなんとも皮肉だけどよ、俺はそーゆー人間だよ。人を楽しませる為だったら手段を選ばない人間だよ。不純なようで純で、でもやっぱり不純な人間だよ。何がなんでもお客さんを笑わせたい。それが生きがいなんだ。俺はそーゆー人間だよ。

生きがいを求めて俺は明日もステージに上がる。羨ましいだろ。最後にもう一度言う。どっちも本音だ。バカタレ。そしてありがとう。
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