モーツァルト も オーケストラ(= 東響) も 合唱(東響コーラス) も ホール(= 川崎ミューザ) も、「構造」も「細部」も知り尽くした スダーン!
戴冠ミサ が開始された途端、「モーツァルトのキビキビした音楽」がピンと張り詰めた空気と共に伝わって来た公演。「モーツァルトのオーケストラ付き合唱曲」と言えば
レクイエム K.626
アヴェ・ヴェルム・コルプス
ハ短調ミサ K.427
戴冠ミサ
の4曲(だけ)が有名。この内、ハ短調ミサを除く3曲を素晴らしい名演で聴かせてもらった演奏会となった。アヴェ・ヴェルム・コルプス はアンコールだった!!!
「スダーンのモーツァルト」は、『余計な装飾が無い』&『リズムの躍動が目の前で曲が産まれたかのようにイキイキ』
である。ティンパニ と トランペット ばかりが、取り上げられることが多いが、
「スダーン の モーツァルト」は、弦楽器と合唱のノンビブラートが根本
である。これは「書く」のは簡単だが、「微妙な音程の差」が露骨に現れてしまうので、オケや合唱団を信じないと出来ないワザ。スダーン は、9年の年月を掛けて、「全面的に信頼できる」関係を築き上げてくれたのだ!
ノリントンが「ピュア・トーン」とN響でホザいているが、実現できているのは「スダーン + 東響」の方であり、「ノリントン + N響」は未達
は明記しておく。ちなみに
「東響コーラス はスダーンの意図通りにモーツァルトを再現」するが、「新国立劇場合唱団」と称する ヴェルディ「レクイエム」N響定期公演合唱団は、合唱指揮者を「立たせてもらえなかった」程度の出来
これは、新国立劇場合唱団側の問題、とは思えない。N響側の問題だと私高本は確信している。
「スダーンの意図」を実現する 東京交響楽団 + 東響コーラス は、素晴らしかった。弦は 10+10+8+6+4。戴冠ミサ は、勿論 ヴィオラ無しだった。
「4/21 の東響コーラス」 > 「4/19 の新国立劇場合唱団」
だったことははっきりしている。原因は(根本的には)「指揮者の耳の差」だと感じる。