Photo-vox

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レコードプレーヤーの長大な儀式

2009年07月11日 | music


ちょうど今の家に越してきた前後の頃、当時の音楽環境はかなり質素なものであった。
高校、大学と、あれほど聴いた音楽であったのだが、社会人になってからは何故かあまり聴く筝が無くて音盤の増え方も年に数枚といった程度である。
古くなったミニコンポが1台とCDラジカセが1台。
CDラジカセは直ぐにピックアップ部に故障が生じてCDが聴けなくなりラジオ専用となっていた。
おまけに引越し直後はミニコンポも押入れにしまったままで、いっそ処分してしまおうと本気で考えていた始末。
それでも何ら生活に支障が出る訳でも無く、今にして思うと音楽の無い生活というのも案外簡単に成り立ってしまうのだなと変に感心してしまった。

ある日NHKで「20世紀の名演奏」という特集番組を見た。
3部構成で作られたそのドキュメント番組は往年の巨匠たちの貴重な演奏場面を古いモノクロ映像で次々と映し出してゆく。
コルトー、ハイフェッツ、ホロビッツ、ストラビンスキー。
頭の中のスイッチがパチンと入ったようで、翌日には押入れの奥に閉じ込めていたミニコンポを引っ張り出し、メートル当たり数十円もしないような安い銅線でスピーカーを繋いでいた。

そうなると早いもので毎週ごとに音盤を買うようになり、実家に行ってはかつて聴いていたクラシックのLPを大量に持ち帰ってきた。
もちろんレコードプレーヤーも必要であるので、これも実家から奪取してきた。
いや、実家でも押入れに入れられていたので「救済」という言葉が適切かもしれない。

テクニクス SL-Q33
80年頃購入したダイレクト・ドライブのフルオート・プレーヤーである。

持ち帰ったプレーヤーは自宅では置き場所が無い。
普段は食器棚の上に乗せておき、さあ聴くぞという時になってわざわざダイニングテーブルに下ろしてミニコンポに配線してから演奏するのである。

ダイニングテーブルと言えば聞こえはいいが、単なる折りたたみ式の小型木製テーブルに過ぎない。
しかしその軽量さが幸いしていた。
テーブル上の食器を先ず片付けてプレーヤーを置く。
それをミニコンポが置いてある棚にテーブルごとぐいと寄せないと、配線が届かないのである。

レコードプレーヤーとアンプは直接繋いでも音が出ない。
扱う信号のレベルが違うので、フォノイコライザーという機器を経由しないと正しい信号レベルにならないのである。
従ってそれもテーブルの上に乗せて配線を始めてから、ようやくレコードを聴く準備が整うのである。

かくも長いプレ・セレモニーが続き、そこから初めて巷に言われるレコードをかける手間=儀式と相成るのである。

そして同じ手順を逆回しにしての後片づけ。
休日にすればよいのに平日に何かを聴きたい時がどうしてもある。
仕事から帰ってセッティングしても、LPを2枚ほど聴けばもう就寝時間になってしまうので極めて効率が悪い。

とんでも無く面倒この上ないことであるが、その時期はそんな手間が苦痛でなく、懐かしいアナログの音源に酔いしれていた。

やがて数ヶ月かかってようやくプレーヤーの置場所を捻出した。
ところがオートで動くはずのアームが全く稼動しない。
試しに裏蓋を空けてみたらモーターの回転をアームに伝達するベルトが切れている。
そこで変りに輪ゴムをかけてみたらオートアームが復活したのだけれども、輪ゴムの強度なぞタカが知れているのであっという間に切れて動かなくなってしまった。

再度直そうと思って解体したのだけれども今度はターンテーブルのモーターが動かなくなってしまった。
ヘタに解体をしたからであろうか、原因は全く不明。
長年愛用したプレーヤーは20年の寿命を終えたのであった。
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