デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



主演・監督はクリント・イーストウッド。俳優としてのクリント・イーストウッドの姿は、この『グラン・トリノ』で最後になる作品である。
イーストウッドが関わっているここ十数年間の作品は贖罪や功罪、腐敗、人生の無常を描いてきた作品が多いように思う。正直、作品を見た後はショックを受けることがあるが、しかし作品内で描くテーマの冷徹さはすばらしいと思う。
さて、『グラン・トリノ』だが、あらすじについてはオフィシャルサイトをお読みいただきたい。
イーストウッドは本編中ウォルト・コワルスキーという名の1950年代の価値観をずっと引きずっている気難しく偏屈で鬱屈を抱えていて、近所に「異民族」の人間が入ってくることに抵抗感のあることを隠さない人という、典型的だが、演じるとなると難しい役どころを演じている。
映画は↑のような一人の老人と、その隣に移り住んできたいわば「異人種」の人間との諍(いさか)いと交流の軌跡なのだが、けっして派手な展開があるわけではない。でも、場面構成力を失わない程度にテンポはよく、日常の連続を見ているだけで、もう映画の半分も見ちゃったよ、と気づいたときにはただ驚くばかりだった。
それに加えて、イーストウッドの演技と周囲の脇役に魅せられた。おじいちゃんと呼ばれる年齢になって演技が結実した有名俳優は少なくない。しかし、『グラン・トリノ』のイーストウッドは、いぶし銀のなかのいぶし銀だった。
さて、他のネタ割れサイトにもあるかもしれないことだが、この映画は俳優イーストウッドの最後を飾るある意味象徴的なメッセージ(シーン)が盛り込まれているのではないだろうか。詳しくはここでは書けないが、TVドラマ「ローハイド」からはじまり、数々のマカロニ・ウエスタンに出演し、『ダーティ・ハリー』のハリー・キャラハン役で人気を得た俳優が、俳優として最後の作品にこれほどまでに精神性を後世に受け継がせるようなメッセージをスクリーンで、それもさらりと演技でもって表した俳優イーストウッドに、心からの敬意を表したい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )