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山居倉庫、酒田の米史料館

2018-05-09 16:46:17 | 旅行記

山形の米どころ、酒田のコメ倉庫の山居倉庫(さんきょそうこ)です。

江戸から明治時代、大正、昭和初期はさぞかし活気があったことでしょう。

山居倉庫で見学できるのは一部だけで、ほとんどは今でも現役で使われています。

山居倉庫は最上川の本流から支流を数百メートル入ったところにあります。

コメの集荷や出荷場は鉄道や車が無かった時代には、輸送手段に船を使うので川べりにありました。

これは模型です。

上の方が最上川で下の小舟が溜まっているのが支流です。

米俵の積込みは人力です。

当時は動力がありませんでしたからーーー。

川べりの石垣の所々が開いていて船を引き上げたりするスロープになっていった。

この船は「小鵜飼船」と呼ばれて50俵ぐらいしか積めませんが、前方に帆をかけられるので船足が速かった。

最上川を支流で使われた小回りがきく船です。

最上川本流で使われるのは「ひらた船」で250俵積めることができた。

日本海を航海するのは千石船のような大きい外洋船。北前船と言われていたやつじゃないか~~~。

山居倉庫には、このような倉庫が9棟あり、1万人が1年間食べられる量のお米を、常に保管していた。

酒田の街には観光客が少ないと思ったが、ここ山居倉庫だけは大にぎわいです。

みなさん車でこられるかなー。

当時を再現した実物大の模型です。

米俵の集荷、出荷は女性の仕事だったそうです。

米俵を5俵もかつげた剛力のような女性がいたと言う。

300kgですよーーー。

こんなに重たい俵をかついでいたら、背が縮みます。

健康には、ものすごく悪かっただろう。

人生40年になってしまうよーーー。

脊椎が圧迫されて腰痛なんてものじゃない!

江戸時代なのか、明治時代からなのか、とにかく現在でも使われている米倉庫群です。

日本の大食料供給地域の酒田の米どころを見てほしい。

北海道、秋田、山形、宮城、新潟、茨木、栃木など日本の食料生産の屋台骨ですから。

江戸時代後期から明治時代の初期の頃まで、日本海は日本の大きな流通の大動脈だった。

この図は、お米の渡来ルートです。

大きくみて、3方からお米が渡来したようだ。

旅は歴史と地理、社会の勉強になります。

山居倉庫は今まで知らなかったけど、面白く見させていただいた。

 

鳥海山の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/914987dbd5cfb9e26a0166efdb3739cd

日本海沈む夕日(温海) 

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/b483c563a1634bf053fce7a081ca7123

鶴岡城址

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/ec092001169c876a5fe1cc7b33a367ef

百けん濠(鶴岡市内の創作料理屋)

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/c8c853ce1be1a6385fa9e101325cc7c4

致道博物館(鶴岡市内)

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/239bf491b2a66cd7b07a50d474d70452

月山を見に行ったが(山形県の名峰)

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/0c585204491c32872a3021fa2b36247a

東北紀行

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/71049d5eff2557bc774d4e5dd8fa2255


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