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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




昨年に引き続き、今年も五山の送り火の翌日に消し炭を拾いに行ってきた。


昼間行ったら暑すぎるので朝6時に行った。



この日ばかりは多くの人が早朝より訪れるようだ。



すれ違うときの挨拶は「おはようございます」



朝焼けの市内を一望するのは初めてだった。



大体こんな作業。



不完全燃焼のやつもたまにある。









朝7時過ぎ。始業。

朝から汗だらだらかいたこともあり、この日は気持ちよく過ごせたのはよかったが、この消し炭拾いについて人といろいろ語っていると、昨年にふと抱いた疑問「この風習はいつごろから始まったのか?」という疑問がまったく解決していないことを思い出した。
いつごろ始まったのは今もわからないが、しかしこういったことは誰かが言い出したりやりだしっぺがいるものだ。そこで春ごろに必ずといっていいほど出題されるクイズの答えのようなものが案外当らずとも遠からずかもと考えてしまった。
そのクイズは「徳川吉宗は川沿いに桜を植えさせたが、それはなぜか?」というものだ。答えは花見に来る人々が川沿いを踏み固めることを狙ってのこと、だったと思うが、案外この消し炭拾いも、「仕掛けられたもの」かもしれぬという仮説を立ててみたくなる。山はそこまで高くないとはいえ、燃やした後の後片付けはそれなりに大変だ。ならば消し炭も「ありがたいもの」として多くの人が自ら拾いに登ることで、大いなるクリーン作戦を担っていることはまぎれもなく事実だ。また「ありがたい御利益」はネット上で大文字の消し炭を売っているようなサイトまで誕生させてさえいる。
この仮説は冗談として、消し炭を拾いに行って思うのは昨年・今年と二度親戚の葬式に出てからというもの、世話になった人が他界した喪失感や悲しみと、型にはまった葬儀で節のついたお経を意味の分からない記号や音として黙って聞いていることとは、実はまったく関係ないのではということだった。一応、五山の送り火は盆に降りてきた故人の魂が帰っていく道を照らすのが目的とされているが、送り火を見たり消し炭を拾うことで故人が思い出されるなら、私にはそれで充分のような気がする。

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