三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

南九州を目指す  ~指宿、知覧へ 2

2015年01月13日 | Weblog
指宿ゴルフクラブ は開聞岳の麓にあるゴルフコース

途中にある絶景ポイントでバスは徐行して、撮影タイム

名板の右、海に飛び出た陸地が先ほど訪れた「長崎鼻」
左の小さく白い水蒸気が見えるところが 「山川地熱発電所」だそうです
 30年前にはなかった発電所


次の観光地は九州最大の湖「池田湖」
自宅近くの「諏訪湖」の方がかなり大きいよ!
と思ったら、諏訪湖の周囲は15.9 km 、池田湖の周囲が15.1 km (Wikipediaより)で大差なかった

南国?らしく、菜の花とコラボした開聞岳

湖畔の「池田湖パラダイス」さんの水槽では、池田湖に生息する大ウナギも見られました

綺麗な青空でしょ! この空がまさかね



そして次の見学場所が 知覧、わずか30分程移動するだけなのに
あんなに晴れていた空は一面の曇り空、なんとなく顔に冷たいものもあたる感じ

ガイドさんの辛くなるような説明に
気持ち的にも空と同じように、なんとなく重苦しい感じに

知覧に近づくと、道路沿いに並ぶ石灯籠が目につく

並ぶ灯篭はその数1036基、特攻で亡くなった陸軍戦死者の数だそうで
その1基目を寄贈したのは隊員の母代りだったという、「富屋食堂」の経営者「鳥濱トメ」さん
その後続いた全国からの寄付で出来たそう



映画用に製作された、レプリカの「隼」
知覧は陸軍の基地なので、展示機のほとんどは陸軍機

知覧は福岡にあった大刀洗陸軍飛行学校の分校として設立されたという
そういえば、私の勤め先の街にも
当時は熊谷陸軍飛行学校の分教所だった飛行場があり
我が家の上空も練習機「赤とんぼ」が舞っていたと父から聞いたことがある


平和会館の入り口です、館内の撮影は禁止なので画像はコレのみ

館内には親族に宛てた多くの遺書があったが
最初に目についたのは、自分の勤め先と同じ住所宛ての遺書でビックリ
当然ながら、他にも長野県内宛ての封筒もあり胸が熱くなる
長野県出身者の特攻戦死者だけでも、33名を数えるという

さらに「絶筆」は、自分の運命を諦めるような文面もあり
普通の若い青年達だった事を思い知らされる



館内の撮影はできないので、外周から見える唯一の機体は「ゼロ戦」の一部
鹿児島の海から引き揚げられた実機で、ここに展示されている唯一の海軍機
この他に飛燕の実機もありましたが、これは空自の浜松基地で保存されてた機体かな

他には米国から飛行可能状態に復元整備された状態で
日本に譲渡された四式戦「疾風」もあった

昭和48年の入間基地で開かれた国際航空宇宙展で実際に飛行した機体
自分も実際に見ることができ、独特なエンジン音も聞くことができたのだが

以前に見たのは、京都の嵐山美術館に展示されていた時で
機体下面に痛みが確認でき、残念に思ったのを覚えている
この時点ですでに飛行不能状態になっており
米国で飛行可能状態に整備維持してきた元オーナーがこれを知り
「日本には二度と飛べる大戦機を渡すな!」と怒らせたという曰くつきの機体

マニア的には、移動するたびに機体はなにかしらの損傷を受けるはずで・・・
たらい回しにするなよと、複雑な気持ちになってしまう


この建物は隊員の宿舎だった三角兵舎で、こちらは撮影可能


  

   平和会館の見学を終えた頃には雨は本降りに



最後の見学場所、知覧武家屋敷は傘をさしての散策となってしまった


観光バスが知覧を離れ、鹿児島市内に向かいはじめると
なぜか雨は上がり青空も見えはじめる
まるで自分たちの知覧見学に合わせたような空模様は
見学時のシチュエーションを盛り上げるに充分だった



翌日も修学旅行生 相手のガイドだという「I」さん
やはり鹿児島中央駅に到着するまで、観光案内は途切れることはなく
私達を充分に楽しませてくれました、今日はお疲れ様!



 南九州を目指した旅行報告は、休憩を挟んでまだまだ続く予定です(笑
コメント (2)
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