朱鷺歳時記

2008年9月25日、昭和56年以来27年ぶりに、10羽の朱鷺が佐渡の空に舞った。
2018年朱鷺放鳥10年を迎える。

朱鷺の捕食

2012年01月29日 | 朱鷺

朱鷺は、田んぼ近くにあるねぐらから早朝群れで飛び出してから、
夕方暗くなる寸前まで餌探しをしています。

朱鷺が舞降りる田んぼは、山の斜面に避難をする木があります。
何かに驚いた時や夏の暑い時間にとまって羽を休めます。

朱鷺の主食は、ドジョウです。他にミミズや昆虫の幼虫などを食べています。

カエルやイモリ、ザリガニなども食べます。

たまに大きなドジョウに出くわした時にビックリして飛び上がることもあります。

水がはってある田んぼで、大きなドジョウを捕まえた時には、逃がしてはいけないと
畦までくわえて来て、食べたりもします。

写真上:ドジョウ
写真中:ザリガニ
写真下:貝? ※最終的には食べませんでした。

朱鷺歳時記(大寒)

2012年01月21日 | 朱鷺

一年で最も寒い大寒を迎えた佐渡島ですが、今年は7℃もあって
両津や新穂地区の雪も融けて少なくなっていました。

小佐渡の山々は雪が少なく、小木や羽茂には雪がありませんが、
大佐渡の山々は雪を冠って真っ白です。

今まで群れを作っていた朱鷺たちも、2羽のペア行動を取るようになり、
朱鷺色から婚姻色に変ってきた個体も多くなってきました。

未だペアになっていない朱鷺も、あっちにくっ付いたりこっちにくっ付いたりして
大忙しです。

今まで朝から夕方まで、捕食に夢中になっていた朱鷺も、食い気より
棒や枝が気になるようで、田んぼに畦に落ちている木をくわえて
相手を追いかけたり渡したりする行為が見られました。

寒い寒いと言っても朱鷺たちには春が訪れているのです。

越冬(七草)

2012年01月17日 | 朱鷺
この冬の佐渡島は、両津・新穂地区は例年に比べて積雪量が多いのですが、
隣の畑野や真野地区に行くと雪が日陰にしか残っていません。

昨年の秋に放鳥された朱鷺は、小佐渡東部から国中平野に移動して
生活をしています。

今年に入り、2度猛禽に襲われるニュース報道がありました。
運良く発見され命は助かりましたが、私の眼の前でも、2度
猛禽に襲いかかられ危険回避をして助かったことがありました。

トキが行方不明になる時期は、餌の少ない冬かと思うのですが、
鳥が羽の抜け替わる「とや」を迎える8月が多いと言われています。

昨年一年間撮影した画像を見ていると、繁殖時期を迎えた頃から
夏に掛けての朱鷺の身体は痩せ細っていました。

繁殖時期には、田んぼに多くの人が出て来ます。神経質な朱鷺は
餌場が少なくなります。そのような影響もあるのでしょうか?

同じ時期の中国の朱鷺と比べてみても胸の張りがまったく違います。

餌となるドジョウの大きさ、日本ではドジョウ以外に多く食べているのが
ミミズです。中国では、私の目の前で30cmほどある田ウナギを立続けに
3匹も食べました。ミミズと田ウナギ、精力のつき方がどちらにあるので
しょうか?

越冬の季節、朱鷺は朝から晩まで捕食をしています。これからももっともっと
朱鷺との共生・共存事業には農家の人たちの力を借りて環境整備が必要と
なってくるのでしょう。



平成24年 朱鷺祈願祭

2012年01月15日 | 朱鷺
毎年新年最初の日曜日に、小佐渡野浦にある野浦大神宮・朱鷺神社で「朱鷺祈願祭」が行われる。

今年も、地元住民・環境省の職員・朱鷺関係者が、朱鷺の放鳥の成功と、自然界での繁殖の成功などを祈願しました。

野浦地区は、昭和時代まで朱鷺が生息していて、3年前の第1次放鳥から昨年の第5次放鳥まで、
放鳥後、真っ先にやって来る地である。

住民も朱鷺への思いが強く、ビオトープや減農薬稲作などが熱心に行われている。


松の内

2012年01月06日 | 朱鷺

2004年(平成16年)10月23日に新潟県中越地震が起きから半年が過ぎた翌年4月に初めて佐渡島へ伺いました。

当時、「桜と木造校舎」と言う企画で、全国に現役で残っている木造校舎に通っている小学生を取材しました。

週刊誌(週刊朝日)の発表だったため、西日本と関西で開花している4校(愛媛県・岡山県・島根県・和歌山県)を
廻り、未だ咲いていない東日本の学校からは写真をお借りしました。

お借りした写真のなかで、佐渡島内の学校が2校ありましたので、
お礼を兼ねて伺ったのが初めての佐渡島になりました。

関越自動車道は、地震の復興途中で、高速では走れないほどうねっていた事を思い出します。
自分の車をフェリーに乗せて、小佐渡にある岩首小学校と大佐渡にある内海部小学校を廻って来ました。

桜が満開の美しい季節で、木造校舎をバックに伸び伸び遊ぶ子ども達が印象的でした。その光景を
一年通して撮影出来ないかと思ってお願いしたところ、翌年から1年間撮影をさせていただく事になりました。

平成17年4月、女の子1人だけの入学式が行われました。桜が満開の季節が過ぎて、5月の終わりに田植と
ビオトープの生物調査の授業が行われ、そこで講師として呼ばれていたのが、朱鷺の取材の切っ掛けになった
NPO法人「トキの島」の中島明夫氏でした。

朱鷺のぬいぐるみを持ち、一風変わった出で立ちの人で、私に向かって「今日はいい日に佐渡にお出でになりました」
「朱鷺のヒナが100目が孵りました」「明日の新聞に出ると思いますよ」と、朱鷺命と言う人でした。

子どもの頃から親の影響で鳥が好きで、小学・中学時代は、夏の自由課題で鳥の巣の研究発表をしていました。

写真学校を出て、主題は人間のドキュメンタリー写真になりました。鳥写真の分野は全く興味はありませんでした。

無論朱鷺に関しても全く知らず、そう言えば、岩首小学校の廊下に、昭和時代の朱鷺の写真が張ってあったっけくらいの
知識でした。

小佐渡の前浜地区は、昭和時代最後の営巣地や餌場になっていたところで、岩首の棚田も餌場になっていたそうです。

小学生の授業の中でもビオトープを取入れたり、放鳥に向けての朱鷺に関する授業が行われていました。授業の中で、
朱鷺保護センターに行って朱鷺を見たのも初めての経験でした。

岩首小学校は、私が通った一年で閉校になってしまいました。「最後の記録をしなさい」と見えない力に呼ばれて行った感があります。

当時、岩首地元住民で大石惣一郎さんという、これまた一風変わった市議会議員さんに出会い、
彼の紹介で朱鷺を保護活動して来た人たちや環境省の担当を紹介していただきました。

朱鷺に関っていられる方々の「もう一度佐渡の空へ朱鷺の舞う姿を・・・」と言う熱き思いに心が動き、岩首小学校の
取材が終わってから朱鷺の取材へと佐渡島通いが変わって行きました。



新歳

2012年01月06日 | 朱鷺

昨年の秋に、群れから離れて2羽行動をしているペアです。

はじめてペアになった朱鷺です。

一羽は、早くも暮れには繁殖色(灰色)に変っていました。

昔は、朱鷺色と繁殖色の二種類の朱鷺がいると思われた時代がありました。

首の後ろから、灰色が含まれた分泌液が出てきて、水浴びをする祭、
くちばしでこすって着色していきます。

4月になると真正面からみると真っ黒になっている個体もあります。

夏のとやで羽がはえ換わると朱鷺色が戻って来ます。

なぜ?色を変えさせるのかと言うと、営巣中に白っぽい朱鷺色だど
目立ってしまい、外敵に襲われる可能性があると言うことです。
進化の過程でなったのでしょうか?

一昨年、昨年の2年間、5ヶ所以上で営巣してヒナの誕生を見ることが出来ませんでした。
営巣中の餌不足の問題、テンやカラスなどの外敵の問題等いろいろ考えられています。

繁殖色になったペアからのヒナの誕生を願いました。

小寒

2012年01月06日 | 朱鷺

朱鷺の飛翔を見た人は、その一瞬で鴇色の美しさに魅了されてしまいます。

ファインダーを通して見た時より、レンズで追えなくなって、
裸眼で見た時の美しさが瞼の中に鮮鋭な姿として残っています。

日本から朱鷺が絶滅の原因となった一つとして、
朱鷺の羽を目当てで乱獲をされたことも挙げられています。

佐渡で、朱鷺が一斉捕獲された昭和56年1月に、
自然界からで朱鷺がいなくなったとされていましたが、
4ヶ月後の5月に中国陝西省洋県で7羽の朱鷺が発見されました。

その切っ掛けになったお話を、佐渡島で長年朱鷺の研究をされていた
佐藤春夫氏から伺った事がありました。

島根の出雲神社の祭礼で、朱鷺の羽を使用していて、中国でも絶滅したと
言われた時代まで羽が入って来ていたと言うのです。

その事実を、文部省や外務省に、朱鷺の写真や資料を送って、
中国政府に朱鷺の調査を働き掛けたそうです。

間もなくして、首の後ろから背中に掛けてグレー色の繁殖毛に変って行きます。

愛らしい朱鷺

2012年01月03日 | 朱鷺

餌のドジョウやミミズなどを捕食いている際、
思いも及ばない大きい餌に遭遇したときに、
ビックリ!して飛び上がる光景がよく見られます。

田んぼで歩いているとき、良く転けます。

そんな、朱鷺が愛らしく好きです。

越冬

2012年01月02日 | 朱鷺


朱鷺の餌は主に、田んぼに住んでいるドジョウを中心に、
休耕田や畦にいるミミズを食べています。

時には、昆虫のサナギやザリガニなども食べます。

第一次放鳥後、初めての冬がやって来た時に、猛吹雪の中、
イモリや佐渡カエル(新種)を雪の中から引っぱり出して食べていました。

以前、日本に朱鷺が生存していた昭和時代には、タニシを食べていたと言う報告があります。

朱鷺は雑食と言っても良いのかも知れませんね。

夏の餌が豊富な季節には、日中は木陰で休む事がありますが、
冬の季節になると一日中餌探しをしている光景が見られます。

日本から野生の朱鷺が絶滅した原因として、乱獲や農薬などの使用によって
餌となるドジョウなどがいなくなると共に、胎内に農薬が入って繁殖の
妨げの原因にもなったと言われています。

朱鷺は、田んぼなど人間との暮しと一緒に、共存・共生している鳥なのです。

朱鷺の放鳥と共に、佐渡島の環境整備が一番の課題になります。

2013年 初春

2012年01月01日 | 朱鷺


昨年暮れのクリスマス寒波で、佐渡島も大荒れになり暴風雪注意報が出ました。
2012年最後の朱鷺との出会いを予定していたのですが、フェリーが運航するか解らず、
暮れも迫った29日と30日に予定を変更しました。

29日午前0時に家を出て、圏央道の狭山・日高I.Cから一路新潟を目指して300km
をノンストップでクルージングを楽しみました。関越トンネルを出てからも道には雪がなく、
空には月が出て星が瞬いてしました。

新潟港6時発のフェリーに乗り、波に揺られながら寝るのはいつもながら気持ちの良いものです、

氷雨が降る両津港に定刻の8時半に着きました。観光客のいないこの季節の佐渡島が好きです。
金北山も真っ白で、両津市内の積雪は30センチほどありました。

今回は5年前、朱鷺の取材の切っ掛けを作ってくれた、NPO法人「トキの島」中島明夫氏
と共にの取材でした。

佐渡島の天気は、大きく分けて大佐渡・国中平野・小佐渡に分かれます。
朱鷺の暮らしているのは、国中平野と小佐渡の2ヶ所です。

平成23年(2012年)は、1月から数えて16度目の来島になりました。通算31日
佐渡島にいた事になりました。一ヶ月間朱鷺といられたと思うと感無量の思いです。

中越地震の半年後初めて佐渡島に来てから6年の歳月が過ぎ、来島は80回を過ぎました。

2日間、小佐渡にいる朱鷺の取材をして来ました。初日に、第一次放鳥の3羽を探したのですが、
いつもいる田んぼには何処を探しても見つかりませんでした。
いつも2日間の取材で、2日の内の1日は空振りに終わる事が多いのです。

初日は、早くも婚姻色に変わっているペアが田んぼで捕食をしていました。
今年初めてペアになった2羽です。

1日目、張弓神社の階段の下で手を合わせただけで、社殿まで行かなかった事を後悔して
いたので、2日目に朝に社殿まで上がって、お賽銭をあげさせていただいてから、
今年一年、健康で無事に日々を送れれことの感謝し、来年に向けてのお願いをしました。

神社を後にして車を走らせていると、遥か先に第一次放鳥の3羽の朱鷺が舞降りるのを見ました。

神様のご加護だと思って、3羽の朱鷺に逢いに行きました。