院長は従来法ですでに松山でも100例以上の漏斗胸治療を行っていて、学会発表するととても評判がよかったので、漏斗胸治療の方法をいろいろ模索していました。
院長は自分で漏斗胸手術の論文を分析 当時、漏斗胸治療を熱心に行っていたのは、東京女子医大病院(胸部外科)、札幌医大病院、名古屋市立大学病院.金沢大学病院.天理よろず病院などでした。新たにナス法に取り組もうとしていた東京警察病院、国立岩国病院(後の川崎医大病院)、長浜赤十字病院、長野こども病院、東京女子医大病院(形成外科)、札幌医大病院と同時に、当院もナス法よる漏斗胸手術に取り組むことになりました。
最初の症例は10歳のお子さんでした。笠置院長以外の他の先生方は、アメリカのナス博士を訪ねて行って術法を勉強していましたが、ナス法には再発率や合併症が高いという問題点があることを考えると、笠置院長は自分で漏斗胸手術の論文を分析して、当初からナス法を改良する道を選んだのです。
院長は自分で漏斗胸手術の論文を分析 当時、漏斗胸治療を熱心に行っていたのは、東京女子医大病院(胸部外科)、札幌医大病院、名古屋市立大学病院.金沢大学病院.天理よろず病院などでした。新たにナス法に取り組もうとしていた東京警察病院、国立岩国病院(後の川崎医大病院)、長浜赤十字病院、長野こども病院、東京女子医大病院(形成外科)、札幌医大病院と同時に、当院もナス法よる漏斗胸手術に取り組むことになりました。
最初の症例は10歳のお子さんでした。笠置院長以外の他の先生方は、アメリカのナス博士を訪ねて行って術法を勉強していましたが、ナス法には再発率や合併症が高いという問題点があることを考えると、笠置院長は自分で漏斗胸手術の論文を分析して、当初からナス法を改良する道を選んだのです。