読書ではあるが、古い資料を読んだということです。
神田小川町のオリンパス・ギャラリーをのぞいたときに目にした本です。
私の父の出が広島の山間部なんで、瀬戸内海はご近所の海みたいなもの。
錦帯橋は小学生のころ遊んだ所です。戦後ではあるがまだ日本が復興期であったころなんで、人の顔が貧しくともイキイキしていた。
そりゃ、暗く辛い戦争が終わって、敗戦したとはいえ、価値観が一転して民主主義とは、共産主義とは資本主義とはなど、百家争鳴のいい時代だったんだと思う。
この写真、文献の中にある瀬戸内海の島々や村、風土は美しかった。村単位、島単位で人々が助け合って生きていたさまは美しかった。
だけれども日本の工業が発達して豊になるに従い、人々が村から離島の島を捨て、出ていく過程がちょうどこのコロだった。
発展とはナンだ、と思わざるをえない。自分を振り返っても、この離島に住めるかと問われても、自給自足の生活とはといわれても私にはできない。
地方に文化がないわけじゃないが、文化や娯楽、産業があれば人は回帰するのだろう。イタリアを見ると、地方と中央の文化度にサホド差がない。アジアでは中国も、日本もそうだが、中央と地方の差が大きすぎる。
それは歴史の長さなのか?ナンなのだろう。
この本でも、地方の文化の発信において中央と差があるとかいてある。これは40年前も今も同じような気がします。
地域再生でいちばん多いのが、古い町並みを再現して観光客に来てもらうこと。妻籠宿や奈良井宿、お伊勢さんに行くと、10年前にはこんなのがなかったろうーーーと言うような古い町並みが再現されていたりする。で、、、観光客はいっぱい来ているからいいけど、どこもかしこも同じ事はできないでしょう、中途半端に打ち捨てられている所だってあるから。
でも、ちょっとイージーだけど効果的な発信ができますね。
ただ、長期的に見たら産業が欲しいです。ITの開発は地方でもできるのかしら?あと農業にしても漁業にしても、職場の環境改善が必要でしょう。
農業は志しある人が地方でも活動を始めている。今までの流通が安いことのみに価値を付加していたが、webなどで直販できるようになり、生産者が自分の生産物に価値をつけられるようになった。そこが、既存のシステムや大資本への突破口になるかも。
地方文化は、地方の自信から生まれると思うからだ。
たまには、こういう資料を読んで、懐かしい気持と、寂れていく地方に思いをはせたい。新潟の棚田のお手伝いにも今年は行こう。ボランティアという意識じゃない、生活の一部で、街中ジョギングやトレイルランと同じです。