教習生や友人から、「なぜ教習の仕事をしているのですか?」と聞かれることがよくあります。
「なぜ」って、そりゃ、食ってくためですけど。でも、世の中には多種多様な職業が有る中で、この仕事ならではのやりがいも有るわけで。
そもそも小生は、学校の先生になりたかったのです。大学も教育学部に入りました。
しかし、「人に教える」のは、学校教諭という職業に限られたことではないことに気づきました。いや、これは、修得単位が足りなくて教員免許が取れなかった(不足単位は後年、聴講と通信で取りました。)ことの言い訳では決してありません。(笑)
そして、メーカーで人事の仕事を数年やってから、脱サラして、この商売を始めたわけです。(どんな立場にあっても、「教える」職業ということで、自分の中では一貫しているつもりです。)
この仕事の楽しさは、「例えば車庫入れができない人が、『私のアドバイスで』できるようになる」のを見ることでしょう。もちろん、“免許取得”という大きな目標に対するお手伝いができるのも大きな喜びです。それは、商売の損得勘定抜きで、この仕事をやっていて良かったと思う瞬間でもあります。
また、学校の先生は「勉強したくない生徒に勉強を教える」のに対して、この仕事は「運転できるようになりたい教習生に運転を教える」のですから、本当に楽しいです。(学校の先生をされている方、ごめんなさい。)
この商売は基本的にマンツーマン対応なのでどうしても売上額には限界が有り、大きく儲けることはできませんが、それでも体が動く限り、この仕事を続けたいと思っています。
まさに、「前見て加速!」で。
「なぜ」って、そりゃ、食ってくためですけど。でも、世の中には多種多様な職業が有る中で、この仕事ならではのやりがいも有るわけで。
そもそも小生は、学校の先生になりたかったのです。大学も教育学部に入りました。
しかし、「人に教える」のは、学校教諭という職業に限られたことではないことに気づきました。いや、これは、修得単位が足りなくて教員免許が取れなかった(不足単位は後年、聴講と通信で取りました。)ことの言い訳では決してありません。(笑)
そして、メーカーで人事の仕事を数年やってから、脱サラして、この商売を始めたわけです。(どんな立場にあっても、「教える」職業ということで、自分の中では一貫しているつもりです。)
この仕事の楽しさは、「例えば車庫入れができない人が、『私のアドバイスで』できるようになる」のを見ることでしょう。もちろん、“免許取得”という大きな目標に対するお手伝いができるのも大きな喜びです。それは、商売の損得勘定抜きで、この仕事をやっていて良かったと思う瞬間でもあります。
また、学校の先生は「勉強したくない生徒に勉強を教える」のに対して、この仕事は「運転できるようになりたい教習生に運転を教える」のですから、本当に楽しいです。(学校の先生をされている方、ごめんなさい。)
この商売は基本的にマンツーマン対応なのでどうしても売上額には限界が有り、大きく儲けることはできませんが、それでも体が動く限り、この仕事を続けたいと思っています。
まさに、「前見て加速!」で。