Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

フランクフルトのバロックの夕べ

2014-02-18 | 文化一般
フランクフルトの会は常連のトーマス・ヘンゲルブロックの登場であった。とは言っても手兵のバルターザーノイマン合唱団は同行ぜずに器楽合奏団だけが演奏した。しかし、後半の第二部ではオペラ歌手が二人コンツェルタント上演としてヘンデルの「アルミーダとリナルド」の継ぎはぎオペラを歌った。

通常は歌手に関してあまり書き留めることは無いが、ここで歌ったメゾソプラノのケート・リンゼイの歌謡はこの晩のハイライトであった。ケルビーニやイダマンテ、セスト、ヘンゼルや作曲家を得意としている様で、メトで歌い、アクサン・プロヴァンス、コヴェントガーデンやミュンヘンやグライボーンでも歌っていて、コンサートで超一流オーケストラと登場している様に、その音程や技術の高さが良く表れていた。様式感やその歌の技術も感心した。

前半は、あとの二人のドイツバロック代表としてバッハの管弦楽組曲ニ長調BWV1069 がそのクリスマスカンタータBWV110のティムパニ―とトラムペットを加えた形で演奏された。通奏低音のバスラインを明晰に出す演奏実践はドイツ風と思わせるものではあるが、リュートやハープを加えた管弦楽団からは鄙びた古楽の感じもモダーンな感覚も聞けなかったが、四楽章のメヌエットのトリオは絶品であった。それをしてあの有名な三番のG線上のアリアを彷彿させるものだ。そこをカール・ミュンヒンガーのそれと比較しても更にゆったりと、しかし古楽らしく演奏させる意志は見事であり、そこをカール・リヒターの録音と比べても明らかなトリオ部なのである。逆に、グラーヴェ・アレグロの繰り返し感やシンコペーションの引きずり感などはドイツ風のリヒターなどを彷彿させたが、そのコントラストの激しさを楽器編成以上に強く出す。それでも、明らかに名妓性の高いラインハルト・ゲーベルの録音よりも遥かに現代的であり、正統的なのだ。と、同時に当時のパリよりも遥かに田舎であったドイツの中心の音楽芸術文化がどのように受容されたかを考えさせる視座の豊かさがあるのだ。

それに続くテレマンの協奏曲ニ長調TWV54:D3は、三楽章ラルゴの協奏的な書き方がされているフランス風序曲であることは間違いないのだが、ここではイントラーダ・アレグロ、ラルゴ・カプリッチョと殆どミニマリスト的な作曲技法にまたまた関心を向かわされた。テレマンの音楽のその都会的な感覚は、中々通のものでありながら、現代的なライフスタイル感覚がとても魅力的なのだ。



参照:
クリスマスの第一祝日 2012-12-25 | 暦
遥か遠く福島への認識の侵食 2011-03-28 | 文学・思想

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