何人もの醸造職人と話すことが出来た。生来不器用な性分であり、周りに職人というものがあまりいなかったためか、職人という職業には一種の憧れのような親しみを感じるのである。今回も親方などと話していて、それほど有名でもないと思われる親方にオートグラムを求めてやってくる若者がいる。私が親方であるなら、もちろん御客様であることだからそれに応じるが、内心「こいつ何を考えているのだろう」と思うのではないか。要するに、そうした連中は誰かが書いた親方の写真付きの名人百選のような評価本を評価しているだけで、親方が誠心込めてやり遂げようとする事を何一つも理解していないばかりか評価していないことが殆どだからである。
先ずは年長のシュヴァルツ親方の五酒混合のボルドー型2005年産赤ワインを飲んでとてもよかったので話が弾んだ。昨年は友人やらがチヤホヤするので私は一言も声を掛ける気がせず、そこに出されていたつまらないワインばかりかこの「隠居さん」に対して「一体何を考えているのだ!」と酷評したものだ。
しかし、同じワインでも今年はそれはぐっと成長していて、タンニンだけでなく酸も強く効いていてまだ五年ほどはぴんぴんしていそうである。ノイシュタットの町からハールトへと抜ける坂道の左側にメンヒガルテンはあるらしい。そこで赤ワインやシャドネーなどを作っているのだがリースリングは既に空になっていて試飲出来なかった。シャドネーはフランスのマコンなどのそれのように酵母の澱の上澄み液のようなもので大した事はない。なるほどリースリング作りから赤ワインに年とともに目覚めた親方は、醸造上全く正反体のそれに熱中しているらしい。「シュペートブルグンダーの単体もやりたいのだけど、量が十分でないけど、もしかすると今年辺り」と目を輝かせてる。チヤホヤされて迷惑顔半分で大物面されてはみていられないが、「2001年のリースリングを大事に取ってあるよ」と小声で言うと、「ミュラーカトワールのか」と嬉しそうにする。話の輪にいた男が「2001年が最後でしたか」とか「お尋ね」すると、絶えず笑みを絶やさないまでもまたいつもの愛想の感じに戻って見えたのは私の気のせいだろうか?
ゲストとしてやって来ていたアウグスト・ケセラーの親仁には、「今ラインガウの試飲から戻ってきたところだ」とリースリングを試飲しながら挨拶した。「何処行ってきたの」と尋ねるので、「フォン・ジムメルン」と答えると一寸力抜けしたような表情になった。到底比較出来るようなリースリングではないから仕方ないであろう。辛口の少しの残糖感が厭らしい。「先ずは白ワインを片付けてから赤ワインを飲まして貰うよ」と辞去して、再び戻ってきてアスマンハウゼンなどのそれらを試飲し直す。2003年産のヘーレンベルクの樹齢は百年と謳い文句のようで、なるほど凄いタンニンの効きである。「日本には行ったことありますか?」と聞くと「二十回以上」と答える。なるほど日本市場のワインの理解程度なら、これで十分なのであろう。素朴で大変いい親仁さんだが、それほど日本旅行するぐらいなら、もう少し職人として自宅でワイン作りに拘りを持っても良いのではないかと思わせる。
ラインガウのエルトヴィレで様々な地所をみてまわっている時に高速の横に小さな地所を見つけた。シュタインモルゲンというと、クニプハウゼン伯醸造所でそれを聞いた。なかなか廻りに肥料の匂いが漂っていてそのワインは意外に面白いのではないかと思わせる。御目当てのフォン・ジムメルンでは様々な地所の話をするが、やはりバイケンは特別なものである。今年からスクリューキャップになったキャビネットでも一年ぐらい寝かさないと味が開かないのは、幾らファンでもとても買い難いほどマニア向きなのである。そして昨年購入したシュペートレーゼが最後となって今年からは長く寝かしたグランクリュとなる。それも樽試飲したが2007年産より格段に透明度が増して良さそうである。やはりなんどもの葉落としなどをしてキャビネットで十月中旬まで収穫を待ったというから、グランクリュはその十日ほど後になったようである。量が少なく、決して生易しくないリースリングなのだ。しかし、当方からすればマルコブルンやその他のマンゴ味程度ならば態々買いに行くほど珍しくも嬉しくもないのである。それにしても提供されたチーズや果物類は二時間ほどで退散するには惜しいものであったが、上客さんはさっさと決めて大量に購入して早く切り上げてしまう。やはり、ロバート・ヴァイル醸造所などのようなフランクフルトの成金とは違う上質の固定客層がいると思わせる。何よりもなにも分からない評価本を見て訪れるような馬鹿者が少ないのではなかろうか。
さて、最後にフォン・バッサーマン醸造所のメル親方である。先代の方に馴染みがある一部の今や古手となる私のような顧客は、どうも新人で小柄で農協から移って来た彼への信頼度は決して高くはなかった。恐らく彼自身もそれと戦い続けてきたようなところがあって、今一つ斜に構えたようなところがあったのだ。しかし、今や彼は自信に満ち溢れているようにさえ見受ける。その親方が近年私のような難しいお客さんに熱心にアプローチするようになって来ている。なぜかと考えると、やはり年間で可也の購入数に至っている偽りない支持の実証があるのだろう。そして2008年産などは、嘗ての親方から敢えて購入していた「取って措きの甘口」の89年ものや92年ものに替わる買い付けの可能性が生まれたことを告げる。今まで繊細な辛口では完全に自信を持っていた彼も、温暖化の気候に因る酸不足で強い甘口を完成出来なかった引け目のようなものがあったのだろう。それが、コルク替えの四半世紀に迫ろうとする当時の甘口とそろそろ入れ替えしなければいけないこの時期にこうして二十年後の候補となる甘口ワインを提供して評価を受ける栄冠を彼は噛締めているかも知れない。「十五年に一度の甘口」が提供される2008年産は、反対に辛口では一部は初めて秋に発売されるものが少なくなく、その熟成の味を秋まで待つことになる。
参照:
飽きない気持ち良い生活 2008-05-18 | ワイン
水で割る経済格差の味覚 2008-07-02 | 試飲百景
本当に力が漲るとは 2008-12-02 | ワイン
放言、よー、観てみよー 2009-01-05 | ワイン
俗物図鑑のための閻魔帳 2009-04-21 | 試飲百景
手に負えない大馬鹿野郎達 2009-05-17 | 試飲百景
先ずは年長のシュヴァルツ親方の五酒混合のボルドー型2005年産赤ワインを飲んでとてもよかったので話が弾んだ。昨年は友人やらがチヤホヤするので私は一言も声を掛ける気がせず、そこに出されていたつまらないワインばかりかこの「隠居さん」に対して「一体何を考えているのだ!」と酷評したものだ。
しかし、同じワインでも今年はそれはぐっと成長していて、タンニンだけでなく酸も強く効いていてまだ五年ほどはぴんぴんしていそうである。ノイシュタットの町からハールトへと抜ける坂道の左側にメンヒガルテンはあるらしい。そこで赤ワインやシャドネーなどを作っているのだがリースリングは既に空になっていて試飲出来なかった。シャドネーはフランスのマコンなどのそれのように酵母の澱の上澄み液のようなもので大した事はない。なるほどリースリング作りから赤ワインに年とともに目覚めた親方は、醸造上全く正反体のそれに熱中しているらしい。「シュペートブルグンダーの単体もやりたいのだけど、量が十分でないけど、もしかすると今年辺り」と目を輝かせてる。チヤホヤされて迷惑顔半分で大物面されてはみていられないが、「2001年のリースリングを大事に取ってあるよ」と小声で言うと、「ミュラーカトワールのか」と嬉しそうにする。話の輪にいた男が「2001年が最後でしたか」とか「お尋ね」すると、絶えず笑みを絶やさないまでもまたいつもの愛想の感じに戻って見えたのは私の気のせいだろうか?
ゲストとしてやって来ていたアウグスト・ケセラーの親仁には、「今ラインガウの試飲から戻ってきたところだ」とリースリングを試飲しながら挨拶した。「何処行ってきたの」と尋ねるので、「フォン・ジムメルン」と答えると一寸力抜けしたような表情になった。到底比較出来るようなリースリングではないから仕方ないであろう。辛口の少しの残糖感が厭らしい。「先ずは白ワインを片付けてから赤ワインを飲まして貰うよ」と辞去して、再び戻ってきてアスマンハウゼンなどのそれらを試飲し直す。2003年産のヘーレンベルクの樹齢は百年と謳い文句のようで、なるほど凄いタンニンの効きである。「日本には行ったことありますか?」と聞くと「二十回以上」と答える。なるほど日本市場のワインの理解程度なら、これで十分なのであろう。素朴で大変いい親仁さんだが、それほど日本旅行するぐらいなら、もう少し職人として自宅でワイン作りに拘りを持っても良いのではないかと思わせる。
ラインガウのエルトヴィレで様々な地所をみてまわっている時に高速の横に小さな地所を見つけた。シュタインモルゲンというと、クニプハウゼン伯醸造所でそれを聞いた。なかなか廻りに肥料の匂いが漂っていてそのワインは意外に面白いのではないかと思わせる。御目当てのフォン・ジムメルンでは様々な地所の話をするが、やはりバイケンは特別なものである。今年からスクリューキャップになったキャビネットでも一年ぐらい寝かさないと味が開かないのは、幾らファンでもとても買い難いほどマニア向きなのである。そして昨年購入したシュペートレーゼが最後となって今年からは長く寝かしたグランクリュとなる。それも樽試飲したが2007年産より格段に透明度が増して良さそうである。やはりなんどもの葉落としなどをしてキャビネットで十月中旬まで収穫を待ったというから、グランクリュはその十日ほど後になったようである。量が少なく、決して生易しくないリースリングなのだ。しかし、当方からすればマルコブルンやその他のマンゴ味程度ならば態々買いに行くほど珍しくも嬉しくもないのである。それにしても提供されたチーズや果物類は二時間ほどで退散するには惜しいものであったが、上客さんはさっさと決めて大量に購入して早く切り上げてしまう。やはり、ロバート・ヴァイル醸造所などのようなフランクフルトの成金とは違う上質の固定客層がいると思わせる。何よりもなにも分からない評価本を見て訪れるような馬鹿者が少ないのではなかろうか。
さて、最後にフォン・バッサーマン醸造所のメル親方である。先代の方に馴染みがある一部の今や古手となる私のような顧客は、どうも新人で小柄で農協から移って来た彼への信頼度は決して高くはなかった。恐らく彼自身もそれと戦い続けてきたようなところがあって、今一つ斜に構えたようなところがあったのだ。しかし、今や彼は自信に満ち溢れているようにさえ見受ける。その親方が近年私のような難しいお客さんに熱心にアプローチするようになって来ている。なぜかと考えると、やはり年間で可也の購入数に至っている偽りない支持の実証があるのだろう。そして2008年産などは、嘗ての親方から敢えて購入していた「取って措きの甘口」の89年ものや92年ものに替わる買い付けの可能性が生まれたことを告げる。今まで繊細な辛口では完全に自信を持っていた彼も、温暖化の気候に因る酸不足で強い甘口を完成出来なかった引け目のようなものがあったのだろう。それが、コルク替えの四半世紀に迫ろうとする当時の甘口とそろそろ入れ替えしなければいけないこの時期にこうして二十年後の候補となる甘口ワインを提供して評価を受ける栄冠を彼は噛締めているかも知れない。「十五年に一度の甘口」が提供される2008年産は、反対に辛口では一部は初めて秋に発売されるものが少なくなく、その熟成の味を秋まで待つことになる。
参照:
飽きない気持ち良い生活 2008-05-18 | ワイン
水で割る経済格差の味覚 2008-07-02 | 試飲百景
本当に力が漲るとは 2008-12-02 | ワイン
放言、よー、観てみよー 2009-01-05 | ワイン
俗物図鑑のための閻魔帳 2009-04-21 | 試飲百景
手に負えない大馬鹿野郎達 2009-05-17 | 試飲百景
良い年になりそうですね。
辛口もしっかりしたものが、
できそうです。
ケラーマイスターの自信は、
やはり、日々彼がきちんと
葡萄やワインに向き合い、
努力してきた証ですよね。
そうした努力が、
おいしいぶどう酒という、
結果となることは、
ワイングートだけではなく、
われわれ消費者にとっても
大変喜ばしいことですね。
pfaelzerweinさんが太鼓判を押すのだから、
間違いのないところだと思います。
BJの2008に期待してしまいます。
現在の宙ぶらりんの経営形態が逆に仕事に集中させる良い結果を生んでいる事は間違いないです。
キャビネットクラスが軽い傾向になってしまい割高の批判もある反面、割安感もある商品もあるのです。
良いワインは誰が選んでも殆ど変わりないのです。