今月の歌舞伎座の演目でさよなら公演にふさわしいのは「籠釣瓶」だろう。
2005年の勘三郎襲名披露公演の再現ともいうべき勘三郎×玉三郎×仁左衛門という配役だし、現歌舞伎座での最後の「籠釣瓶」だしということで、久々に3階A席を奮発し、千穐楽の1列目センターがとれてしまっていた。
【籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)】
今回の配役は以下の通り。
佐野次郎左衛門=勘三郎 兵庫屋八ツ橋=玉三郎
立花屋長兵衛=我當 立花屋女房おきつ=秀太郎
下男治六=勘太郎 繁山栄之丞=仁左衛門
九重=魁春 七越=七之助 初菊=鶴松
釣鐘権八=彌十郎 白倉屋万八=家橘
絹商人丹兵衛=市蔵 絹商人丈助=亀蔵
桜の咲き誇る吉原仲之町にやってきた上州佐野の絹商人・佐野次郎左衛門と下男の治六は、いかにも田舎からのお上りさん風情で登場。勘太郎の治六は膝を折った腰の低い姿勢がなんとなく苦しそうだし、ちょっとまだしっくりこない感じ。勘三郎の次郎左衛門は顔中にこれでもかというくらいの痘痕を押して出てきた。家橘の白倉屋万八はこういう色街で人を騙すのを生業にしている男のいやらしさを感じさせてよし。我當の立花屋長兵衛に会所に連れていかれそうになってこそこそ逃げ出す様子もいい。「生き馬の目を抜くようなお江戸」の物騒体験がこの田舎者の悲劇の序章になっているのだと思った。
花魁道中が七越は上手奥から、九重は花道から、八ツ橋が舞台中央奥の満開の桜の植樹の裏手から現れるが、供揃えも豪華な道中が見られるのも贅沢。
花魁道中に見惚れて注意散漫となった次郎左衛門が八ツ橋にぶつかってびっくり。道中をすすめて方向転換をした時に次郎左衛門をあらためて見て微笑みかける八ツ橋の玉三郎をしっかり見るのが最初の見どころ。千穐楽だけにたっぷりと表情をいろいろと変化させてくれたが、人気絶頂の花魁の実に罪つくりな仕業である。お歯黒の歯がチラッと見える程度にとどめるのが玉三郎の八ツ橋で、今の時代にあった品のいい演じ方が好ましい。
治六に定宿に帰ろうと促されて「宿へ帰るが嫌になった」と漏らす勘三郎の台詞がちょっと張りすぎのような気がした。魂抜けたらもう少し嘆息的な台詞回しになるはずだと思う。
釣鐘権八は中間勤めをしていた主家の娘だった八ツ橋が身を売った時、親代わりの判子をついてやった恩を着せ、八ツ橋に着いた客を金蔓に無心を繰り返している。これまでは芦燕 で見てきたがちょっと無理を感じていた。
「折助」)かと蔑んで言われたこの役を今回の彌十郎でようやく納得出来た。金策を断られた権八は八ツ橋の間夫の繁山栄之丞を焚き付けたのは、身請けの話をすすめた立花屋の顔をつぶそうとしたのだと今回ようやく気がついた。
立花屋を通じて八ツ橋の元へと通うようになった次郎左衛門は急速に吉原で遊ぶマナーを身につけ、佐野の同業者の丹兵衛、丈助を連れてくるようになっている。
権八は栄之丞とともにやってきて次郎左衛門の座敷に出る前の八ツ橋を呼び出して、身請けまで話を勝手にすすめたと不義理をせめたてる。二世の誓いを守れと責めるというのではなく、そういう仲の自分への不義理不人情を言い立てて、自分に不実でない証拠として今回の身請けを断るように八ツ橋を追い詰める。
今回の八ツ橋と栄之丞のカップルは見目は麗しいが、二人とも賢くはない人物にしっかり見える。江戸風の義理とか見得を重視する色恋の仲のふたりにすぎない。八ツ橋はよくしてくれる上客に、嫌いではないからといい顔を続けてきてしまっている、要は優柔不断なお馬鹿な女だということがよくわかった。それがまた可愛いいのだから始末が悪いのだ。
ここでいつもは八ツ橋がヨヨと泣き崩れて場面転換してしまうのだが、今回は気を取り直して栄之丞とこれからどうすればいいかのやりとりをしているように見える。
そして縁切り場!
八ツ橋の愛想づかしはわけのわからない始まり方をする。気分が悪いと言い出して、次郎左衛門や周りの者が機嫌をとるのだが、嫌なお客に出るから気分が悪いとか言い募って翻弄する。立花屋のおきつが身請け披露の直前での愛想づかしはないと説得しようというのを、権勢を誇る立場を言い立てて「嫌なものは嫌」と突っ放す。
次郎左衛門は自分が通い詰めて気に入られていると思い込んでいるので、仲間に惚気ていたのがまずかった。花魁に身請け直前の愛想づかしされ、丹兵衛と丈助に騙されたと責めたてられての満座の中での大恥。
(ここのところを追記)座敷を後にする八ツ橋が次郎左衛門への仕打ちについての心苦しさを身体中に滲ませてはいるが、ここまでしたらもう後には戻れないのだ。身を捩じらせるような玉三郎の姿が切ない。
ここで私が重要視しているのは、八ツ橋の愛想づかしを確認にきた間夫の栄之丞に気がつく場面だ。間夫のあまりの美男ぶりに次郎左衛門の容姿へのコンプレックスの火に油が注がれると思うからだ。
これが吉右衛門の次郎左衛門だとまた違った感じになってしまうと思う。顔のあばたでいくら醜くしてもガタイがよすぎて、ビジュアル的には仁左衛門の栄之丞との容姿での差があまりなくなる。初代吉右衛門の容姿くらいだとちょうどいいのだろうけれど。「容姿のコンプレックス」をこの悲劇のひとつのポイントにして考えると、今回の3人はそういった意味でもベストキャストだと思う。
うちひしがれた次郎左衛門に九重の魁春が羽織を着せ掛けて「また遊びにきてくれないと気になりますよ」と声をかける場面が好きだ。前回ではあるが、ここの舞台写真を1枚買ったほどである。
さて、殺し場!!
四ヶ月後、何事もなかったかのように再び吉原に現れた次郎左衛門。顔を出せるものではないという八ツ橋を遣手婆が手を引いて連れてくるが、次郎左衛門は屈託なく初回からまた通うと言って皆を安心させる。
二人にさせてから杯をとらせ、本音を語りだし、床の間に置いた掛け軸入れの中から妖刀籠釣瓶を取り出して一刀のもとに八ツ橋を斬って捨てる。
玉三郎の八ツ橋はここも千穐楽らしく本当にたっぷりとした海老反りでくずおれる。女方の様式美を堪能しつくす。
さらにここで「お灯りをお持ちしました」とやってくる下女のお咲をも斬り捨ててしまうのだが、小山三のおさきの斬られっぷりが実にいい。立花屋店先の場で出てきた時も90歳とは思えぬ若い女の可愛らしい姿が嬉しかったが、幕切れを飾るのは籠釣瓶の切れ味の犠牲になった女ふたりの最後の姿である(小山三のお咲は千穐楽だからこそだったようで、それも有難かった!長く元気な姿を見せて欲しい)。
それでこそ「籠釣瓶はよく切れるなぁ」の次郎左衛門の最後の台詞が活きるのだと思う。次郎左衛門の狂気をたたえた姿は当代勘三郎、見事である。
この悲劇は可愛くお馬鹿な花魁にひっかかってしまった田舎の純朴な金持ちが、容姿コンプレックスを刺激するような間夫の存在のために、満座の中で愛想づかしをされ、その怨みを晴らそうとした。そのために使ったのが妖刀籠釣瓶であったためにその妖力で殺人を重ねてしまったというドラマだろうというのが、私の解釈。いかがだろうか。
2006年9月に観た吉右衛門の「籠釣瓶」はこちら
写真は「本日千穐楽」の垂れ幕が並んでかかる歌舞伎座の正面を携帯で撮影したもの。
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