18 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 背中が・・ (お茶屋娘) 2005-08-24 17:04:53 確かに、雷蔵さんの絶対的な虚無感には負けるけれど。孝夫さんも、背中にニヒルをしょってますよ~。自分は、女を幸せにできないから、惚れるな!みたいなところがいいでしょ?でも、今のにざさんには、もうムリ。よきおじいちゃまになってしまいましたものね。若手で狂四郎、誰かいるかな?染五郎が結構いけそう、と思ってますが。 返信する Unknown (yukari57) 2005-08-24 20:12:47 雷蔵さんは、時代物だけじゃなく、現代もので、結構とぼけた73分けの役まで出来た天才ですから、歌舞伎役者の片手間作品と比べたら可哀想な気がします。染五郎、ちょっと線が細い気がしますが、狂四郎が出来るくらいになったら凄いでしょうねえ。海老蔵がもっと細かったら出来そうだけど。(やはり海老ファンなので、染五郎よりはいいと思ってしまう。)三津五郎が20センチ背が高ければ、腕で見せてくれるでしょうけど。そうそう、雷蔵の凄いところは、普段は普通の人だったことですよね。 返信する 雷蔵礼賛! (さちぎく) 2005-08-25 12:27:26 皆さんのお名前は存じていますが、コメントははじめてです。よろしく。私も雷蔵ファンで中学、高校時代は映画館に見に行っていました。去年の「市川雷蔵祭艶麗」には5本見ました。黒の着流しがすごく似合う人ですね。あとあの色気は染五郎にも海老蔵にも仁左にもないですね。これから歌舞伎を演るという時に亡くなってしまったんですよ。惜しい!残念!期間中、中村玉緒がゲストの時に行ったんですが、トークでは夫勝新とまったく正反対の性格で几帳面で論理的だったそうです。役の幅も広くて、彼が生きていたら上方歌舞伎は?ナンテ思ってしまいます。 返信する 皆様、コメントありがとうm(_ _)m (ぴかちゅう) 2005-08-25 13:23:39 ウィキペディアフリー百科事典によると、雷蔵は生後6ヶ月で歌舞伎役者の市川九団次の養子となって15歳で初舞台、19歳で八代目市川雷蔵を襲名、22歳で歌舞伎をやめ、映画デビューしたそうです。そして37歳で肝臓ガンで永眠とは本当にもったいなかったですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E9%9B%B7%E8%94%B5当時は歌舞伎と映画の両立ができる時代ではなかったのでしょうね。映画をやめてまた歌舞伎に戻る前に亡くなったのかな?大体、この片岡孝夫主演のTVシリーズはテレビ東京と歌舞伎座テレビの共同制作ですね。歌舞伎役者の抱え込みはしなくなって、どんどん映像でも売り出すように会社側が路線転換したのでしょう。だから片手間っていうのも可哀想ですけどね。今の獅童くんなんて、舞台の方が片手間と言われちゃうかも(笑)。歌舞伎役者が歌舞伎以外の仕事も兼業でできるようになったのは先代の幸四郎さんの東宝移籍以降かしら。私はクロスオーバーで仕事をしていただくのは大いにけっこうだと思ってます。それで本業がおろそかになったという批判が出たら、それは本人の問題だし、他人がとやかく言っても仕方がないと思ってます。(うーん、しかし今の幸四郎の時代物の台詞まわしがききとれないのは惜しいけど...。その分、息子が頑張ってくれればいいや!)★さちぎく様はじめましてm(_ _)m初コメントをありがとうございます。私もあちこちでお名前を拝見しておりました。今後ともよろしくお願いします。本当に上方歌舞伎は若手が愛之助くらいしかいなくなっちゃって心配です。翫雀・扇雀兄弟はもう中堅どころだろうし、若手のところに東京から染五郎が入っていっているのでしょうが。確かに染五郎・愛之助で並ぶといかにもよさそうです。私は歌舞伎座の坂田藤十郎襲名で初藤十郎さんになりそうです。上方歌舞伎をきちんと残そうとする気概をかってます。大阪に8年住んだことがあるので上方和事の大阪弁が好きなんですよ。心中物もまだ未見なので楽しみにしてます。 返信する ウィキペディフリー (yukari57) 2005-08-25 17:15:25 ご紹介いただいたサイトを見てちょっと???が。私の思い込み?かどうかわかりませんが、雷蔵って、確か、雀右衛門が映画から歌舞伎に戻ったときに都落ちした際に、大阪でお世話になった、同様の理由で富十郎があの口跡を教えて貰った、市川寿海の養子ですよね?養子にしてはよくにているので(口跡の良さ、面長の顔立ち、細身の体つきなど)当時は養子といいながら実子のケースも多いので色々な噂がありますが。まあ、どうでもいいですが。寿海の口跡って本当によかったそうですね。真山青果なんか素晴らしかったとか。今はかったるい感じがしますが。いつもどんどんはずれていってすみません。 返信する 雷蔵は2回養子になってました (ぴかちゅう) 2005-08-25 18:28:44 http://kadokawa-pictures.com/rai-sama/上記の角川映画の「web RAIZO雷蔵」というサイトで見たら、2回養子になっていることがわかりました。雷蔵襲名前に寿海の養子となったようですね。>1931年(昭和6年)、8月29日、京都生まれ。生後六ヶ月で歌舞伎俳優市川九団次の養子となる。1946年11月、15歳の時に大阪歌舞伎座で三世市川莚蔵として初舞台を踏む(「中山七里」娘お花役)。1951年、関西歌舞伎界の長老市川寿海の養子となり、同年6月、大阪歌舞伎座「白浪五人男」で襲名披露、五世市川雷蔵を名乗る。1953年、大映より入社を懇願され、翌54年入社。デビュー作は「花の白虎隊」(54)。この作品は雷蔵を主演に、勝新太郎、花柳武始、小町瑠美子、高倉一郎の新人5人をまとめてデビューさせた当時のアイドル映画。翌55年に巨匠、溝口健二監督によって「新・平家物語」の主役、平清盛に抜擢され、それまでの“線の細い美男タイプ”のイメージを打ち破る、情熱的で骨太な演技を見せる。58年には初の現代劇である市川崑監督の「炎上」(原作・三島由紀夫「金閣寺」)に周囲の反対を押し切って出演。金閣寺に放火する吃音症の青年という難役を見事に演じ、翌年のキネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン主演男優賞、NHK映画最優秀主演男優賞を受賞、確固たるスターの地位を築く。...うーん、これはすごい人ですね。出演作品をまとめて観たくなってきました。老後の楽しみができたかも(私の)。 返信する さすがにググッテますね (yukari57) 2005-08-25 18:52:38 私が探すべきところを調べていただき感謝。雷蔵特集は、しばしば映画館でも、BSでもやるから、と書いて、BSご覧になれなかったのを思い出しました!三船敏郎と並ぶ日本の映画史を飾る、三船ほど大根じゃない映画俳優だって言えるのではないでしょうか?年間数十本撮影しても、はずれのない信じられない野球界の稲尾みたな役者だと思います(余りの古さで私も耳から聞いただけの話ですが、若い方はわからないでしょうね)。それにしても、上記、さちぎくさんが書かれていた、歌舞伎界に戻ろうとする直前になくなったとは、戻らなくって良かった気もしますが・・・案外舞台では失敗してたかも。と、ここまで書いて、12年くらい前かな、萬屋錦之介を歌舞伎座で見たときの感動を思い出しました。よかったわあ。 返信する おお・・・ (くーみん) 2005-08-26 09:07:52 私の好きな、雷様の話で盛り上がっているではないですか。本当に芸の幅の広い人でしたね。私は「薄桜記」が好きです。 返信する 寿海さん (さちぎく) 2005-08-26 14:04:11 市川寿海さんのお話がでていましたので・・・私もご養子なのに似ている?と思いましたが、血縁ではないようです。晩年の寿海の舞台は観ています。やはり印象的なのは綺堂、青果のものですね。「将軍江戸を去る」の永代橋を渡っていくラストシーン、ちょっと勾配がついていて、足取りが・・・思わず手を貸したくなる!でもセリフはさわやかでした。私が観た最後の寿海の舞台でした。 返信する 今日も見逃した~ (あいらぶけろちゃん) 2005-08-27 01:03:16 東京12chの映る自宅に戻ってきてから 毎日今日こそは見ようと思うのに、お昼にかかる変な放映時間帯のせいか気がつくと終わっている時間になってます(泣)子ども会に振り回されて自宅にいなかったりもするので余計に・・・子どもの頃両親と一緒にTV見ていて(田村版?)お色気シーンに突入する時に見てはいけないと反対向かされたのが妙に記憶に残ってます。 返信する 今日は親子共演の回でした (ぴかちゅう) 2005-08-27 01:30:53 今日は「はぐれ三味線運命剣」でした。お色気シーンは最初の女郎屋シーンのちょっとだけって、毎回ちょっとだけですけど。おとといの「無惨!乙女肌魔性剣」はやたら美人じゃない子がメインキャストで出てきたなと思ったら、剣術の試合で相手へのめくらましで歌舞伎の引き抜きの手法でスッポンポンになって女に弱い相手をクラッとさせて一本とるという作戦をとってて、ハハアあそこまで脱いでくれる女優さんという条件からああいうキャスティングになったのねと納得した次第。本題。今日は女郎屋の女将さんが山田五十鈴。生き別れになった息子鶴松がなんと、孝太郎でした。拾われ育てられたのが押込み強盗をやる親分(沢竜二)で彼を助けるために役人を殺してしまい、死罪になってしまうのでした。引き立てられるところで母子の対面の機会をつくってやる狂四郎というお芝居でした。孝太郎、可愛かった! 返信する 菩提寺 (スーさん & 浜さん) 2005-08-27 22:30:32 (↑のSachiさん、Hineさん達とは まあ懇意にさせてもらっております)歌舞伎歴だけは長い者で,ここではお初です。雷蔵さんと聞いてお邪魔しました。実はお寺さんが私の幼時の遊び場で 由緒ある名所、そこで雷蔵さんは 今淋しく本名、太田~でお眠りになっております。私は散歩の折 時々手を合わせておりますが、同墓地は広大で役者だけでも高麗屋、松嶋屋、高島屋、新派の名女形等々も~~。 返信する お初の皆様もいらっしゃいませm(_ _)m (ぴかちゅう) 2005-08-28 01:24:51 さちぎくさん、スーさん&浜さんという初めてコメントの皆様もいらっしゃいませ。★さちぎく様さちぎくさんのところにコメント入れさせていただいたのですが、なぜかうまく入りません。サイン・インが必要とかあるのですがよくわからないもんですから。伝言版にはひとこと入れさせていただきました。★スーさん&浜さん様もしかしてさちぎくさんのところに浜さんとか由比ガ浜さんというネームがありますが、同じ方でしょうか?雷蔵さんの本名のお墓に手を合わせていらっしゃるというのはすごいですね。雷蔵さん、死後はあまり多くの方にきてほしくなくて静かに眠りたかったのかもしれませんね。 返信する 今週は頑張ってみています (yukari57) 2005-09-08 21:20:27 あしたまでなので、録画分を見ています。なんか、孝夫さんがテレビで色事なんて、と思いながら。長塚京三の若い頃なんか見て楽しんで今しがた、上記ぴかちゅうさんがご覧になっていた孝太郎は、というか、最初の2回と今週しか見れませんでした。やっぱ、雷蔵にはかなり負けるけどかっこいい。 返信する 私も録画してみようかしら (ぴかちゅう) 2005-09-08 21:57:19 9/1からちゃんと仕事に行ってるので見ることができませんが、最終回はビデオでもとろうかな。孝夫さんはお色気シーンにはからまないでしょ?冷めた目をしてくれるんですが、やはり優しさがにじんでますよね。うーん、二枚目だあ。 返信する 雷蔵の本についてのTBありがとうございますm(_ _)m (ぴかちゅう) 2005-09-16 00:26:46 ★龍の目様朝日文庫「雷蔵、雷蔵を語る」についてのTBありがとうございます。これはいい情報をいただきました。機会があったら読んでみようと思います。文庫本だと気軽に読めますよね。と、さらに古本屋を探し始めるだろう私です(アマゾンだとユーズド商品で500円からかあ、フムフム)。市川雷蔵については出演作品を少しずつ観てみたいなあと思っていたところでした。その前に読んでいるといいかもしれないですね。今後ともどうぞよろしくお願いします。 返信する 有難うございます (fortheday) 2006-01-08 10:59:50 コメントありがとうございます。トラバはスミマセン。アダルト系のが多くて削除するのが面倒だったので…もう孝夫さんではないですが、孝夫さんの見逃してしまって折角雷蔵丈の観たので見比べてみたかったのですが。そういえば、伝説の人だと昨年の松竹映画祭で観た佐田啓二さんもいい役者でしたよ。アンコール上映やってますのでご都合付けばかけてみるといいかもです。何か松竹の回し者みたいですが… 返信する 松竹110周年祭アンコール上映 (ぴかちゅう) 2006-01-09 11:28:48 ★forthedayさまこちらの記事にもおいでいただき、ありがとうございますm(_ _)m1/4に歌舞伎座観劇の折に『天守物語』のアンコール上映はやってるなあと思いましたが、『君の名は』もやっているのですか?確かに佐田啓二さんは息子の何倍もハンサムですよね。そういう人が早世されてしまうのはホント勿体ないですけど、美しい記憶のまま封印されるという結果を残すんですよね。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
若手で狂四郎、誰かいるかな?染五郎が結構いけそう、と思ってますが。
私も雷蔵ファンで中学、高校時代は映画館に見に行っていました。去年の「市川雷蔵祭艶麗」には5本見ました。黒の着流しがすごく似合う人ですね。あとあの色気は染五郎にも海老蔵にも仁左にもないですね。これから歌舞伎を演るという時に亡くなってしまったんですよ。惜しい!残念!期間中、中村玉緒がゲストの時に行ったんですが、トークでは夫勝新とまったく正反対の性格で几帳
面で論理的だったそうです。役の幅も広くて、彼が生きていたら上方歌舞伎は?ナンテ思ってしまいます。
ウィキペディアフリー百科事典によると、雷蔵は生後6ヶ月で歌舞伎役者の市川九団次の養子となって15歳で初舞台、19歳で八代目市川雷蔵を襲名、22歳で歌舞伎をやめ、映画デビューしたそうです。そして37歳で肝臓ガンで永眠とは本当にもったいなかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E9%9B%B7%E8%94%B5
当時は歌舞伎と映画の両立ができる時代ではなかったのでしょうね。映画をやめてまた歌舞伎に戻る前に亡くなったのかな?
大体、この片岡孝夫主演のTVシリーズはテレビ東京と歌舞伎座テレビの共同制作ですね。歌舞伎役者の抱え込みはしなくなって、どんどん映像でも売り出すように会社側が路線転換したのでしょう。だから片手間っていうのも可哀想ですけどね。今の獅童くんなんて、舞台の方が片手間と言われちゃうかも(笑)。
歌舞伎役者が歌舞伎以外の仕事も兼業でできるようになったのは先代の幸四郎さんの東宝移籍以降かしら。私はクロスオーバーで仕事をしていただくのは大いにけっこうだと思ってます。それで本業がおろそかになったという批判が出たら、それは本人の問題だし、他人がとやかく言っても仕方がないと思ってます。(うーん、しかし今の幸四郎の時代物の台詞まわしがききとれないのは惜しいけど...。その分、息子が頑張ってくれればいいや!)
★さちぎく様
はじめましてm(_ _)m初コメントをありがとうございます。私もあちこちでお名前を拝見しておりました。今後ともよろしくお願いします。
本当に上方歌舞伎は若手が愛之助くらいしかいなくなっちゃって心配です。翫雀・扇雀兄弟はもう中堅どころだろうし、若手のところに東京から染五郎が入っていっているのでしょうが。確かに染五郎・愛之助で並ぶといかにもよさそうです。私は歌舞伎座の坂田藤十郎襲名で初藤十郎さんになりそうです。上方歌舞伎をきちんと残そうとする気概をかってます。大阪に8年住んだことがあるので上方和事の大阪弁が好きなんですよ。心中物もまだ未見なので楽しみにしてます。
上記の角川映画の「web RAIZO雷蔵」というサイトで見たら、2回養子になっていることがわかりました。雷蔵襲名前に寿海の養子となったようですね。
>1931年(昭和6年)、8月29日、京都生まれ。生後六ヶ月で歌舞伎俳優市川九団次の養子となる。1946年11月、15歳の時に大阪歌舞伎座で三世市川莚蔵として初舞台を踏む(「中山七里」娘お花役)。1951年、関西歌舞伎界の長老市川寿海の養子となり、同年6月、大阪歌舞伎座「白浪五人男」で襲名披露、五世市川雷蔵を名乗る。1953年、大映より入社を懇願され、翌54年入社。デビュー作は「花の白虎隊」(54)。この作品は雷蔵を主演に、勝新太郎、花柳武始、小町瑠美子、高倉一郎の新人5人をまとめてデビューさせた当時のアイドル映画。翌55年に巨匠、溝口健二監督によって「新・平家物語」の主役、平清盛に抜擢され、それまでの“線の細い美男タイプ”のイメージを打ち破る、情熱的で骨太な演技を見せる。58年には初の現代劇である市川崑監督の「炎上」(原作・三島由紀夫「金閣寺」)に周囲の反対を押し切って出演。金閣寺に放火する吃音症の青年という難役を見事に演じ、翌年のキネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン主演男優賞、NHK映画最優秀主演男優賞を受賞、確固たるスターの地位を築く。
...うーん、これはすごい人ですね。出演作品をまとめて観たくなってきました。老後の楽しみができたかも(私の)。
本当に芸の幅の広い人でしたね。
私は「薄桜記」が好きです。
子ども会に振り回されて自宅にいなかったりもするので余計に・・・
子どもの頃両親と一緒にTV見ていて(田村版?)お色気シーンに突入する時に見てはいけないと反対向かされたのが妙に記憶に残ってます。