地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷

地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷、副題( 森鴎外と福沢諭吉、三田文学における その後 ・・・ )

福岡)両陛下が世界遺産登録の宗像大社を参拝

2017年10月31日 | 山口県庁
福岡)両陛下が世界遺産登録の宗像大社を参拝

馬郡昭彦 2017年10月30日03時00分

全国豊かな海づくり大会で宗像市を訪れた天皇、皇后両陛下が29日、宗像大社を参拝。世界文化遺産に登録された沖ノ島から出土した国宝などを見学した。

•特集:皇室とっておき

 宗像大社では葦津敬之宮司が銅鏡や勾玉(まがたま)などの玉類、鉄剣などを示しながら説明した。天皇陛下は「これだけのものをよく守ってくれました」と話し、世界遺産に登録されたことを「よかったですね」とねぎらったという。

 天皇陛下は皇太子時代の1983年に宗像大社を訪問しているが、天皇としての参拝は今回が初めて。皇太子時代には葦津宮司の父親が宮司を務めていたという。

 世界遺産に登録された宗像大社… ・・・2017年10月30日、朝日新聞デジタル 03時00分  配信より

私のコメント : 平成29年10月29日、全国豊かな海づくり大会で宗像市を訪れた天皇、皇后両陛下が29日、宗像大社を参拝。世界文化遺産に登録された沖ノ島から出土した国宝などを見学した。天皇陛下は皇太子時代の1983年に宗像大社を訪問しているが、天皇としての参拝は今回が初めて。祭政一致。

平成29年9年9月21日、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員との対応を持った。

その内容について・・・・・ 平成29年9月20日、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 の許へ行き、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長と私は、面談した内容に関する件について、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員と私との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関し、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長へ、私からの説明も入れた報告、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 対し、行った 公益内容、更に、50年前の明治維新100年祭 当時から 公益 文化財の保護における、経過もあり、明治維新150年祭に向け、岩国市 吉川史料館との対応も、私の許では、あることの説明もおこない、岩国市 吉川史料館 館長、並び、学芸員から、私への善処と配慮を求めた。

山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員から、私に対し、私が、岩国市 吉川史料館 学芸員へ、お尋ね申し上げた、「岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 」に関しては、

「 岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 

昭和63年3月29日(山口県教育委員会告示第二号)

由来及び沿革

吉川家墓所は、岩国に入府した吉川家17代家(岩国吉川家初代)から28代経幹(岩国吉川家12代)までの、当主及びその一族の墓所である。

吉川氏は、藤原南家の支流入江氏の出で、駿河国入江荘吉河邑(静岡県清水市)を本質とする東国武士である。13世紀の 4代経光の時代に、承久の乱の勲功として安芸国山県郡大朝本庄(広島県大朝町)の地頭職を与えられ、正和2年(1313年)5代経高の時代に大朝本庄に移った。

16世紀の吉川氏は、播磨国や石見国の一部にも勢力を張る戦国大名に発展したが、東の尼子氏と西の大内氏・毛利氏の対立の中で、天文16年(1547)毛利元就の次男元春を養子に迎え、毛利一門となった。以後、吉川氏は、元就の三男隆景が家督を継いだ小早川氏とともに、毛利氏を補佐し毛利氏が戦国大名として発展することに尽力した。

岩国吉川家の始祖となる広家は、この元春の三男で、兄元長の病死により、天正19年(1591)、安芸国旧館、伯耆国3郡、出雲国3郡、隠岐国14万石の家督を継いだ。

その後、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いで、毛利氏は西軍の主将として徳川氏と戦い敗れたが、毛利の一軍として参戦した吉川広家は、内々徳川方と通じ、戦後毛利家の存続に努めた。そのため、毛利氏は、敗軍の将であるにもかかわらず周防・長門の二ヵ国を受領したが、吉川広家はその功績により毛利氏の領国の内、玖珂郡・大島郡の内3万石(のち6万石)を拝領した。

慶長6年(1601)、岩国に入府した広家は、横山山頂に岩国城を築き、城下町を建設し、知行地を検分して藩制を整備した。その後、岩国吉川氏は、広正・広嘉・広紀・広遶・経永・経倫(徳山藩主毛利広豊の末子)・経忠・経賢・経札・経章・経幹・経健と続き、13代、270余年にわたって在封した。

明治元年(1868)、朝廷は、毛利氏の末家として、経幹(慶応3年に死去)を諸侯に列し、城主格を与えた。岩国藩が成立するのはこの時からで、この間2代広正以降、幕府からは、正式には、諸侯に列せられなかった。しかし、江戸には邸宅を与えられ、四季折々の献上と家を継いだのち登営し将軍に謁見することを許されており、また、幕府から諸侯に課する諸普請や諸課役も諸大名並みに賦課されていたので、実体は諸侯に準じる扱いを受けていたと考えることができる。

墓所が形成されるのは、寛永2年(1625)広家が没した年からで、洞泉寺裏山に広家の墓所が営まれる(資料1図中NO.4)。つづいて、寛永18年(1641)広家後室光寿院が没して、その供養のため新豊院(浄土宗、のち光寿院、実相院と改称)が再興され、その境内に墓所が営まれた。場所は、広家墓所の北に続く同じ山腹である(昭和20年山崩れで崩壊)。2代広正の室高玄院は、広正に先立ち正保元年(1644)に没しているが、その墓所もこの新豊院境内に営まれた。

吉川家墓所の中心を占める地区、寺谷口御塔場(資料1図中NO.1)は、2代広正が没した翌年、寛文7年から造営が始まった。この経緯については「好問随筆」(岩国徴古館)に詳しい。

墓所造営は、広正が没した寛文6年の秋に3代広嘉より沙汰があり、翌年正月家臣戸川理佐衛門が大坂へ登り石工を調達し、石材は大畠石神で採取している。墓所造営は、長崎より招請した独立禅師(明の書家、医家)に采配させ、同年2月7日より普請を始めている。墓所造営予定地は、家臣の屋敷地だったため、2月27日に竹下長佐衛門ら、3名の家臣に屋敷を明け渡させ同日これを解いている。造営は5月3日に成就したが、この間光寿院(新豊院を改称)の高玄院墓所を解き(後実相院と改称後、跡地には6代経永の墓所が営まれた)、洞泉寺(禅宗)に葬られた広正とともに中心部に石塔を建て納骨を行った。両石塔の刻銘(戒名)は、独立揮毫である。

また、3代広嘉(玄真院)の墓は、広正室の高玄院の墓石の横に、延宝7年(1679)に造営された。記録(岩国藩御用所日記)によると、11月5日に造営成就したが、石塔建立には約350~360人の人夫が当たり、御塔場建設が、大工事だったことが知られる。また、玄真院墓石の刻銘(戒名)は学僧竹渓昌筰の揮毫である。

現在の墓所の景観は、寛文7年のこの墓所造営以降順次形成されていったもので、広正・広嘉以降の代々の墓所は、この墓所の前面及び背面に広がっていった。初代広家の墓所が営まれた山腹には、12代経幹夫婦の墓所及び代々の藩主の子女、側室(妾)の墓も営まれている。

構造及び形式

今回指定申請がなされた地域は、寺谷御塔場と称する地区及びその裏山で、面積9,615㎡(実測)を測る。

墓所は、木立と土塀にに囲まれ、霊域として盛厳な雰囲気を保っている。

墓所の構造は、明治時代のはじめに描かれたと見られる「御塔場図」(岩国徴古館)で確認することができる。まず、御塔場の正門を入ると遥拝所と倉が置かれている(現在は撤去)。遥拝所跡地の南には現在寛政6年銘を持つ鳥居があるが、この図には示されていない。後日移したものと思われる。鳥居をくぐると、正面には土塀で区画された墓所が広がるが、正面は8代経忠夫妻の墓所であり、そこから西奥に代々の墓所が造られている。また、遥拝所跡地の西奥は広い平坦地となっている(指定対象外)が、「御塔場図」には「元横道屋敷」及び「元清泰院」という記載がある。このうち清泰院は、3代広嘉室の天長院が元禄年間に建立した法華宗の寺院で、明治3年に廃寺となっている。この広い平坦地には現在円筒形の納骨堂がある。これは昭和39年に建立されたもので、初代広家をはじめ代々の当主及びその一族の御霊が納められ、また、吉川家の墓所として使用されている。

指定申請地内には、岩国吉川家初代広家から12代経幹までの11公(6代経永を除く)とその室や子女の墓51基、石灯籠95基、手水鉢9基がある。

51基の墓石のうち大半は五輪塔で34基を数え、他は板石13基、笠塔婆3基、宝篋印塔が1基である。この内、板石は寛永期から寛文期までの古い時期と、文政期以降の新しい時期に見られる。

当主及び室の墓石を見ると、初代広家、10代経札、11代経章、12代経幹、経幹室の5名が板石であり、高さ280~315㎝の規模である。他の当主及び室は、いずれも五輪塔で、高さ331~389㎝の規模を測る。広家の母吉川元春室の墓石は、やや小振りで高さ260㎝を測る。この墓石は、慶長期の五輪塔で、元々万徳院(横山)にあったものを、明治初年に現在位置に移したものである。

当主の子女の墓石は、広家及び広正の子女の合葬墓(明治初期に造られる、墓石番号31)や明治以降に造られたと見られる広正の子息の墓(墓石番号33・34)などが板石であり、また、広家十七女宮鶴姫の墓石(墓石番号45)が唯一の宝篋印塔であるのを除いて、大半は五輪塔で、高さ122~210㎝の規模を測る。

側室(妾)の墓石は、五輪石2基、板石2基であり、うち3基は高さ194~215㎝を測るが、高さ132㎝の板石墓石(広家、広正の妾の墓、墓石番号38)は明治以降の合葬墓である。

石灯籠及び手水鉢のなかには、12代経幹夫妻の墓所にある「誰が袖の手水鉢」と初代広家墓所にある「みみずくの手水鉢」など、優れた工芸品も遺されている。前者は京都の小掘家から贈られたと伝えられる遠州好みの手水鉢である。幕末安政3年に本藩毛利敬親と12代経幹が手を結んだとき、横山の御館にあったものを萩に持参したと伝えられ、本品はその写しとされている。また、後者は芸州藩の家老であり茶人でもあった上田宗箇が広家に贈ったと伝えられるもので、長く今津の淨浄念寺にあったものを明治40年に現在地に移したものである。」 山口県庁 文化財要録における、配信内容に関する、説明をしていただいた。

以上の引用は、山口県庁 ホームページの下記 より、
1. 指定文化財の検索(一覧から選ぶ)>
2.文化財の概要>
3.文化財要録

平成29年9年9月21日(木)、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員との連絡 対応を持った後、山口県 岩国市 文化財保護課 職員と私は、対談し、山口県教育委員会 社会教育・文化財課 文化財保護班 職員とも対談した。

平成29年9年9月21日(木)、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査の許へ私は、連絡も入れて、萩市農業委員会 会長による、その私に対する、その農政 対応 あるために、山口県 萩市長、並び、萩市 総務部より、私による国内の文化財 保存・維持活動に関しても、善処を求めた。

( 島根県 文化財 竹島 等 も 含む 内容  外務省 いわゆる 密約書 不在の問題、・・・・・ )

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沖ノ島、世界遺産登録へ 関連遺産の登録焦点 (2017/07/08 07:06)

福岡県の「沖ノ島」は、8日にも世界遺産に登録される見通しです。日本側が求める九州本土側の関連遺産と一括登録されるのかが焦点となります。日本が登録を推薦している福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、4世紀から9世紀の古代祭祀(さいし)の変遷を示す遺跡がほぼ手つかずのまま残されています。登録の鍵を握るユネスコの諮問機関は、沖ノ島については世界遺産にふさわしいとしていますが、九州本土の「宗像大社辺津宮」など4資産については除外するよう勧告しています。文化庁や地元自治体は、全体としての世界遺産登録を訴えていて、8日にも行われる審議を前に、関係各国などへのロビー活動を続けています。・・・ 平成29年7月8日(土)、テレ朝news 配信より



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山口県 健康福祉部 薬務課 

2017年10月31日 | 山口県庁
平成29年10月31日、以下における、各対応もありながら、平29年薬務第482号 平成29年9月29日付、山口県知事村岡嗣政殿より、「公文書開示請求の却下について(通知)」が到着しているために、山口県 健康福祉部 薬務課 麻薬毒劇物班 班長 林雅裕主幹立会いのもと、私から、その審査請求書を山口県庁へ提出した。

その後、山口県庁 山口県民相談担当 岡崎誠 主幹の許へ、今回の内容に関する報告に行く。

同日、今までに至る経過 私からの書面による、相談 その種々の対応がある 当該 島根県 益田市 亀井事務所へ 私は、連絡もした。

平成29年9月 山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹、山口県 健康福祉部 薬務課 麻薬毒劇物班 班長 林 雅裕主幹 等 私は、山口県 情報公開センター 受付にて、情報開示後に、その内容に関する懇談し、今回、香川裕子主幹、林 雅裕主幹、その二人と私との対談内容に関しては、その回答を山口県 健康福祉部 薬務課より、私の許へいただきたい旨、申し伝えた。

平成29年10月30日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談する。 山口県 山口市、萩市、柳井市、田布施町、平生町、上関町に関係する内容、及び、当該 総務省 総務大臣 山本早苗氏、総務省 総行過第53号 平成29年4月14日、山口市長殿 「平成28年度過疎地域等自立活性化推進交付金の額の確定について(通知)」から、その対応の件を含め、・・・・・

同日、山口県民相談担当 佐藤理子主査との今迄の対応があるため、山口県民相談担当 岡崎誠 主幹からの対応を持つ。その際、 「 山口県民相談担当 佐藤理子主査から、病欠届が出され、その後、入院をした。本人(山口県民相談担当 佐藤理子主査)からの休職願いが、山口県庁へと、それが、提出されない限り、山口県民相談担当に、山口県民相談担当 主査 替りの職員の配置は、なされない。よって、( 山口県民相談担当 岡崎誠 主幹 ) 主幹 自身が、今後の対応、(私からの相談)には、対応をしていく 等、・・・・ 」に関する内容を聴く。

平成29年9月22日(金)、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹、山口県 健康福祉部 薬務課 麻薬毒劇物班  班長 林 雅裕主幹 等 私は、山口県 情報公開センター 受付にて、情報開示後に、その内容に関する懇談し、今回、香川裕子主幹、林 雅裕主幹、その二人と私との対談内容に関しては、その回答を山口県 健康福祉部 薬務課 伊藤弘範 課長より、私の許へいただきたい旨、申し伝えた。

平成29年9月20日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談する。
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安倍晋三首相「プーチン大統領を下関市にも呼びたい」 地元・山口県での日露首脳会談に意欲

安倍晋三首相は13日、山口県下関市の私邸で、地元の後援会関係者との会合を開き、ロシアのプーチン大統領を山口県内に招待し、首脳会談を開きたいとの意向を伝えた。首相は後援会関係者60〜70人と食事を取りながら懇談。出席者によると、首相はプーチン氏の訪日について触れ、「下関市にも呼びたい」と話したという。プーチン氏の訪日をめぐっては、今年5月にロシア南部ソチで開かれた首脳会談の際、日本側が山口県での首脳会談を打診。9月初旬には安倍首相がウラジオストクを訪問し、プーチン氏と会談する予定で、年内訪日に向けた調整が図られる見通しだ。これに先立ち首相は、同県長門市で昭恵夫人と父、晋太郎元外相の墓参りをした。首相は墓参後、記者団に「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の批准や補正予算の成立を目指し、全力を尽くすと誓った」と語った。 ・・・ 平成28年8月13日(土)、産経新聞 配信より

私のコメント: 安倍晋三首相は、山口県長門市で 昭恵夫人と父、晋太郎元外相の墓参りをした後、記者団に「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の批准や補正予算の成立を目指し、全力を尽くすと誓った」とも語っている。



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山口市長選・4選の渡辺純忠氏が初登庁

2017年10月31日 | 山口県庁
山口市長選・4選の渡辺純忠氏が初登庁

10/30(月) 20:20配信

きのう投票が行われた山口市の市長選挙は、現職の渡辺純忠さんが4回目の当選を果たしました。けさ、市役所に登庁した渡辺さんは「市民の生活が豊かになるよう一緒にまい進しよう」と職員に訓示しました。当選から一夜明け、渡辺さんは市役所に登庁し、およそ200人の職員らに拍手で出迎えられました。執務室に入ると早速、書類に目を通していました。午前10時には市選挙管理員会の真庭宗雄委員長から、当選証書を受け取りました。渡辺さんはきのう投票が行われた山口市長選挙で、4万3475票を獲得し、新人候補2人を大きく引き離して4回目の当選を果たしました。投票率は43.1パーセントで、過去最低だった前回を6.66ポイント上回りました。渡辺純忠市長は、「山口市の未来を確かなものにするために、市民の皆さんの生活がより豊になるようまい進しよう」と幹部らに訓示しました。任期は来月13日から4年間です。・・・ 2017/10/30(月)、 tysテレビ山口 20:20配信 より

私のコメント : 山口市 市長選挙は、現職の渡辺純忠さんが4回目の当選を果たしました。渡辺純忠市長は、「山口市の未来を確かなものにするために、市民の皆さんの生活がより豊になるようまい進しよう」と幹部らに訓示しました。任期は来月13日から4年間です。



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2号機再稼働18年度以降…島根原発

2017年10月31日 | エネルギー問題
2号機再稼働18年度以降…島根原発

2017年10月26日

◇安全工事1年延長、断層見直し

中国電力は25日、島根原子力発電所(松江市鹿島町)の南にある活断層「宍道断層」の長さを見直したことに伴い、同原発2号機(停止中)と3号機(建設中)の安全対策工事の完了時期が1年遅れると発表した。2号機の対策工事完了は2018年度内となり、この結果、17年度内としていた2号機の再稼働時期が18年度以降にずれ込むことが確定した。中電は7月、宍道断層の長さを25キロから39キロに見直すと表明し、原子力規制委員会が9月の審査会合で認めた。断層が長いほど、原発の耐震設計に関わる基準地震動が大きくなり、中電は現在は800ガルとしている基準地震動を引き上げる見通しだ。それに伴い、中電は2号機再稼働に向けた安全対策で完了していない工事のうち、機器・配管の耐震向上など13項目について、完了時期を17年度内から18年度内に変更。3号機についても、11項目の完了時期を1年間先延ばしし、最長で19年度内の完了とした。中電は今後、基準地震動の算定作業を進め、確定すれば、実施済みも含めて安全対策工事を調査。工事計画変更や追加工事などを判断する。中国電力島根原子力本部の渡部公一広報部長は「安全審査に適切に対応できるよう、確実に安全対策工事を進めたい」としている。・・・ 2017年10月26日 、読売新聞 配信より

私のコメント : 平成29年10月30日、山口県 中国電力上関原子力発電所準備事務所 松岡広報部長との連絡対応を私は持った。

平成29年10月30日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談したおり、以上と以下の経緯対応もあることも話した。

山口県では、平成20年10月16日、自然保護団体「長島の自然を守る会」などの団体が、原発予定地の埋め立て許可を出さないよう求めた署名計約8万筆を山口県知事に提出、10月20日には山口地裁に対し漁業者が県に埋め立て免許を出さないよう求める提訴を行ったが、その直後10月22日、当時の山口県知事二井関成氏が、中電に対し用地を造成するための公有水面埋立免許を交付され、建設に向け、動き出した。

平成28年7月、出光経営側と創業家、平行線。平成28年4月5日 表千家 同門会 全国大会 萩市 国重要文化財 民家 熊谷家住宅 茶室 茶会ヘ 岸信夫代議士 来席、花燃ゆ、・・・

山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 から ・・・・

平成29年10月18日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 との間にて、私は、10月17日に、山口県 山口市役所、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下に関係し対談もおこない、山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からの、その内容に関する、私への意見があった件に関し、故 山本繁太郎前山口県知事と私との対応と対談の各内容もあるために、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 田辺賢清 主任主事へ、その説明を入れた。

平成29年10月17日、山口県 山口市役所において、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された 山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下の内容に関係し、その対談も 私は、おこない、島根県 津和野町日本遺産推進協議会、亀井氏入城400年記念事業実行委員会 発行の「津和野藩主亀井家入城四百年 記念事業のご案内」パンフレットをもとに、山口県 山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ、その内容に関し、説明もし、島根県 津和野町教育委員会 教育長から 私宛 公文書開示決定通知書 「平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」、私には、その意見具申について、文化庁との対応がある旨も、具体的に、山口市役所 収納課において、山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ説明を入れた。山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からは、それに対し、私への意見があった。山口市役所における対応は、今までの私への対応 経緯と経過もたどり、文化庁、宮内庁 等における国の各機関からの対応も 当該 山口市長へ、それが発生していく旨、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員に対し、過去、萩市長 8代:菊屋嘉十郎(1959年~1983年) 9代:林秀宣(1983年~1987年) 10代:小池春光(1987年~1993年) 11代:野村興児(1993年~2005年) 各市長における、市役所 行政 各話題も交え、私は、その説明をおこなった。

平成29年10月16日、島根県 原子力発電所 設置へといたる経緯に関しては、島根県 衆議院議員 亀井亜紀子 代議士と面談、会食もしたおり、私が、慶應義塾大学 西川俊作教授のゼミで学んだいた当時、島根県 櫻内 義雄 (さくらうち よしお 元日蓮宗 全国檀信徒協議会 会長 ・・・ウィキペディア フリー 百科事典より )からの 当時 慶應義塾大学 西川俊作教授 許へと対応もあり、当時の話題についても、意見交換し、その整理のため、中国電力株式会社 上関原子力発電所準備事務所兼重様の許へ連絡を入れて、その事後の調整をしている。

湛山回想 (岩波文庫、1985年12月、)

『日本古文書学』 雄山閣 伊木寿一 著 1930年
『古文書学』 慶應通信 1949年

「 慶應義塾入社帳 第四索引 」 慶應義塾塾監局 塾史資料室
「 吉川重吉自叙伝 」



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国内唯一、漢方薬の原料を初収穫  「ゴシュユ」高浜が産地に

2017年10月31日 | 医療活動
国内唯一、漢方薬の原料を初収穫  「ゴシュユ」高浜が産地に

2017年10月30日 午前7時20分

福井県高浜町山中の山林に、漢方薬の原料となる中国伝来の植物「ゴシュユ」が群生していることが分かり、周辺で薬草栽培に取り組む地元の住民グループ「青葉山麓研究所」のメンバーらが29日、販売に向けて果実を初収穫した。ゴシュユはこれまで中国産の輸入品しかなく価格も高騰しており、同町は国産ゴシュユの唯一の産地となった。関係者は「薬用植物栽培のメッカとして知名度を上げる第一歩になる」と期待を膨らませている。同研究所によると、ゴシュユの群生地は別の薬草の試験栽培園の近くにあり、2年前に見つかった。広さは約千平方メートルにわたり、成木だけで約350本に上る。詳しい経緯は不明だが、土地所有者が約50年前に植えたらしい。発見後、ゴシュユの果実は北里大で成分検査を行い、今年9月には同大と高浜町、同研究所が日本生薬学会で共同発表。漢方薬に処方できる国産原料としてお墨付きを得た。群生地は所有者から栽培用に無償貸与された。・・・ 2017年10月30日、福井新聞 午前7時20分 配信より

私のコメント :平成29年10月29日、福井県高浜町山中の山林に、漢方薬の原料 植物「ゴシュユ」が群生していることが分かり、薬草栽培 地元「青葉山麓研究所」のメンバーらが10月29日、果実を初収穫した。同研究所によると、ゴシュユの群生地は別の薬草の試験栽培園の近くにあり、広さは約千平方メートルにわたり、成木だけで約350本に上る。ゴシュユの果実は北里大で成分検査を行い、今年9月には北里大と高浜町、青葉山麓研究所が日本生薬学会で共同発表。漢方薬に処方できる国産原料としてお墨付きを得た。ゴシュユの群生地はゴシュユの所有者から栽培用に無償貸与された。



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慶大が7季ぶり35度目の優勝 東京六大学野球

2017年10月30日 | 慶應義塾大学
慶大が7季ぶり35度目の優勝 東京六大学野球

2017.10.30 19:34

東京六大学野球秋季リーグ戦第8週第2日は30日、東京・神宮球場で早慶戦の2回戦を行い、慶大が7-2で早大を下し、7季ぶり35度目の優勝を決めた。慶大は二回に先制し、六回にも2点を加えた。1点差とされた八回には集中打で4点を奪い突き放した。先発左腕・佐藤宏樹(1年)は8回を4安打2失点と好投し今季3勝目を挙げた。・・・ 2017.10.30 産経新聞 19:34 配信より

私のコメント : 平成29年10月、東京六大学野球秋季リーグ戦第8週第2日は、東京・神宮球場で早慶戦の2回戦を行い、慶大が7-2で早大を下し、7季ぶり35度目の優勝を決めた。

平成29年10月30日に、私に、以下の対応もあり、よって、京都大学 医学部卒 医学博士と私は、対談し、海外における、そのグローバルな知識も所持をされている、医学博士である医師より、今回の内容に沿い、貴重な医療分野の助言をいただいた。

平成29年10月23日、ニューヨーク 国際連合 本部に勤務され 地元、山口県 山口市へ日本の国連貢献の連絡をされていた 当時、国際連合における医療活動に従事されていた楠川 晃医師 ニューヨーク 国際連合 本部からの対応、及び、慶應義塾大学 産業研究所 並び、慶應義塾大学 福澤研究センター 西川俊作 所長 ( 慶應義塾 福澤研究センターは、福沢諭吉やその門下生、福沢の創立した慶應義塾及びその出身者・関係者の事績について幅広く資料収集・調査研究を行い、さらには福沢や義塾を視野に置きつつ、広く近代日本の研究を目的として設置されています。ですから学校史の編纂所・資料室の機能を備えつつ、役割はそれにとどまりません。その目的を達成するために、慶應義塾 福澤研究センターは慶應義塾内の諸学部・一貫教育校の枠を越えた全塾的な共同研究機関と位置づけられ、義塾外の研究者とも隔てなく連携しながら活動しています。研究・収蔵のための主な施設は、慶應義塾の象徴ともいえる三田キャンパス内の慶應義塾図書館旧館に置かれています。 ) からも、私は、その対応による各経過もへて、ようやく、平成29年10月23日、島根県 津和野町教育委員会文化係より、津和野町 畑迫病院 初代院長 吉田興三医師は、ドイツ人 御雇医師 ヨンケルに学び、その後、東京大学 医学部を卒業され、森林太郎の一年後輩に関する書面による連絡文 受け、東京大学 医学部 血清学研究における 明治33年 当時 細菌研究所、日本国内で、その血清を完成させていく経緯 等の確認をしていくことも、できるようになった。
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蘭学資料研究会 研究報告 東京大学医学部血清学教室内 「毛利藩の蘭学」 昭和36年10月21日より

毛利藩の蘭学資料目録

蘭書の部
1)Roode,T.G.A.Dr.:Handboek der natunrkude van den Hollandish,vertaald door K.J.Y.Ipma.Amst.,1809 pp.1631 (mai) (Oomura)

2)Haarst,Wm.van :Natuurbeschouwingen voor jonge lieden,ter verdeling van verstand en hart.le en LeStjkje(in een boek).Amst.,1820-23

以下 省略

( 山口県立図書館 及び 山口大学図書館 蔵 )

13) 省略

14)Dr.von Siebold : Tot Gedachtenis aon mynen vriend Koemaja (Handschrift). 1829 (Hagi-Kumaya)

( 以上 萩、熊谷家 蔵 )


以下 省略

附録  大村益次郎蔵書目録  大村益次郎文書保存会

1. Kleine Oorlog

2.Tweede Afdeeling voor het Tuig.

3.Handboek der natuurkunde van den Hollandsch.

以下 省略

昭和36年10月21日 当時、蘭学資料研究会は、東京大学医学部 血清学教室にありました。蘭学資料研究会 現況について、東京大学から、その後、当方へ連絡が、有りません。その近況については、残念ながら 存じ上げていませんこと報告します。

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島根県 津和野町 商工観光課

平成28年4月26日、島根県 津和野町 商工観光課 藤山 宏課長と対談した。対談の内容、津和野町 商工観光課における部署からの返事は、私が、待つということになる。

平成28年4月25日、28日、島根県吉賀町職員より「吉賀記を読む ~歴史が語る~ 」に関し、私は、説明を受けた。

平成28年5月2日、津和野カトリック教会にて、ベルギー王国大使館文化部と今までの日白 文化交流もあるため、シスターと懇談をした。

平成28年5月3日、津和野町 津和野カトリック教会「乙女峠まつり」が、開催されました。

平成28年5月17日、島根県 津和野町役場からの連絡、私は、その確認を行い、その後、日独同盟時代 山口県下の文化交流、最近の日独交流150周年事業も含め、文化国際 各交流の経緯、外務省 中東欧課 石倉様へ報告。また、G7. 伊勢志摩サミットに対応している件、外務省 経済安全保障課 高村様に関して、私は、外務省 中東欧課 伊藤様へ報告を入れた。山口県庁 山口県広報広聴課 県民相談担当 山根真裕美主査へ、その関係している内容の連絡と確認も行った。

平成28年5月18日、島根県 津和野町 商工観光課 藤山 宏課長から 私の自宅に連絡が入るが、私は、私の関係している 山口県庁 職員、及び、島根県吉賀町役場 職員 等と私との対応における途上があり、その連絡時に、その対応、私には、その許す時間がなく、その際、失礼をする。

平成28年5月18日(水)、島根県吉賀町役場より私は「吉賀町 総務課 吉総第185号 平成28年5月16日」を拝受し、

「○吉賀町情報公開事務取扱要綱 平成17年10月1日  吉賀町訓令第14号 目次  第1章 総則(第1条―第3条) 第2章 公文書の公開等(第4条―第32条)  第3章 異議申立てに係る事務(第33条―第44条)  第4章 任意公開(第45条) 第5章 実施状況の公表(第46条  第6章 雑則(第47条) 附則 」 にもとづき、

島根県 吉賀町 総務課 職員 及び、吉賀町教育委員会 職員 等と 私が、今までに、その対談した内容について、書面にし、平成28年5月18日、山口県広報広聴課 県民相談担当 山根真裕美主査のもとへ、その内容も、前 山口県山本繁太郎知事と私との今までの対談内容に関する内容もあるため、相談に行った。

山口県広報広聴課 県民相談担当 山根真裕美主査より、その助言もいただき、平成28年5月18日(水)、山口県教育委員会内の 担当職の許へ、その相談に行き、島根県 吉賀町 総務課 職員 及び、吉賀町教育委員会 職員 等と 私が、今までに、その対談した内容、その書面内容についても、説明をすることができた。

以下、今までに、私のブログ 配信もしていた島根県吉賀町教育委員会より「研修の受け入れ」の書面をいただき、島根県吉賀町立図書館 永安恵治館長と私が、懇談していた その懇談の内容、
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平成25年8月23日(金)、島根県吉賀町教育委員会より 「研修の受け入れ」の書面をいただき、島根県吉賀町立図書館 永安恵治館長と懇談する。

島根県吉賀町に関係している当家の信仰活動、神社、お寺関係の説明について、私が、持参した資料をもとに行った。

明治期の往時、山口県見島における島の経営 等を津和野 堀家と一緒になり、行っていた往時の状況 私から、島根県吉賀町立図書館 永安恵治館長には説明した。

島根県吉賀町教育委員会の職員より、島根県吉賀町出身の森英恵様が、近年、帰省されたおりの話題も聴く。

私は、慶應義塾大学生 時代 、東京 表参道において、ハナエ・モリビルが、創建された当時、ハナエ・モリビルを大学の友達と一緒に訪問し、そのビル内にて、ハナエ・モリビルに勤務されていた職員と私と交わした往時の会話 等の話題についても、島根県吉賀町教育委員会の職員と吉賀町立図書館 永安恵治館長にはした。
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平成29年10月24日、山口県教育庁 社会教育・文化財課 伊原慎太郎主査と私は、以下の内容について、山口県教育庁内にて、対談した。

平成29年度津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について

平成29年10月6日

岩国市 公益財団法人 吉川報效会 吉川史料館 学芸員 原田史子様
            

( 送信人 省略 )

件名 : 島根県 津和野町教育委員会 世良清美教育長より公文書開示決定通知書 「平成29年度津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」平成29年9月20日に、開示していただき、別紙における内容の対応もあり、公益財団法人吉川報效会吉川史料館学芸員原田史子様へ連絡いたします件

いつもお世話になります。先般、吉川史料館学芸員原田史子様に面会をしましたおりに、私からの当該「津和野ものがたり1.津和野藩」、吉川史料館学芸員原田史子様へ贈呈いたしました。その後、読んでいただけましたでしょうか。

さて、島根県 津和野町教育委員会世良清美教育長より公文書開示決定通知書、「 平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について 」亀井家16代亀井玆基様による「藩主亀井家入城400年」挨拶文1枚も添え、島根県 津和野町教育委員会「平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」の内容に関し、その後、平成29年9月25日、亀井家旧菩提寺 津和野町本性寺御住職様 宛へ私は、面会と対談もし、また、山口県総合企画部中山間地域づくり推進課地域づくり班 主事にも、私からの連絡文との関係も出てきています。よって、公益財団法人吉川報效会 吉川史料館学芸員原田史子からの、「 平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について 」開示後における、そのお聴き取り、ご対応の程も、私の許へ、よろしくお願いを申し上げます。

平成29年9年9月21日、山口県岩国市吉川史料館原田史子学芸員様へ連絡対応を取らせていただきました内容に関して、私からのお尋ねを申し上げた「岩国市岩国藩主吉川家墓所史跡」は以下の内容となっています。

「 岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 昭和63年3月29日(山口県教育委員会告示第二号)

由来及び沿革

吉川家墓所は、岩国に入府した吉川家17代家(岩国吉川家初代)から28代経幹(岩国吉川家12代)までの、当主及びその一族の墓所である。

吉川氏は、藤原南家の支流入江氏の出で、駿河国入江荘吉河邑(静岡県清水市)を本質とする東国武士である。13世紀の 4代経光の時代に、承久の乱の勲功として安芸国山県郡大朝本庄(広島県大朝町)の地頭職を与えられ、正和2年(1313年)5代経高の時代に大朝本庄に移った。

16世紀の吉川氏は、播磨国や石見国の一部にも勢力を張る戦国大名に発展したが、東の尼子氏と西の大内氏・毛利氏の対立の中で、天文16年(1547)毛利元就の次男元春を養子に迎え、毛利一門となった。以後、吉川氏は、元就の三男隆景が家督を継いだ小早川氏とともに、毛利氏を補佐し毛利氏が戦国大名として発展することに尽力した。

岩国吉川家の始祖となる広家は、この元春の三男で、兄元長の病死により、天正19年(1591)、安芸国旧館、伯耆国3郡、出雲国3郡、隠岐国14万石の家督を継いだ。

その後、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いで、毛利氏は西軍の主将として徳川氏と戦い敗れたが、毛利の一軍として参戦した吉川広家は、内々徳川方と通じ、戦後毛利家の存続に努めた。そのため、毛利氏は、敗軍の将であるにもかかわらず周防・長門の二ヵ国を受領したが、吉川広家はその功績により毛利氏の領国の内、玖珂郡・大島郡の内3万石(のち6万石)を拝領した。

慶長6年(1601)、岩国に入府した広家は、横山山頂に岩国城を築き、城下町を建設し、知行地を検分して藩制を整備した。その後、岩国吉川氏は、広正・広嘉・広紀・広遶・経永・経倫(徳山藩主毛利広豊の末子)・経忠・経賢・経札・経章・経幹・経健と続き、13代、270余年にわたって在封した。

明治元年(1868)、朝廷は、毛利氏の末家として、経幹(慶応3年に死去)を諸侯に列し、城主格を与えた。岩国藩が成立するのはこの時からで、この間2代広正以降、幕府からは、正式には、諸侯に列せられなかった。しかし、江戸には邸宅を与えられ、四季折々の献上と家を継いだのち登営し将軍に謁見することを許されており、また、幕府から諸侯に課する諸普請や諸課役も諸大名並みに賦課されていたので、実体は諸侯に準じる扱いを受けていたと考えることができる。

墓所が形成されるのは、寛永2年(1625)広家が没した年からで、洞泉寺裏山に広家の墓所が営まれる(資料1図中NO.4)。つづいて、寛永18年(1641)広家後室光寿院が没して、その供養のため新豊院(浄土宗、のち光寿院、実相院と改称)が再興され、その境内に墓所が営まれた。場所は、広家墓所の北に続く同じ山腹である(昭和20年山崩れで崩壊)。2代広正の室高玄院は、広正に先立ち正保元年(1644)に没しているが、その墓所もこの新豊院境内に営まれた。

吉川家墓所の中心を占める地区、寺谷口御塔場(資料1図中NO.1)は、2代広正が没した翌年、寛文7年から造営が始まった。この経緯については「好問随筆」(岩国徴古館)に詳しい。

墓所造営は、広正が没した寛文6年の秋に3代広嘉より沙汰があり、翌年正月家臣戸川理佐衛門が大坂へ登り石工を調達し、石材は大畠石神で採取している。墓所造営は、長崎より招請した独立禅師(明の書家、医家)に采配させ、同年2月7日より普請を始めている。墓所造営予定地は、家臣の屋敷地だったため、2月27日に竹下長佐衛門ら、3名の家臣に屋敷を明け渡させ同日これを解いている。造営は5月3日に成就したが、この間光寿院(新豊院を改称)の高玄院墓所を解き(後実相院と改称後、跡地には6代経永の墓所が営まれた)、洞泉寺(禅宗)に葬られた広正とともに中心部に石塔を建て納骨を行った。両石塔の刻銘(戒名)は、独立揮毫である。

また、3代広嘉(玄真院)の墓は、広正室の高玄院の墓石の横に、延宝7年(1679)に造営された。記録(岩国藩御用所日記)によると、11月5日に造営成就したが、石塔建立には約350~360人の人夫が当たり、御塔場建設が、大工事だったことが知られる。また、玄真院墓石の刻銘(戒名)は学僧竹渓昌筰の揮毫である。

現在の墓所の景観は、寛文7年のこの墓所造営以降順次形成されていったもので、広正・広嘉以降の代々の墓所は、この墓所の前面及び背面に広がっていった。初代広家の墓所が営まれた山腹には、12代経幹夫婦の墓所及び代々の藩主の子女、側室(妾)の墓も営まれている。

構造及び形式
今回指定申請がなされた地域は、寺谷御塔場と称する地区及びその裏山で、面積9,615㎡(実測)を測る。

墓所は、木立と土塀にに囲まれ、霊域として盛厳な雰囲気を保っている。

墓所の構造は、明治時代のはじめに描かれたと見られる「御塔場図」(岩国徴古館)で確認することができる。まず、御塔場の正門を入ると遥拝所と倉が置かれている(現在は撤去)。遥拝所跡地の南には現在寛政6年銘を持つ鳥居があるが、この図には示されていない。後日移したものと思われる。鳥居をくぐると、正面には土塀で区画された墓所が広がるが、正面は8代経忠夫妻の墓所であり、そこから西奥に代々の墓所が造られている。また、遥拝所跡地の西奥は広い平坦地となっている(指定対象外)が、「御塔場図」には「元横道屋敷」及び「元清泰院」という記載がある。このうち清泰院は、3代広嘉室の天長院が元禄年間に建立した法華宗の寺院で、明治3年に廃寺となっている。この広い平坦地には現在円筒形の納骨堂がある。これは昭和39年に建立されたもので、初代広家をはじめ代々の当主及びその一族の御霊が納められ、また、吉川家の墓所として使用されている。

指定申請地内には、岩国吉川家初代広家から12代経幹までの11公(6代経永を除く)とその室や子女の墓51基、石灯籠95基、手水鉢9基がある。

51基の墓石のうち大半は五輪塔で34基を数え、他は板石13基、笠塔婆3基、宝篋印塔が1基である。この内、板石は寛永期から寛文期までの古い時期と、文政期以降の新しい時期に見られる。

当主及び室の墓石を見ると、初代広家、10代経札、11代経章、12代経幹、経幹室の5名が板石であり、高さ280~315㎝の規模である。他の当主及び室は、いずれも五輪塔で、高さ331~389㎝の規模を測る。広家の母吉川元春室の墓石は、やや小振りで高さ260㎝を測る。この墓石は、慶長期の五輪塔で、元々万徳院(横山)にあったものを、明治初年に現在位置に移したものである。

当主の子女の墓石は、広家及び広正の子女の合葬墓(明治初期に造られる、墓石番号31)や明治以降に造られたと見られる広正の子息の墓(墓石番号33・34)などが板石であり、また、広家十七女宮鶴姫の墓石(墓石番号45)が唯一の宝篋印塔であるのを除いて、大半は五輪塔で、高さ122~210㎝の規模を測る。

側室(妾)の墓石は、五輪石2基、板石2基であり、うち3基は高さ194~215㎝を測るが、高さ132㎝の板石墓石(広家、広正の妾の墓、墓石番号38)は明治以降の合葬墓である。

石灯籠及び手水鉢のなかには、12代経幹夫妻の墓所にある「誰が袖の手水鉢」と初代広家墓所にある「みみずくの手水鉢」など、優れた工芸品も遺されている。前者は京都の小掘家から贈られたと伝えられる遠州好みの手水鉢である。幕末安政3年に本藩毛利敬親と12代経幹が手を結んだとき、横山の御館にあったものを萩に持参したと伝えられ、本品はその写しとされている。また、後者は芸州藩の家老であり茶人でもあった上田宗箇が広家に贈ったと伝えられるもので、長く今津の淨浄念寺にあったものを明治40年に現在地に移したものである。」 山口県庁 文化財要録における、配信内容に関する、説明をしていただいた。

以上の引用は、山口県庁 ホームページの下記より、

1. 指定文化財の検索(一覧から選ぶ)>
2.文化財の概要>
3.文化財要録

また、平成29年9年9月21日、山口県岩国市吉川史料館 原田史子学芸員様との連絡 対応を持った後、山口県岩国市文化財保護課職員と対談し、山口県教育委員会社会教育・文化財課文化財保護班伊原慎太郎主査とも、私は対談をいたしました。その後、山口県萩市総務企画部総務課秘書室主査の許へ 私は連絡を入れて、萩市農業委員会による、その私に対する農政対応あるため、山口県萩市長並び、萩市総務部より、国内における各文化財 保存・維持活動に関し、その善処を求めています。 「 祭 政 一 致 」





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山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 

2017年10月30日 | 山口県庁
平成29年10月30日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談する。 山口県 山口市、萩市、柳井市、田布施町、平生町、上関町に関係する内容、 当該 総務省 過疎対策室からの対応の件を含め、・・・・・

同日、山口県民相談担当 佐藤理子主査との今迄の対応があるため、山口県民相談担当 岡崎誠 主幹からの対応を持つ。その際、 「 山口県民相談担当 佐藤理子主査から、病欠届が出され、その後、入院をした。本人(山口県民相談担当 佐藤理子主査)からの休職願いが、山口県庁へと、それが、提出されない限り、山口県民相談担当に、山口県民相談担当 主査 替りの職員の配置は、なされない。よって、( 山口県民相談担当 岡崎誠 主幹 ) 主幹 自身が、今後の対応、(私からの相談)には、対応をしていく 等、・・・・ 」に関する内容を聴く。

平成29年9月20日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談する。



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現職・渡辺純忠氏が4選果たす…山口市長選

2017年10月30日 | 山口県庁
現職・渡辺純忠氏が4選果たす…山口市長選

2017年10月29日 22時35分

山口市長選は29日、投開票され、現職の渡辺純忠氏(72)(無所属=自民、公明、民進推薦)が、前市議・有田敦氏(50)(無所属)と、市民団体代表・湊和久氏(58)(無所属)の新人2人を破り、4選を果たした。投票率は43・10%(前回36・44%)だった。 ・・・ 2017年10月29日、読売新聞 22時35分 配信より

私のコメント : 平成29年10月29日、山口新聞 山口支社 記者 毛利祥子様と私は対談する。その内容、明治維新150年に向け、それに関係し、今までのNHK 大河ドラマ 「花燃ゆ」 放映 当時の、当該 山口県 防府市の対応についての話題を中心にし、・・・・・。 

今回の山口県 山口市 山口市長選挙結果においては、山口県元知事、前知事、現知事の各夫人における、山口市民へのいたわり、その仁徳の評価が、今回の山口市長選における得票の結果として現れたと 等  巷で、噂となっていることも 山口県 山口市 某所にて、その内容を聴いた。

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山口市長選 現職の渡辺氏 4回目の当選

10月29日 23時46分

4期目を目指す現職に新人2人が挑んだ山口市長選挙は29日に投票が行われ、現職の渡辺純忠氏が4回目の当選を果たしました。

続きを読む

山口市長選挙は開票が終了しました。

▽渡辺純忠(無所属・現)当選、4万3475票
▽有田敦(無所属・新)1万9479票
▽湊和久(無所属・新)4850票

自民党、公明党、民進党が推薦する現職の渡辺氏が、4回目の当選を果たしました。渡辺氏は72歳。山口県の水産部長や合併前の旧山口市の助役などを経て、平成17年の市長選挙で初当選しました。選挙戦で、渡辺氏は、3期12年の実績をアピールし、子どもの医療費の窓口での負担を無料化している仕組みを拡充させて、子育て支援の充実などに取り組むと訴えました。その結果、推薦を受けた自民党などの支持層に加えて、支持政党を持たないいわゆる無党派層などからも幅広く支持を集め、4回目の当選を果たしました。渡辺氏は「うれしいさでいっぱいだ。市民の皆さんに『住んでよかった』、『これからも住み続けたい』と心から思ってもらえるまちづくりと山口市の発展に心血を注いでいきたい」と述べました。・・・平成29年10月29日、NHK NEWS WEB 23時46分 配信より

私のコメント : 平成29年10月29日、山口市長選挙は29日に投票が行われ、現職の渡辺純忠氏が4回目の当選を果たしました。山口市長選挙は開票が終了しました。渡辺純忠(無所属・現)当選、4万3475票、有田敦(無所属・新)1万9479票、湊和久(無所属・新)4850票。



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東京六大学野球 2017秋季リーグ戦

2017年10月29日 | 東京六大学野球
東京六大学野球 2017秋季リーグ戦 

10/29(日)の試合は雨天中止、10/30(月)に順延

雨天のため、10月29日(日)の試合は中止、10月30日(月)に順延いたしました。

・・・ 平成29年10月29日、Tokyo Big6 Baseball League 配信より





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首相動静(2017年10月)

2017年10月29日 | 労働経済学
首相動静(2017年10月)

10月27日

午前8時現在、東京・富ケ谷の私邸。朝の来客なし。午前9時39分、私邸発。同58分、官邸着。 午前10時7分から同17分まで、閣議。同22分から同34分まで、原子力防災会議。同35分から同40分まで、茂木敏充人づくり革命担当相。午前10時51分から同11時57分まで、谷内正太郎国家安全保障局長、兼原信克官房副長官補、防衛省の前田哲防衛政策局長、河野克俊統合幕僚長。午後1時34分から同2時まで、萩生田光一自民党幹事長代行。午後2時12分から同3時4分まで、人生100年時代構想会議。同10分から同40分まで、谷内国家安全保障局長、羽田浩二駐フィリピン大使、外務省の秋葉剛男外務審議官、滝崎成樹南部アジア部長。午後3時59分から同4時23分まで、前田防衛省防衛政策局長。午後4時44分、北村滋内閣情報官、木野村謙一内閣衛星情報センター所長が入った。同57分、木野村氏が出た。同5時17分、北村氏が出た。午後5時18分から同32分まで、塩谷立自民党選対委員長。同35分、官邸発。午後5時46分、東京・芝公園のホテル「ザ・プリンスパークタワー東京」着。同ホテル内の宴会場「ボールルーム」で国際会議「富士山会合」レセプションに出席し、あいさつ。ハガティ駐日米大使同席。同6時7分、同ホテル発。午後6時23分、公邸着。28日午前0時現在、公邸。来客なし。・・・ 平成29年10月27日、時事通信 配信より

私のコメント : 平成29年10月27日、首相は、午前10時7分から同17分まで、閣議。その後、同22分から同34分まで、原子力防災会議に出席をされた。



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山口市長選 投票所を準備

2017年10月28日 | 山口県庁
山口市長選 投票所を準備

10月28日 11時00分

山口市長選挙の投票を29日に控え、市内では投票所を設置する作業が行われました。今月22日に告示された山口市長選挙は現職と新人2人のあわせて3人が立候補し、29日に投票が行われます。投票所は市内の78か所に設けられ、このうち山口市役所では28日朝、3人の職員が集まって玄関ホールに投票所を設置する作業が行われました。職員たちは、候補者の名前を書く記載台を組み立てたり、投票箱を事前に決められたレイアウト通りに配置したりしました。また、投票用紙を自動で交付する機械に電源を入れてきちんと作動するかを確認していました。山口市役所の投票所を担当する高橋望さんは「29日は天気が心配ですが、山口市のかじ取り役を決める選挙なので、投票に来てください」と話していました。山口市長選挙の投票は29日午前7時に始まり、一部を除いて午後8時で締め切られ、即日開票されます。29日に仕事や旅行などで投票に行けない有権者は一部の投票所を除いて28日午後8時まで期日前投票を行うことができます。

・・・ 平成29年10月28日 NHK NEWS WEB 11時00分 配信より



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【東京六大学野球】 慶大、Vまであと1勝 早大に2-1で先勝

2017年10月28日 | 東京六大学野球
【東京六大学野球】 慶大、Vまであと1勝 早大に2-1で先勝

2017.10.28 17:23更新

東京六大学野球リーグ第8週第1日は28日、神宮球場で1回戦が行われ、慶大が早大に2-1で先勝した。慶大が2回戦で勝てば7季ぶり35度目の優勝が決まり、1敗でもすれば明大の2季ぶり40度目の優勝となる。慶大は一回1死満塁から清水翔の2点適時打で先制。先発関根が6回を1失点、救援した佐藤が6奪三振と1年生投手の継投で逃げ切った。・・・ 平成29年10月28日、産経新聞 配信より

私のコメント : 平成29年10月28日、東京六大学野球リーグ第8週第1日は28日、神宮球場で1回戦が行われ、慶大が早大に2-1で先勝した。慶大が2回戦で勝てば7季ぶり35度目の優勝が決まり、1敗すれば明大の2季ぶり40度目の優勝となる。
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カタルーニャが独立宣言=中央は自治権停止―対立、重大局面・スペイン

2017年10月28日 | 山口県庁
カタルーニャが独立宣言=中央は自治権停止―対立、重大局面・スペイン

10/27(金) 17:26配信

【パリ時事】スペイン東部カタルーニャ自治州議会(定数135)は27日、同州が「独立した共和国」だと明記した宣言を賛成多数で可決した。独立宣言を受け、スペイン上院も同日、カタルーニャの自治権停止について投票を行い、賛成多数で承認した。1日に行われた独立の是非をめぐる住民投票に端を発する自治州と中央政府の対立は、重大な局面を迎えた。ラホイ首相は独立宣言直後、ツイッターで「法治国家としてカタルーニャに法の秩序を取り戻す」と述べた。自治権停止は憲法155条を根拠としている。発動すれば、現行憲法が制定された1978年以降で初めてとなる。中央政府はカタルーニャの独立意欲をそぐため、この条項を使ってプチデモン州政府首相ら幹部を罷免し、州議会に6カ月以内の再選挙を命じる方針だ。州議会での独立宣言の採決では、独立反対の野党議員数十人が抗議の意思を示すため退場した。開票結果は、賛成70、反対10、棄権2。プチデモン州首相は結果を受けて「平穏に、市民としての責任を果たしながらこの勢いを維持しなければならない」と冷静な行動を呼び掛けた。独立宣言は、住民投票で独立が支持されたことを踏まえて行われた。州政府は当初、投票から間を置かずに独立を宣言する方針だったが、中央政府が自治権停止を発動して対抗する構えを見せた。これを受け州政府は交渉の余地を探るため宣言の採択を延期。交渉が事実上決裂したため、27日の採決に踏み切った。カタルーニャは独自の言語を持ち、歴史的に独立の機運が高い。1日の住民投票は、中央政府が違法だとして中止を命じる中で州政府が強行。州政府の集計では独立賛成票が90%に達したが、反対派住民の多くが棄権したことから、投票率は43%にとどまった。 

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・・・ 2017/10/28(土) 、時事通信  0:40 配信より

私のコメント : 『 山口県山口市とスペイン水泳連盟は平成29年2月20日、2020年東京五輪の水泳スペイン代表が、山口県山口市で事前合宿を行うことに合意した。渡辺純忠市長とスペイン水泳連盟のフェルナンド・カルペナ会長が覚書を交わした。今後、具体的な取り組み内容を調整し、正式な協定を 結ぶ。・・・山口新聞 平成29年2月21日 掲載 記事より 』

平成29年10月27日(金)、上記及び、下記 の各事柄とも関係があり、私は、山口新聞記事における記事の内容との対応もあり、山口新聞 山口支社 毛利祥子記者と私は対談した。

平成28年6月9日(木)、外務省 いわゆる 密約書 その不在の問題に関係し、山口県 宇部市長 久保田 后子氏と私と間における、その相互における連絡文、及び、それに関する、宇部市役所 広聴課から 私への対応の件にて、山口県宇部市役所 広聴課 市民相談室 清水様から、私のもとへ連絡があり、内容に関する対談をした。

その後、また、山口県宇部市役所 広聴課 市民相談室 三好様から、私のもとへ連絡があり、その内容についても、平成28年6月9日(木)、山口県広報広聴課 県民相談担当 山根真裕美主査のもとへ、前 山口県山本繁太郎知事と私との今までの対談内容に関する内容もあるため、その報告と相談に行った。










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山口市長選の争点

2017年10月27日 | 山口県庁
山口市長選の争点 市庁舎現地建て替えとJR新山口駅複合施設建設 見直しか、積極推進か /山口

毎日新聞2017年10月26日 地方版

29日投開票の山口市長選で、老朽化した市役所の現在地建て替えと、JR新山口駅北口の複合施設建設という、現市政が進める二つの大規模事業計画が最大の争点として浮上している。その背景を探った。【祝部幹雄】


3000人規模のホールを持つコンベンション棟と7階建ての「新市役所棟」--。2005年9月、旧小郡町と町議会、山口商工会議所幹部や学識者らでつくる「新山口駅北地区まちづくりデザイン会議」がまとめた、同地区開発ビジョンの検討報告書の表紙に描かれたイメージ図だ。翌月に迫った1市4町合併の直前、地元意見を集約し、新市に提案するため作成された。将来的な新市役所の場所について、合併協定書の付帯決議には「新山口駅周辺が適地であるという意見を踏まえ」審議すると明記され、小郡地区住民の期待も高まった。「この報告書が原点だ」。市役所の小郡地区建て替えを求める市民の一人は強調する。報告書が想定した「新市役所棟」の場所は同駅北口の市有地。ところが、市はここを早い段階で市役所建て替え候補地から外したうえで民間の事業提案を公募。今年3月、2000席級の多目的ホール▽貸しオフィスや、音楽・ダンススタジオ、リハビリ支援施設などが入る7階建てビル▽ファミリー、単身向け住宅--など、森ビル都市企画(東京)を中心とする企業グループの提案が選ばれた。そして6月、市は建て替え候補地を旧山口市中心部に絞り込み、小郡地区は選考から漏れた。複合施設についても市は、市長選前の9月末に企業グループと基本計画を結ぶ方針を示していた。25日現在、調印はしていないが、小郡地区からは「駅前一等地を住宅にする必要はない」「市役所を併設すべきだ」と不満がくすぶる。一方、9月に発表された市役所の現在地建て替えは、旧山口市中心部が適地としていた複数の市議からも「意外な判断だ」と受け止められた。08年に市が策定した「山口・小郡都市核づくりマスタープラン」には、「現市役所敷地のシンボル公園化」と、隣接する公園広場への行政機能移転がうたわれていたためだ。曲折しながら進む大型事業を市長選に立候補した無所属3人はどう見るのか。新人の有田敦氏(50)は市総合支所の機能を充実し、本庁舎の場所と複合施設計画の見直しを求める。現職の渡辺純忠氏(72)は現在地建て替えと複合施設建設を推進する立場から「成功させる」とし、新人の湊和久氏(58)は市役所の場所を問題視せず「山口と小郡を一つにして行き来しやすい環境を整える」と訴えている。 〔山口版〕 ・・・ 2017年10月26日 毎日新聞 地方版 配信より

私のコメント : 平成29年10月27日、山口県 山口市小郡文化資料館 館長と私は、以下の対応もあるために、その内容に付随する件にて、対談をし、ようやく、山口市小郡文化資料館 館長立会いの許に、山口市小郡文化資料館 森美沙文化財専門員へ、私からの要望内容を伝達することもできた。

過去に、山口県 渡辺純忠山口市長からの、その対応、及び、 出来事により、山口県高校野球連盟 会長 河本太先生が、防府商業高等学校 校長として在任中に、私との対応について、下記に関する件に沿って、その内容もあった。

平成29年10月25日、山本繁太郎前山口県知事が、山口県知事選挙のおり、山口県山口市内で、その選挙中、山本繁太郎氏が乗車をされていた車中にて、急に、体調を崩され、山口市内の病院へと、その入院される際、その介抱と看護、世話もされた方から、その当時の様子について、私は、拝聴することができた。故山本繁太郎前山口県知事と私が、対談していた内容も関係することもあり、山本繁太郎前山口県知事は、内閣官房地域活性化統合事務局長を歴任された経緯も踏まえられて、全国における農協活動の充実にも力を入れられて、その経歴を踏まえられ、山口県下、各農協 支所における職員の雇用の確保、各地域で、その地域活性化、また、山口県下、各市役所における各支所の充実、市役所へ、その市職員を一極集中させるのではなく、各地域における職員の雇用の確保、各市役所 支所活動の充実を目指すことも念頭におかれて、山口県下、遊説し、説明され、その歩かれる途上でもあったこと、山本繁太郎前山口県知事が、県知事選挙のおり、山口市内、山本繁太郎氏が、その乗車をされていた車中にて、体調を崩され、山口市内の病院へと、その入院される際、介抱と看護、世話もされた方と私が対談した際に、過去 山口県知事における活動 その補足、説明を入れた。



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山口市長選が告示 現職と2新人が立候補

2017年10月27日 | 社会 経済
山口市長選が告示 現職と2新人が立候補

2017.10.22 17:42更新

任期満了に伴う山口市長選は22日告示され、いずれも無所属で、元市議の新人、有田敦氏(50)と、4選を目指す現職、渡辺純忠氏(72)=自民、民進推薦、NPO代表の新人、湊和久氏(58)の3人が立候補を届け出た。29日に投票、即日開票される。 ・・・ 2017.10.22、産経新聞 17:42 配信より

私のコメント : 平成29年10月26日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 から私の許には、以下、その関係している内容の連絡が入り、山口県 総合企画部 担当職員と私は、対談をした。

平成29年10月18日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 との間にて、私は、平成29年10月17日に、山口県 山口市役所、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下の内容に関係し対談もおこない、山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からの、その内容に関する、私への意見があった件に関しては、故 山本繁太郎前山口県知事と私との対応と対談の各内容もあるために、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事へ、その説明を入れ、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 井川康治主査から、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 業務に関し、当該 山口県 山口市 総務部が、その対応されている内容に関し、山口県 萩市に対しても、その同様に対応している、国の公的情報が、私の許へ入る。よって、山口県 山口市長選挙前、並び、衆議院総選挙 前において、山口県 山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員による、一方的な、私に対する、その言動における公務員としての責任、重大性についても、それが、日本の内外へ 流布されるという結果となっている。

平成29年10月18日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 井川康治主査と私は、平成29年10月17日、山口県 山口市役所にて、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下の内容に関係し、その対談もおこない、山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からの、その内容に関する、私への意見があった件に関しては、私から山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 井川康治主査へ、その意見と見解に関する、お尋ねも入れる。山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課では、その内容に関し、課内にて、検討を加えた後、私に対し、その返事をするということとなった。

平成29年10月17日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 井川康治主査、田辺賢清 主任主事と対談する。

平成29年10月17日、山口県 山口市役所において、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された 山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下の内容に関係し、その対談も 私は、おこない、島根県 津和野町日本遺産推進協議会、亀井氏入城400年記念事業実行委員会 発行の「津和野藩主亀井家入城四百年 記念事業のご案内」パンフレットをもとに、山口県 山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ、その内容に関し、説明もし、島根県 津和野町教育委員会 教育長から 私宛 公文書開示決定通知書 「平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」、私には、その意見具申について、文化庁との対応がある旨も、具体的に、山口市役所 収納課において、山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ説明を入れた。山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からは、それに対し、私への意見があった。よって、山口市役所における対応は、今までの私への対応 経緯と経過もたどり、文化庁、外務省、財務省、経済産業省、農林水産省、厚生労働省、宮内庁 等における国の各機関からの対応も 当該 山口市長へ、それが発生していく旨、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員に対し、過去、萩市長 8代:菊屋嘉十郎(1959年~1983年) 9代:林秀宣(1983年~1987年) 10代:小池春光(1987年~1993年) 11代:野村興児(1993年~2005年) 各市長における、その地方自治体 市役所 行政 各話題も交え、私は、その説明をおこなった。

平成29年10月16日、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と対談する。

同日、島根県 原子力発電所 設置へといたる経緯に関しては、私は、島根県 衆議院議員 亀井亜紀子先生と面談、会食もしたおりに、私が、慶應義塾大学 西川俊作教授のゼミで学んだいた当時、島根県 櫻内 義雄塾員 (さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任。元日蓮宗全国檀信徒協議会会長[1]。従二位勲一等。 父は商工相、農相、蔵相などを歴任した櫻内幸雄。兄は元中国電力会長櫻内乾雄。  ・・・ウィキペディア フリー 百科事典より ) からの 当時 慶應義塾大学 西川俊作教授 許へと、その対応もあり、当時の話題についても、意見交換し、その整理のため、中国電力株式会社 上関原子力発電所準備事務所兼重様の許へ連絡を入れて、その事後の調整をしている。











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