デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



カルロス・フエンテスの『老いぼれグリンゴ』読了。

学校でもなかなか聞かされないアメリカとメキシコの歴史が背景になっている小説なのだが、作品の解説にある両国間の複雑な関係の外縁すら私は知らなかった。メキシコについて解説では

 一五二一年にエルナン・コルテスがアステカ王国(メキシコ)を征服し、一八一〇年にイダルゴ神父が独立の叫びをあげ、二一年に正式に独立するまでの三百年の間、メキシコはスペインの植民地となる。だが独立後も、政局は安定せず、米墨戦争後の一八四八年の条約により、カリフォルニア、ユタ、ネバダ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコ、そしてすでに併合されていたテキサスと合わせると、この時期に領土の半分を奪われてしまう。その後、フランスの内政干渉を退けたファレス大統領が休止すると、その対仏戦争で戦功をおさめたポルフィリオ・ディアスが独裁者となり、アメリカを始めとする外国資本に経済は牛耳られる。そして一九一〇年、マデーロが革命をスタートさせる。ディアスは亡命し、マデーロは大統領に選ばれるが、すぐに暗殺され、ウエルタが反革命政府を操る。ふたたび、革命家たちは、ウエルタ打倒のために立ち上がる。北部で圧倒的な力と人気があったのが、パンチョ・ビージャであり、…
「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-8」(河出書房新社) p545

と書いてあるのだが、ざっと読むだけでも混乱のつづいた、いや今でもその傷跡を引きずってきている事がわかる。
物語は一人の女性の回想から始まるのだが、これが非常に読みづらい書き方でつづられている。小説の手法の一つなのだが、読み進めていくうちに数行もしないのに登場人物の誰を中心にものごとが語られているのか、分からなくなった。私の誤読かもしれないが、文節から次の文節に移る間で、語られる登場人物たちの頭の中というか意識が変わってしまう、今描かれているのはヒロインのハリエットのことなのか、主人公のグリンゴのことなのか、アローヨ将軍のことなのか、判読が付かなくなるときがあったのだ。
しかし、この読みにくさは、実に効果的なものがある。ジョイスに『ユリシーズ』という20世紀最大の傑作(奇作)で、作品に用いられている”意識の流れ”という手法があるのだが、どうもそれっぽいのだ。「メキシコ」と一言に言っても、混乱期に革命を起こそうとする立場の人間、アメリカでなくメキシコで死にたいと不法入国者の立場で戦いに志願する"グリンゴ"(グリンゴとはメキシコ人がアメリカ人を蔑称するときに使う言葉)、アメリカの価値観を家庭教師として持ち込もうとメキシコに来たものの既に雇い主はおらず、メキシコで革命軍に身を寄せ肌でメキシコを知る人間、各々には各々のメキシコがある。
作者はきっとメキシコ人によるメキシコを描くだけではなく、他国の人間の目を借りた客観性でもっても描くことが、総体としてのメキシコを描くことになると思ったのではないだろうか。あらゆる形のメキシコを登場人物たちの意思の総体として表現する、そのごちゃごちゃかんで、おぼろげではあるが、メキシコという矛盾に満ちた国のアイデンティティを示されたように思った。しかし正直読了まで来年までかかってしまうかもと思ったくらい、混沌としていて私には難しかったと思う。

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