ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

変身

2011年02月23日 | 思うこと
カフカの「変身」ではありません。うちの教室の生徒の話です。

子供って、本当に可能性のある変幻自在な生き物なんですね。最近、少しずつNちゃんが変わってきていたのは、気がついていました。きちんと練習をし、私の注意もしっかり聞けて、次の週には必ずその注意したところが直っています。

実は、あんまり練習に熱の入らない時期がありました。ああもう、ピアノいやになっちゃうかな?と思ったこともあるほど。今日はどこ弾けばいいんですか? みたいな週もありました。それが最近、全然別人のようなのです。

どんどん上手くなっていく様子が感じられ、つい嬉しくてこちらもどんどん要求を高めていくんですが、ずっとついてきてくれるんです。そして、ついに前回、私の指示通りというよりは、自分でフレーズを感じて、歌って弾けるようになりました。しかもとても綺麗に自分の優しさを表現出来ていました(実際、お姉ちゃんとして優しい子なのです)。

子供を教える時は特に、長い目でみていかなければいけないといつも肝に銘じてはいるものの、実際、こんな風に変わってくれると本当に嬉しいです。ピアノのみならず、彼女の一つ一つの動作に落ち着きが出て、雰囲気もきちんとした感じに変わっているのです。

こうやって、たくさんの生徒が伸びていってくれることを驚きと喜びでみています。

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ピアノとヴァイオリン

2011年02月22日 | 思うこと
先日、いつものようにテレビのニュースを見ていたら、「林原が事実上倒産」という報道がありました。「ハヤシバラ??」もしかして、あの「ハヤシバラ」かしらと思ったのですけど、やはりそうでした。世界的に有名なバイオリニスト五嶋みどりさんに、ストラディバリウスを終身貸与しているのが林原なんですね。どういうことをやってる会社なのかは全然知りませんでしたけど、以前、夫や知人に聞くと「知る人ぞ知る、超優良企業」とか言ってました。その会社に何が起こったのかは知りませんけど、五嶋さんには、これまで通りずっと弾き続けていただいきたいものです。(現在貸与されているのはガルネリ・デル・ジェス「エクス・フーベルマン」(1734年作)だそうです)

ここで、私はふと思うのです。バイオリニストじゃなくて、ピアニストで良かった、と。だってそうじゃないですか、バイオリンの高いのは○億円もするんです!! 普及品との差は軽く千倍はありますよね。ところがピアノだと高くても高級車1~2台くらいのお値段。普通のグランドピアノとコンサートホールで使う最高級のグランドピアノを比べても値段の違いは15倍くらいじゃないでしょうか。しかも中古になるとぐっとお安くなるし(そういえばストラディバリウスも、ま、中古といえば中古なんですけど(失礼!))。

つまり、その道にのめり込んで行けば行くほど、誰でも、いい道具を使いたくなる、これは当たり前です。それがバイオリンの場合、最高のモノを求めるなら億単位のお金が要るんですから! それに比べるとほんとにピアノで良かったと思います。極端な事を言うと自分で高いピアノを持つ必要すらないんです。それぞれの会場に備え付けてある立派なピアノを弾かせていただけばいいのですから。

アルゲリッチやダン・タイソンが弾いたのと同じピアノで私もコンサートをやったことがあります。ピアノだとこういうことは普通に起こりえます。ピアノの場合は会場備え付けの同じピアノを使わせてもらうということなので、音の良しあしはピアノのせいにはできません。それはピアニストの腕の差が歴然と出るということです。

一方バイオリンの場合は、それぞれ個人所有のバイオリンを使うので、音の違いの本当の原因は腕の違いなのか、それともバイオリンの違いなのか、ちょっと微妙ですね。私には、バイオリンによる違いというのはかなり大きいように思えます。値段の差は伊達ではないと思えるので、これはこれで、たいへんですよね。努力して腕を磨くだけでも大変なのに、それだけでは十分ではないわけですから・・・。

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クララへの勝手な思い

2011年02月16日 | 思うこと
シューマンの曲が大好きです。今、弾いているダヴィッド同盟をその日最初に弾き始めると、もう一日中それをやっていたくなってとまらないので、なるべく他の曲を先にもってきて練習するようにしているくらいです。

シューマンの組曲というのは、このダヴィッド同盟舞曲集に限らず、子供の情景も、カーニバルもなにもかも、本当に胸がきゅんと締めつけられるような曲が多くて、まるで宝石箱の中に小さなとてもしゃれた宝石がたくさん大事に並べられているような感じがします。そんな組曲が大好きです。

ダヴィッド同盟の楽譜にブライトコッフ版を使っています。クララの編集によるものです。シューマンを弾くとき、いつもクララのことを思ってしまいます。

クララ・・・。彼女はどんな思いで夫のシューマンの曲を弾いていたのでしょう? お父さんのヴィークにピアノをしっかりと仕込まれて、豊かな愛情に包まれて何不自由なく育ったのでした。そして、シューマンとの結婚。強く結婚に反対されたのに、それを押し切って結婚したクララ。そこからのクララの人生は大変だったと思います。たくさんの子供を授かり、子育てをしながら、シューマンの才能を信じ、ずっと手助けをしていく。シューマンの力だけでは食べていけなくて、クララ自身がピアニストとして家計を助ける。きっと目まぐるしい毎日だったに違いないと思います。

ブラームスと出会って、気持ちが揺らいだのもわかります。だんだん、シューマンは自分の世界に入って行ってしまい、クララには理解できない世界を持つようになるのだし、それは病気でもあるのだからシューマンを責めることはできないにしても、クララにとってはつらい、孤独感を深めていく日々だったと思います。クララは、しっかり自分を律して子供を育て、ピアノを弾いて仕事をし、シューマンにも気を遣い、懸命に生きていたと思います。

楽譜に書かれているテンポの表示、メトロノームの表示があります。そのテンポのとり方が、甘いメランコリックなゆっくりの曲に関して、ちょっとだけ早目?と感じることがあります。このテンポのとり方に、甘過ぎず、だらしなくならない、そして、甘美へのよそよそしさなどを感じたりします。甘い夢は見ないわ!と拒否するところまではいかないけど。悲劇のヒロインになって崩れたりしない!きっちり律するものがどこかにあるような、勝手にそんな感じを受けます。もちろん、これはシューマンが作った曲なのですが、私はクララに重ねずにはいられません。そして、シューマンはクララだけを見て、クララの気持ちを投影しながら作ったとさえ思ったりするのです。



これらはみんな私の勝手な妄想です。でも、彼らの表面的な生活は調べれば分るにしても、彼らの気持ちの内面は永遠に誰にも分りません。だからこそ、それは私たちの勝手な想像に委ねられるしかないのです。私は、私の勝手な思いをクララに感じ、クララびいきです。

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神さまのおぼしめし

2010年12月12日 | 思うこと
今日は、お休みの日。コンクールの審査もレッスンもコンサートもなく(練習はあるけど)、まとまって時間がある日は、今月は今日が最後かな?

今日、ピアノの部屋の大掃除兼、少し模様替えをしようと思っていました。しかし、昨日からの腰痛がひびき、思うように動けません。簡単な掃除にとどめるか、無理してやっちゃうか、やはりここは用心ですよね。これも、神様の思し召しということで、ゆっくりしておきますか。

何事も、結局そういうことなんだと思うと、気持ちが少し楽になります。上手くいかない時、悩んでいるとき、とんでもないことが舞い込んできた時、どうして?と理由を考え、なにが悪いかを模索します。理由がわかったら、もちろん、すぐ直せます。しかし、一生懸命、善意でやっていても、理解されなかったり、思い通りにならなかったりしたら、かなりへこみます。しかし、。どうにもならないことってありますよね。それは、神様の思し召しなのかと思うことにしています。

その中で、どうやって光をみつけていくか、ここがポイント。今朝も朝日がまぶしい光を放っています。お陽様は、みんなに平等だと教えてくれたのは、今年大ブレイクした「くじけないで」という詩集をだした詩人、柴田トヨさん。そうやって、いろんな励ましを私たちは持っていると思っています。



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湯布院で

2010年12月07日 | 思うこと
先日、湯布院の素敵な場所で開かれたコンサートに出かけました。コンサートが終わって、湯布院の友人と一緒に遅い夕食を食べに行きました。彼女の行きつけの小料理屋さんで、もう閉店の時間に近かったのに快く入れて頂きました。

そしたら、そこのママさんがとっても素敵な方で、他のお客さんが帰られた後も、カウンターを挟んで、私たち二人とママさんの三人で、遅くまでおしゃべりがはずみました。ママさんは、明るくて姐御タイプの、何事にも前向きな方で、しかも思いやりにあふれています。私より年上なんですが、美しくて、ファッションもセンスがよくて、ぐいっと人の気持ちをとらえて元気を与えてくれる、そんな方でした。

ママさんお手製の家庭料理と、元気の出るおしゃべりで、楽しくもてなしていただいて最高でした。この季節、朝晩はとても冷え込む湯布院の、小さなこじんまりとしたお店で、心も胃袋も暖かくなる、そんな夜を過ごすことができました!!

四季折々の湯布院の様子はこちらからご覧ください⇒「湯布院だより

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待つ

2010年12月02日 | 思うこと
どうにも解決出来ない難問を抱えているとき、結局何もできずに事を受け入れて、時が流れて行くことがあります。その時は悩んでいるし、あがいているので、「待てばいいのよ」なんて言葉を気休めくらいにしか受け取れない時があります。

「待つ」というのは、必死になっていればいるほど、大変な作業です。必死になっているので、ジタバタ、あれこれしたくなります。でも、歳を重ねていろいろな経験をしてくると、どうしても待たなければいけない時期というのを理解し、そしてじっと耐えることの大切さも分るようになってきました。

植物を見ていると、そういうことってありますよね。もう、あきらめかけていた樹木が命をふき返したり、肥料やなにかをせっせとやっても花つきが悪かったのに、ある年突然たくさん花をつけて、ブレイクしてくれたり。

これは、私自身のことや我が家の子供たち、また、生徒さんたちにも同じことが言えます。時には「待つ」努力というのが必要なんですね。もちろん、「一生懸命やることをやったうえで」という条件がついた上で、「待つ」ということです。ただ何もしないで何かいいことが起こるのを「待つ」というのは愚かしいことです。でも、いくらやってもどうにもならない時には、静かに、心を落ち着かせて、待ってみましょう。ちょうどワインを熟成させるように。そうすればきっといつの日にか素晴らしい・・・、私は、そう思っています!

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ピアノは人生そのもの

2010年11月19日 | 思うこと
曲のとらえ方や解釈っていろいろあると思いますが、「曲の弾き方でだいたいその人の人となりがわかってしまう」と知り合いのピアニストの方に言われたことがあります。リサイタルなどで、ピアニストが色んな曲を弾くのを聴いていると、その人のことが段々わかってくるというのです。弾き手にすれば、いくら綺麗な衣装で身を包んでも、厚いお化粧をしていても、結局自分のことがバレちゃうというわけです。私の演奏を聴きにきてくれたお友達に「たくさんの愛野由美子を知りました」とメールをもらったこともあります。

人は生きて行くうちに、いろいろな事柄に遭遇し、そのたびに考え苦しみ、対処していきます。その反応、対処の仕方が生き方になるわけですが、人によって、感じ方によって、対処の仕方が変わります。それが、ピアノを真剣に弾くときも出てしまうのです。こわいですね~。

私は、真面目一色でもないし、グータラ一色でもないし、どちらかというとロマン派的で、決して几帳面ではなく、ただ、誠実であるということと、最後まであきらめない! ということだけは自信があります。全力でピアノ演奏に打ち込んでいると、私のこういう色んな性質が、曲の場面場面に応じて散りばめられていくのだと思います。そして、その人間の性質そのものも日々変わっていくわけで、暮らしているうちに、だんだん良くも悪くもなっていく可能性はあります。毎日を丁寧にきちんと生きて行くことも心がけないと、それがまたピアノ人生に影響してくるのです。私に限らず、ピアノに打ち込んでいる人にとって、ピアノを弾くということは本当に人生そのものなんだと思いをあらたにしています。

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不幸になる生き方

2010年11月13日 | 思うこと
「不幸になる生き方」というタイトルの本を読みました。著者は、今、勢いのある勝間和代さん。もちろん内容は不幸になるための本ではなくて、幸福になるための本です。不幸になる人、あるいは、不幸だと思っている人がどんなタイプかを分析し、幸福な人との比較をし、ならばどうすればいいか、どうとらえて行けばいいかを、勝間さんらしく現実的に書いています。

人は自分が幸福だとか不幸だとか、それぞれに感じるものだと思います。その人の欲求が満たされたり、持続されている時に幸福を味わったり、感謝の気持ちがわいてくるものです。逆に、その欲求が満たされない時に不幸感が生じます。価値観の相違で、自分では当たり前と思っていることが、周りの人や世の中には通じない事もあります。そんな時に不幸感を感じることもあるでしょう。仏教の教えのように、すべての煩悩を断つという手段もあるのでしょうけど、それは私の器では、受け付けられない遠い世界です。基本的には、人生楽しまなくちゃ!と思っています。その楽しさのための苦労はするけど、すべての欲求を断つなんて、私にはできません。

この本には、リスクを分散する生き方の推奨や、他責ではなく自責の念を持つこと、一つのことに依存してはいけないことなどを教えています。他人との比較から幸福は生まれないし、自己を肯定して生きていくことも大切です。そして、他人や社会への貢献がひいては自分の幸せにつながるということを書いています。


「不幸になる生き方」、勝間和代、集英社

これを読んで、気持ちが楽になりました。そうだ、そうだと納得しながら読みました。同感!と思うことがたくさんあり、勝間さんもいろいろ乗り越えてきた人なのだと思うと、私も勇気がでました。

結論、「人生を楽しむために努力する」 これだと私は思っています。


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持つべきものは友

2010年11月09日 | 思うこと
昨晩、出張から戻りました。今回は、時間的にも余裕を持った日程で行きました。仕事の後は、友人たちと会い食事会をしました。いろいろなお話を心おきなくできて、とても楽しくて、また、勇気ももらいました。お互い何十年もの知り合いとなると、たとえ久しぶりに会ったにしても、すぐに心を割って共感して話せることが嬉しいです。

職種や立場は違っても、生きていくことを励まし合ったり慰め合ったりする友がいるのは幸せです。気ごころの知れた仲間と一緒に、美味しいお酒と食事を楽しんでいると、いい話も悲しい話も、みんな笑い飛ばしていけるパワーをもらえます。「一、連れ、二、酒、三、さかな」という言葉があるそうです。う~ん!たしかに!同感です。

高速道路を走りながら、ところどころ紅葉している山々の美しさを見ながら帰ってきました。

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花より団子

2010年10月28日 | 思うこと
教室の発表会が無事終了したので、今週はピアノ教室はお休みです。というわけで、今日は家の整理と庭の手入れに挑戦です。久しぶりにホームセンターのガーデニング売り場に行ってきました。以前はよく通っていたのですが、なんだかんだと忙しくしているうちに、ここ3年くらいご無沙汰だったのです。

ものすごく立派なカサブランカの球根を見つけて、思わず買ってしまいました。

広い売り場をあれこれ見ているうちに、お店に並ぶ苗や鉢植えの種類の変化が目につきました。以前は、こぼれんばかりのカラフルなお花の苗が所狭しと並んでいましたが、今は商品の半分くらいが野菜の苗になっているのです。球根コーナーも(秋は、いろんな種類の球根の植え時ですが)ずい分縮小していて、野菜の種の袋が大きな場所を占めて、とても充実した品ぞろえです。

う~ん。「花より団子」ならぬ、「花より野菜」っていう感じ!! これも時代の流れということでしょうか? 景気悪いし、野菜高いし、食の安全も気になるし、確かに野菜は自分で作って食べるに越したことはないかも・・・。

今年はレタスが高過ぎていつものようにバリバリ食べられませんでした。まるで、お肉を買う感覚で野菜を買わなきゃならないので、野菜好きの私としては、痛い思いをしました。かといって、うちの庭でレタスはさすがに無理ですもんね。来年はトマト作ろうかな!

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秋風

2010年09月02日 | 思うこと
朝から、秋を感じる涼やかな風が吹いています。もう、太陽が「ギャハハ」という感じで笑っているのではなく、にっこり微笑んでる感じになってきました。奥ゆかしい太陽が、私は好きです。夏は、強烈過ぎてかえって、萎えてしまいます。ふんわりした光は、まわりをやさしく包んでくれて、なんだかほっとします。

自分の気持ちも落ち着き、やっとほっとした気になります。いつも、バタバタとせわしなく時間と闘っている私ですが、秋風を感じると、ふと立ち止まり、いつもの自分を振り返ったり、今後のことを考えたりしています。小さな希望や、逆に不安なども抱えながら、こうやって、季節を重ねていく人間の生活に思いをはせて・・・。


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イヤリング

2010年08月27日 | 思うこと
今朝は、格段に涼しい風を感じました。さすがに猛暑の夏も終盤にさしかかっているようです。元来、夏は苦手なのですけど、やはりちょっと夏を懐かしむ気持ちが生まれます(ほ~んのちょっとですが)

この夏は、いろんなことがあって、忘れられない夏になりました。それと同時に毎年変わらず、私の夏につきあっている小物もあるのです。その一番の古株は、このイヤリング。

実は、これ、私が小学生の時に叔母がアメリカ土産に買ってきてくれたものです。当時、外国からのお土産なんて一生の宝物みたいに感じて、大人になったらこのイヤリングをしようと、とても楽しみにしていました。

そして、大人になってから、毎年、夏になるとつけています。こんなに長いつきあいになるとは思いませんでした。その後、私がアメリカにわたって、同じものをデパートで発見しました。あちらでは定番なのかな? 夏らしくてとても気にいっています。猛暑の夏も少しづつ終わりそうだし、名残惜しくて今日は、これを着用して出かけます。

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炭酸水

2010年08月02日 | 思うこと


毎日暑いですね。冷たく冷やしたビールがおいしい季節です。なんだか、炭酸のシュワッとした感じが涼やかですよね。瓶や缶を開ける時の、プシュッというあの音も好きです。

甘い飲み物は、ほとんど飲めないので(ココアだけ飲めます)、ジュース類やコーラ、サイダーなどは飲みません。昼間に飲むのはひたすら、お茶か水です。まさか、昼からビールなど飲んでるとお仕事にならないので、夜まで我慢します。

しかし、最近休肝日のための、ノンアルコールビールをいろいろ探しました。飲酒運転の取り締まりが厳しくなったせいか、各社アルコール0パーセントのビールを各種発売しています。それを、休肝日に飲もうと、いろいろ試しました。けれども、どれもこれも、なんかおいしくない。甘くさえ感じる。気に入ったものがみつからない。そこで、そもそもなんで、ビールが欲しいのかということを考え直したときに、私が望んでいるのは、シュワシュワの感覚を味わいながら、喉をうるおすことだということに気がつきました。

そこで、炭酸水!いやあ最近は、炭酸水もいろいろあって、けっこうおいしいんです。甘くないし、私は、これでいける!というわけで、あんまり暑い日は、ひと弾きした後に、ビールではなくて炭酸水。これだと夜まで我慢しなくてもいいし!

でも、やっぱり、ビールの感覚で呑みたいので、炭酸水は夜までとっておこうかな~。私の楽しみごとだから。

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笑う

2010年06月14日 | 思うこと
女流漫画家で大活躍されている西原理恵子さん。その西原さんの生い立ちから今日までの壮絶な人生を取り上げたテレビ番組がありました。その中で特に印象に残ったのは、西原さんが東南アジアに旅行した時に目の当たりにした衝撃的な光景についての想い出でした。貧困にあえぐ村で、両親が亡くなり、残された子供たちは、その親の亡きがらを囲んで、どうすることもできなくて傍らに座っていたのだそうです。西原さんが声をかけるとその子供たちは、笑顔で返事をしたのだそうです。そう、その子たちは笑ったんだそうです。明るい表情で笑ったのだそうです。

よく、元気に笑って生きて行こう!とかいうけど、極限までくると退廃して消えてなくなるような生き方をしない限りは、もう、とにかく笑うしかなくなるのではないか。ほかにどうしようもなくて、というか、ほんとにどうしていいのか分からなくなると、人間って思わず笑ってしまうのではないか・・・。極限状態におかれたその子供たちの、一見場違いな笑顔を目の当たりにして、西原さんは戦慄を覚えるとともに、人間の業の深さというか、ある意味、極限に置かれた時のその子供たちの強さというか、生きる力というか、そんなものを感じたと、おっしゃっていました。西原さんは読者に笑いを伝えるのが仕事の漫画家です。笑う力は生きる力、そういうことを感じとっていらしたようです。

何かとても印象に残るお話しでした。私は想像するのですが、そこにもし音楽があれば、その子供たちはきっと一緒に歌い出すか、音楽にあわせて身体を揺らし始めていたにちがいありません。なぜだかわかりませんが、きっとそうに違いないと思うのです。。。

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生徒の変化

2010年06月10日 | 思うこと
先日、私の生徒の一人があるコンクールを受けました。その子は、去年の秋、教室の発表会を終わって以来、ピアノの練習になんとなく熱が入らないようでした。その様子をみた彼女の母親が、「なにかコンクールにでも出して、きっかけをつくってあげたい」とおっしゃるのでした。私もどうにかしたいと思っていたので、ちょうど彼女にあうコンクールを探し、先日出場したのでした。結果は、予選通過。9月の本選に進むこととなりました。

その次の週のレッスンに来た時、彼女の変化に気がつきました。レッスンを受ける態度がとてもきちんとしていたのです。ピシッと姿勢よく座り、宿題の分もさらってあって、私の言ったことを前向きに一生懸命聞いていました。さらに、コンクールのときは「ドキドキしたけど、賞をもらえてうれしかった」など、色々話してくれました。私は、頑張っていたら音楽の神様がご褒美をくれることがあるという話しをしました。その時の彼女の幸せそうな顔を私は忘れません。

私は、基本的には生徒本人が頑張ろうという意志がなければ、こちらから無理に言うのは、どうかな?という考えです。色々教え出すと、私だけ熱くなっていて、実は相手は閉口しているということが無きにしも非ずなのです。若い頃はそれで痛い目にもあいましたし。

でも、もし、その子にきらりと光るものがあれば、今その子自身が気がついてなくても、その子が、今はそんなに熱心でなくても(子供なんだし自覚なんてできないのが普通ですね)こちらから水を向けて、何かきっかけを見つけてあげれば、伸びるんだと思いました。そのきっかけは人によって様々だと思います。コンクールだけがきっかけではありません。今回はコンクールがきっかけとなりましたが、そのプレッシャーを少しだけ与えることで、変化の兆しがあったと思っています。何事につけ、プレッシャーに負けず挑戦するという姿勢は大切ですよね。上手に生徒の様子を見ながら、伸ばすことができればいいなと思います。

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