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首相「先々まで見据える慧眼」 高鳥元経済企画庁長官お別れの会で式辞

2019年12月08日 | 社会 経済

首相「先々 まで見据える慧眼」 高鳥元経済企画庁長官お別れの会で式辞

12/8(日) 14:47 毎日新聞 配信より

高鳥修氏のお別れの会で式辞を読み上げる安倍晋三首相=代表撮影

安倍晋三首相は8日、新潟県上越市で開かれた高鳥修元経済企画庁長官のお別れの会に出席し、「私が初当選した時には仰ぎ見るような偉大な存在で、追悼の言葉を述べるとは想像もできなかった。高鳥氏は長きにわたり国政、そして新潟県の発展に尽力された」と述べた。

高鳥氏は25歳だった1954年、全国最年少町長として同県旧能生町の初代町長に就任。同県議を経て衆院議員になり、総務庁長官や経企庁長官などを歴任した。首相は消費税の3%から5%への引き上げの際、高鳥氏が「消費税は弱い者いじめではなく、むしろ強者に負担を求めるものだ」と訴えたことに触れ、「目先のことにとらわれず先々まで見据える慧眼(けいがん)に、税を学ぶ多くの政治家、官僚が列をなして教えを請うたものだった」と述べた。

高鳥氏は10月20日、90歳で死去した。お別れの会には山東昭子参院議長、細田博之・自民党憲法改正推進本部長らも出席した。【宮原健太】

私のコメント : 令和元年12月8日、安倍晋三首相は、新潟県 上越市で開かれた高鳥修元経済企画庁長官のお別れの会に出席した。お別れの会には山東昭子参院議長、細田博之・自民党憲法改正推進本部長らも出席している。安倍晋三首相からは「豪雪地域の生活向上や、農林水産業の発展に尽くした」と故人をたたえられた。

 

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中曽根康弘元首相が死去 101歳 「戦後政治の総決算」行財政改革けん引

毎日新聞2019年11月29日 12時56分(最終更新 11月30日 00時10分) 配信より
 

「戦後政治の総決算」をスローガンに掲げ、国鉄の分割・民営化などを果たした中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前7時22分、東京都内の病院で死去した。関係者によると、死因は老衰。101歳だった。冷戦末期の1982~87年の約5年間、政権を担当し、レーガン元米大統領との親密な「ロン・ヤス関係」をはじめとする首脳外交を展開。戦後5番目となる長期政権を築いた。葬儀は近親者のみで営み、お別れの会を後日開く。

中曽根氏は群馬県高崎市出身。東大法学部卒業後、旧内務省に入省し、海軍主計将校を経て、47年衆院選で群馬3区(当時)から初当選した。以来20回連続当選を果たし、2003年に引退するまで56年あまり、衆院議員を務めた。

旧運輸相、旧通産相、自民党幹事長など要職を歴任し、82年11月に首相に就任。米ソ冷戦構造の中、外交では日米関係の「軍事同盟」色を強化し、日本列島を「不沈空母」に例えた発言が議論を呼んだ。内政では、国鉄に加え、日本電信電話公社(現・NTT)、日本専売公社(現・日本たばこ産業=JT)を民営化させるなど、行財政改革に力を注いだ。

85年8月15日には、首相として戦後初めて靖国神社を公式参拝。しかし、中国などの猛反発を受け、以後は参拝を取りやめた。

86年には「死んだふり解散」で7月に衆参同日選を行い、自民党は衆院で304議席を得る圧勝。党総裁任期(2期4年=当時)を1年延長できる特例規定が設けられ、続投した。

政権末期の87年2月、売上税導入の関連法案を国会に提出したが、中小企業などの反対で廃案に。また、教育基本法改正を視野に臨時教育審議会(臨教審)を設置したが、法案提出には至らなかった。

ロッキード、リクルート事件ともに関わりが指摘され、77年4月には衆院ロッキード問題調査特別委員会に証人喚問されたが、疑惑を全面的に否定。リクルート事件に絡んでは89年5月、衆院予算委員会で証人喚問を受け、自民党を離党したが2年後に復党した。

03年11月の衆院選で小泉純一郎首相(当時)に「引導」を渡され、85歳で衆院議員を引退。ただ、引退後も自民党新憲法起草委員会の小委員長として憲法改正問題に取り組むなど、精力的な政治活動を続けた。17年には憲法学者らとの共著による「国民憲法制定への道」(文芸春秋)を出版。早期改憲を主張し、戦力不保持を定めた憲法9条2項を改正して「自衛軍」を設けることなどを訴えた。

中曽根氏の死去を受け、安倍晋三首相は談話を発表。「戦後史の大きな転換点に当たってかじ取り役を果たされた。訃報に接し深い悲しみを禁じ得ない」と哀悼の意を表した。「強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化」したとの実績に触れ、「我が国の国際的地位を大きく向上させた」と強調。「行政改革の断行を最重要課題と位置付け、強いリーダーシップを発揮して諸制度の改革に取り組み、国鉄民営化をはじめ大きな実績を上げられた」とたたえた。【竹内望】


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