中将棋を初めてみたときにはその大きさに圧倒されてしまうが,実際はさらに上のものがある.むしろ果てしなくある.それだけ将棋の歴史は古く,あるいは珍妙なのかもしれない.
その歴史のなかのどこかでたぶん,とにかくデカくしてやろうというバブルな時代があったのか,最終的には常人の理解を超えるレベルにまでなってしまった.

大局将棋(たいきょくしょうぎ).駒数は敵味方合わせて804枚
ここまで来るともはや将棋を越えた何か別のゲームである.
こうした巨大なだけの将棋には駒の動きもチートなものが多く,たとえば大将という駒は自分よりランクの低い駒を全て飛び越えて取れるとか,泰将棋に登場する自在天王といういかにも厨二っぽい名前の駒は盤上の行きたいマス全てに飛べ,次の手で取られなければどの駒でも取れるというサイヤ人仕様になっている.
どう考えても大きな将棋を作れば作るほど指すのが大変で最後まで指すプレーヤーなどいるはずもないのに,それでもこんな将棋ができたのは,とにかく将棋を愛する人が大勢いたんだろう.いまでも中高生ぐらいがカードゲームに夢中になると,たまに「自分ならこんなカードを作るのに」とか「こんなカードがあったらチートじゃん」的な考えが蔓延して,内輪限定のオリジナルカードを作る人なんかが出てくる.
それと同様,いまから何百年も前の町人たちは,こんな動きの駒があったら最強でござるとかかくのごとき名の駒あらば良き候とか思いながら,ぼくのかんがえたさいきょうの将棋を作っていった.いつの時代もやることはだいたい同じである.
あるいは,こうした大きな将棋を作って誰かに送ったり幕府に献上したりという贈答目的の事情があったのかもしれない.でも個人的には前者のような,遊びに夢中になる人であふれていた時代を想像したい.少なくともこれだけたくさんの将棋の駒の名前と動きを考える人がいたということは,そういうのを考えるのが好きで好きでしょうがなかった人が一人ぐらいいたのは間違いないだろう.
前置きが長くなったが,次回はそんな将棋飽食ムードの時代の源流ともなった大将棋についてつづる.
※記事内の大局将棋の写真はこちらより引用しました
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