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恐るべし。黄熱病ワクチン

2016-03-28 22:42:59 | 南アフリカ
南アフリカの「アンゴラ共和国」へ行く準備として

まず、黄熱病ワクチンが必要とのこと。

しかもこの黄熱病ワクチン打った後4週間は他の予防注射を打てないとの事で

他のワクチンもその他、数種類打たないといけないので日数数えたら、3月中には打っておかないといけないとのことで

打ってきました。

けっこう痛かったです

打った直後すぐに帰らず、30分はその場で安静にしてください。との事で30分ほど待ってから会社に戻りました。

人にもよるらしいが、打った直後から2週間くらいのあいだに、熱が出たり、筋肉痛みたいのが出たりするらしい。

と説明は聞いていました。

でも、2週間経っても、わたしは全然その反応はなかったので、

やっぱり私って強いっ♪ うふっ。くらい思ってました。

2週間過ぎて何日かしてかしら、なんだか、打ったほうの腕が急に筋肉痛というか

ひねった時の痛さというか、今まで感じたことのない痛みが時々でて、

本気でわたし、40歳になったからか、40肩になっちゃったのかしら??

って真剣に悩んで自分でいろいろ「四十肩を治す方法」とか検索してマッサージとかしてました。

それで、前々から予約していた歯医者へ行き

奥歯の長年ずっと放置してしまっていた、大きな虫歯を治療するために、神経をぬいてもらったのかな?

本当はワクチン打った日に、歯医者へ行こうと思っていたわたし笑

さすがにそれは体力的にやばいだろう。ということで、歯医者のほうを2週間ずらしてもらった。

黄熱病ワクチンを打ってくれた先生にも確認したんですよね。「まぁ1週間くらい立てば、歯医者行ってもいいんじゃない?」

って言ってたと思う!!!(だけど、神経抜くとまではわたしも聞かなかったんだけど。。)

で、

とにかく、この歯医者行って、神経抜いてから(これが土曜日の朝の出来事)

歯が痛いのと、

なんか、腰も痛くて、肩も痛くて

(ちょうど、仕事で火曜日から土曜日まで毎日ドレスの裾仮縫いをしてたからその体制が良くなかったのかなーと思っていた。)

次の日の日曜は、用事があってお出かけしてしてて、歯はあいかわらず痛かったけど何ともなくて。

月曜日、朝がもうあれ?なんかつらい。ちょっと起きるのがつらかったけど、
たしか休日だったけど、やることがあって、頑張って起きて、いろいろ用事を済ませて
あまりにも辛かったから、風邪薬と、うがいといろいろした。

火曜日、朝完全に動けなくて、病院へGO インフルではなかったみたいで、ただの風邪と診断される。
(この時黄熱病ワクチンのことと、歯の神経抜いたことを言えば良かったと思っている。。)
とりあえず、病院の薬を飲んで、午前中だけ休ませてもらって午後から仕事再開。

基本的に、わたしは病院の薬は1回飲めば、いつも風邪は治っていたし、とにかく、食べて寝ればすぐ治るタイプだったんですけど。

仕事も週末にSALEを控えていたため、休むこともできないし。

幸い病院でもらった薬が効いて、飲んでいる間は、体が動いた♪

今思えば、それが良くなかったのかもしれない。。

とにかく、昼間は薬が効いてどうにか動けるんだけど、薬が切れた頃の夜とか、朝方とか

になると、辛すぎて、ぜーぜー言って、

体温測ってみたら、わたしの人生で最高値「38.8度」出ました。

というか、わたしの人生で、38度超えってめったにナイ、というか、初ですよ!! びっくりして

体温計持って、「ちょっとおかーーさん!!見てみて!!」って呼んじゃったもん笑


そんな38度超えが、ほぼ、たぶん、毎日夜に出てました。

病院からもらった薬も4日分しかもらえてなかったから、なくなっちゃって。
(人生でこれも、初めて。ちゃんとなくなるまで飲むというのが笑)

さすがに、1週間こんな状態がつづくと

わたしこのまま死ぬの? なんて思ったりしました笑

でも、こんな風邪で、長引いてたまるものか!

と思い、この菌をどうにか外に出さないとっ!

って思って、「そうだ。サウナへ行こう♪」

と、38度のあるわたしを、絶対そんなサウナなんて行ったら絶対ダメ!!って言う親を説得して

一かバチかの賭けのような感じで、サウナに行った。

もうろうとして、ほんとに倒れるかと思った。

サウナ出たあとも、辛くて、わたし、やっぱ、行かない方がよかったのかな?とも思った。

帰ってすぐ寝て、

次の日はスッキリかしら♪と思ったらそうでもない笑 どんだけ出るんだろうってくらいの鼻水だして、痰出して笑

日曜だったんだけど仕事だったので、昼間はとにかく、

市販の風邪薬を飲みながら頑張って、夜はご飯も食べれず、とにかく眠くて眠くてすぐに寝ました。

そして、今日でちょうど発熱してから1週間ですが、ようやく、熱も平熱になって

だいぶ、元気になってきました。

というか、この1週間ほんと辛かった。。。。

こんなことって初めて。

まわりは、もう、年なんだよ。

って言いますが笑


いやいやいや、これ、

絶対、「黄熱病ワクチン+歯の神経抜いちゃった」 でしょ?原因

なんか、後から調べたら

黄熱病ワクチン1ヶ月後は、抜歯とか歯の神経抜くとかも、やっちゃいけない。っぽいんだよね。

知らなかったよーー。

ほんと、これからワクチン打つ人

気を付けてください!!
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森は海の恋人

2016-03-12 00:24:29 | Lino的つぶやき
前回のBlogでは、トップブランドは営利主義だ、みたいな事を書きましたが
それは、数年前の話であって、
最近思うのは、世の中の流れが変わってきたというか、世の中の意識が変わってきたなと感じます。

アメリカでは、リーマンショック以降、
日本では3.11 「東日本大震災」以降、

自然に対する意識だったり、環境問題に対する意識だったりがとても重要視されてきて
そういった取り組み(=ソーシャルグッド)を積極的に活動しているブランドや企業が多くなってきたなと思います。

その中の一つで、素晴らしいなと思う、物語を紹介したいと思います。

ルイ・ヴィトンと「森は海の恋人」

「森は海の恋人」とは、宮城県気仙沼市の牡蠣養殖産業の保護のための運動を行っているNPO法人で
震災発生からまだ日も浅い三月のある日、ルイ・ヴィトン社から支援の申し出が届いたそうです。

なぜ、あのルイ・ヴィトンが、牡蠣養殖の支援をするのでしょうか?

牡蠣養殖の要となる海は、豊かな森があってこそ資源豊かな状態が保たれます。
「森は海の恋人」運動とは気仙沼湾に注ぐ河川上流にある山への植樹を行うことで、
恋人のような関係にある森と海をつなぐ活動だそうです。

一方、ルイ・ヴィトンは、もともと荷造り用木箱製造職人として活動しており、
その技術の優秀さから職人として一流の評価を受け、その技術を生かしてトランク専門のブランドを作りあげました。
ルイ・ヴィトンのブランドのルーツには木材と、それを支える森林を大切にする思いがありました。

「気仙沼の牡蠣もルイ・ヴィトンのトランクも、ものづくりのルールは豊かな森にある。」
ルイ・ヴィトンの「森は海の恋人」運動の支援には、このような物語が背景にありました。

また、それだけではなく、
50年前フランスのブルターニュ地方の牡蠣が病気による破壊的被害にあった際、
宮城県の種牡蠣が送られ、現地の牡蠣産業を救ったという経緯もありました。
「フランスから日本への恩返し」という物語もあったのです。

すばらしいな、と思いました。詳しくはこちら→「ルイ・ヴィトンが見据える地球の未来・みんなの未来」



このような、ソーシャルグッドな活動は
素晴らしいことであるし、
企業やブランドはそうであって欲しいと願います。

そして、そんなブランドを目指したい。と、思う今日この頃でした!

改めて、この災害により亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げます。


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振り返り・気づきなど

2016-03-03 22:47:33 | Lino的つぶやき
どうも。こんはんは。

今、ある起業塾の会員になったばかりのわたしですが、

そのなかで、あるワークがありまして。

小さい頃好きだった事とか、初めて就職した頃の展望は何だったか。

とか、昔の事を振り返って考えるんです。

ほとんど忘れてるんですよね笑

でも、そのワークを通して、わたし思い出しました。

幼少期の頃とかは置いといて笑

まず。なぜNY(アメリカ)へ行きたいって思ったこと。

そして、なぜ、日本に帰ってこようと思ったこと。


そもそも、なぜ、10年前、NYへ行くことになったか。

30代になって、スキルを持ちたいと思ったこと。
そして、いつか、ハリウッド女優のドレスを作りたいって思ったこと。(まだ叶ってない笑)
そのために英語を学ぶ為にアメリカへ行こうと思ったんです。
そう思ったとき、たまたま、その時働いていた会社がNYだったら仕事があるぞ!
ということで、本当に幸運に恵まれてNYへ仕事として行かせてもらったんです。
2006年から2010年末まで。
右も左も全く分からない状態から、現地にいる沢山のパタンナーさん、デザイナーさんを
通じて、NYコレクションの現場の仕事もさせてもらい
いろんな事を勉強させて頂きました。
今でもとても感謝でいっぱいです。

どうして、日本へ帰ってこようと思ったのか。
直接的な原因は兄の突然死だったんですけどね。
なんというか、
言葉ではなかなか説明できないニュアンスを感じたというか、
しかも、わたしはNYファッション世界のほんの一部しか、(氷山の一角しか)
見てませんので、何とも言えないですが
それでも、何か違う。と感じたんです。。。

例えば、
誰でも知っているような超有名ブランドのCEOは、皆「Jewish」で
アパレル系でないにしても、
だいたい有名な大きな会社のCEOは、「Jewish」の人が多く
噂によるとその結束は素晴らしいもので
(911は、前もってそのかたたちだけはその情報を知っていたという噂もあります。)
(わたしは、NYにいた数年の間でそのかたたちの印象は大きく変わりました。)
いい人もいるのかもしれませんが、、、
基本的に、営利主義というのでしょうか。
冷酷だなと思う場面を聞いたり、しました。

「ショー」という数秒のために、
贅沢にお金をかけて、いろんな人達の苦労が積み重なって、最高のものを作り上げていく。
それは、わたしにとっても夢でもありました。
こんな仕事ができるなんて、と思っていました。
ただ、きらびやかな世界の、裏方の人達のとんでもない努力や苦労もたくさん見てきました。
それが直前で、鶴の一声で、全く違う方向になったり、
ひっくり返されたりもしょっちゅう、ありました。
それが、デザイナーなんだよ。って言えば、たしかにそうなんですが。
なんとうか、簡単にいいますけど。
もうすこし、現場の立場にもなってごらんなさいよ、って思う事もいっぱいありました笑
そんな事は、NYファッション業界じゃなくしても
どこのデザイナーさんも、同じかもしれません。

ただ、当時のNYファッション業界の縫製工場はというと、大半が中国人系、次に韓国人系、そしてヒスパニック系に分かれていました。
正直いって、不法労働者のかたが多かったと思います。
わたしは、中国人と韓国人が経営する縫製工場と一緒に働いていたので、とても彼らと仲良くさせてもらっていました。
1番仲良くさせてもらっていた韓国人の女の子がとてもやり手だったし、とても優秀だったので
わたしがお世話になった工場は、NYの中でも高級なほうだったので、そんな事はあんまりなかったですが。
不法労働者のかたの賃金は安かったりするので、本当に安い縫製工場さんとかは、
あまりにも過酷な労働させられているのでは、と垣間見たりしました。。

なんというか、NYという場所は
とんでもなく、贅沢に、きらびやかで華やかなに一瞬にして沢山のお金を使う世界の人達と
とんでもなく、低賃金労働で、毎日徹夜で働きまくっている人達と
その両極端を見る事ができて、時々わたしは苦しみました。

数年前から問題となっている「ファストファッションの光と影」がそうですよね。
安い洋服の裏に、どれだけの人が、安い賃金で身を削ってまで働いているのかと思うと、
(実際、カンボジアで縫製工場を持っているオーナーのかたから聞いたりもしました。)
わたしが目指しているファッションの世界は、何か違うと思ったんです。


わたしは、

ただ、純粋に、人が幸せに感じられる服を作りたいと思ったんです。

「LINO」という自分のブランドを作ろうと思ったのも

ただ、癒しとというか、笑顔になれる服を作りたいなと思ったんです。

わたしの母親が20年前、フラドレスをはじめたとき、
作ったブランド名は、Fancy Dress 「M Dress」といいます。

よく納品するドレスに「魔法をねかけるの♪」ってよく母は言います。

ステージにたったとき、魔法をかけたみたいに、ステキに輝やいて、

着てくれた人の魅力を最大限に引きだして、Happyになれるドレス

という思いが込められています。

よく、うちのドレスはね、「夢と希望がつまっているの。」と言います。

そんな魔法をかけたドレス作りと、

わたしの実現したい、ファッションへの思いが一緒だったというか。

母の思いは

わたしの思いも一緒だった

ということでしょうか。

そんなドレス作りをしながら、

「LINO」のリラックスウェアも今年は、新作作ろうかなと思ってます♪

すごい長い文章になってしまいましたが、

改めて、「思い」や「信念」を

書くのもいいかな、と思いました♪

そんな気づきをさせてくれて、

ありがとうございました!!

頑張りますーーー


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