Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エゴの覚醒と弁証の喧騒

2005-08-19 | アウトドーア・環境
昨日の夕刻、ニュースをリーダーで見ていると登山家メスナーの弟ギュンター・メスナーの遺体が25年ぶりに見付かったというのが出ていた。第二報も読むと、今月になって8000メートル峰ナンガパルバットで登山者によって見付かっていたものをメスナー氏が現地で確認したらしい。何れにせよ所持品で確認したというから、凍っているとはいえ以前エヴェレストで見付かったマロリーの死体のように原形を留めていないのだろう。

1970年のナンガパルバット遠征隊の後続ザイルパーティーがメスナー兄弟を救助せずにすれ違いに頂上へ向った事の真相が、70年代の法廷闘争に続いて、三年前ほど前に再び争われた。何故ならば、新しく下肢の人骨が一帯から見付かったからである。それをインスブルックの大学でDNA鑑定した結果、弟の物である高い可能性を示したという。双方とも其々の書籍によって、お互いに非難し合った。このミステリーを詳しく知るには、メスナー氏の本かそれともすれ違いに頂上へ向った遠征隊仲間の本を読まなければいけない。

つまり、今回この骸が稜線から脱出の道を求めて一般ルートへと「強引に下った途上、雪崩に巻き込まれたとする弟」の物であるとすると、それを根拠としてメスナー氏は、「メスナーは、野心に逸って弟を置き去りにした」とする上の後続パーティー仲間二人を名誉毀損で訴えるとしている。

当時の状況はメスナー氏の本に、高所での極限状態から最終的に幻視・幻聴の世界へと這入って行くのが良く描かれている。メスナー氏は、1978年には、法廷闘争中であるにも臆せずナンガパルバットでの何回かの試みの後、麓から頂上までを一人で一気に登って降りてくるアルプス式の登山を成功させている。その後2000年には、56歳の欧州議員の登山家は、久ぶりに8000メートル峰へと戻る。ストラスブールの暗い議会場でも夢見ていたらしい。

そこで彼が見たのは、20年前に死に物狂いで谷へと降りて来た別世界から現れたような朽ち果てた登山家が見た荒涼とした深い谷とそこで暮らす素朴な牧童の村ではなくて、トレッキングや登山者の大時代的なベースキャンプの喧騒であったようだ。50年前の大登山家ヘルマン・ブールの偉業や20年前の悲劇の残像を携えて、頂上稜線で雪の大いなる抵抗に遭遇して退却する。この壮年登山チームは、携帯電話などを持参しなかったという。

110年前の最初の試みであった、マッターホルンのツムット稜の初登攀者マメリーが最初の行方不明になってからここでの犠牲者は絶えない。1934年の遠征隊の行方不明者ヴィリー・メルクルは、1938年の遠征隊によって死体として発見されナチの宣伝に使われる。この間二桁の死者を出してドイツ宿命の山と呼ばれる。1939年にはハインリッヒ・ハラーが参加して、帰路戦争勃発で捕虜になり、その後ダライラマと親交を結ぶのはハリウッド映画で御馴染である。戦後メルクルの弟ヘアリッコッファー率いる隊で、ヘルマン・ブールが指示を無視しての単独初登頂に41時間の死闘を繰り広げる。このヘアリッコッファーは、再びメスナー兄弟が参加する新ルート開拓遠征の時の登山隊長となり、上述の事故後1970年代に管理責任を裁判で訴えられる。

第三報:メスナー氏の代理人は、頭蓋骨は未発見であるとした。更にこの問題の人骨は、4600M付近のディアミールサイドのベースキャンプで見付かったとされている。7000M付近からの雪崩で流されたとしている。一方、争っているハンス・ザーラー氏は、遠征先のボルヴィアから代理人を通じて「馬鹿馬鹿しい証明」と言う。何故ならば、このサイドで若し遺体が見付かったとしても「功名心奔れて頂上へと向ったラインホルトに一人残されたギュンターが下降途中に尾根の反対方向に落ちる可能性はある」からだとしている。



参照:涅槃への道 [ 文学・思想 ] / 2004-11-23
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8 コメント

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はじめまして。 (SILVER SURFER)
2005-08-22 09:50:55
TBありがとうございます。

当方のブログとは全く、異なるブログさんからの

TBでしたのでコメント悩みまくりです。

でもこれがブログのいい所。

アンティークの時計を所有している以上

そのモデルの歴史などは気になります。

現行品とは違った魅力があり、

浪漫を感じますね。今日は急いで出勤したので

時計忘れてきちゃいました。汗
そうですか、ギュンターの (Terry)
2005-08-22 11:57:10
遺体が見つかったんですね。マロリーの遺体捜索のときも「頂上登頂」の謎は解けなかったようですが、ギュンターが見つかったからといって水掛論は解けないのでしょうね。



私は結構メスナーファンなので、メスナーの肩を持つわけじゃありませんが、家族の絆が強いイタリア人(本当はオーストリア人?)のメスナーにとって弟ギュンターの死は相当のトラウマだったと思います。



それに、メスナーがジャイアントをさんざんやったあとちゃんと生きているのは、結構ダメと思ったらさっさと敗退するところだと思っています。日本の岳人がことごとく山の事故で鬼籍に入っているのは悲しむべき事ですが、メスナーは決して無理をしない奴なので功名心にはやって、というのはないんではないかと思います。



この悲劇が、彼をアルパインスタイルに向わせ、鉄人の証明(エベレスト単独無酸素とか)へ駆り立てたんでしょうね。



そうそう、ずいぶん昔ですが、東京でエベレストの環境保全の会合で生メスナー(40代?)を見た事があります。なかなか若くみえるタイプのおじ様でした。



TBありがとうございました。
ナンガバルバット人喰い山 (K.Dorokawa)
2005-08-22 12:11:54
そうだったんですか?

弟ギュンターの遺体がみつかったんですか。よかったですね! 兄メスナー自身も、やっと荷が下りたかも? 当時メスナーの本をよんで、ディアミール付近が兄と同じように、気になっていたのです。ところで今、実際的にメスナーは何をしようとして、何をなさっているのでしょうか。

このサイトも知って不思議に感じます。

イキスパートの話、これからもいろいろと教えてください。
メスナーの時計、事故の事象、懐疑的な死 (pfaelzerwein)
2005-08-22 15:57:01
SILVER SURFERさん、コメント有り難うございます。強引なTBで何時もお騒がせしております。実は私も、腕時計を使わないので完全な螺旋巻き派です。それについて書きましたのでもし良かったら読んでください。



時計仕掛けのオイスター [テクニック] / 2005-06-04



腕時計がなくても困らないのが現在の生活ですよね。







Terryさん、エベレストの環境保全の会合へ出られましたか。プロフィールも拝見。私も本を読まない中学生当時日本語初版の「第七級」を貪った覚えがあります。その後もこの事件については雑誌などでも取上げられていましたね。それで、該当の本は未読ですが後に事件の部分を抜粋したものを今回改めて読みました。



それで通常の状態ならば説明の付かない事ばかりなのですね。それでもこのような判断の不明確さから事故へと繋がっていく経過と言うのは、毎日世界中で繰り返されています。ラインホルトが後ろを気にしながらも先ずは自分が行動して生死の境目を脱出しなければならなかった状況も、似た経験をした人にとっては至極当然なのですが。



トラウマですね。日常茶飯の事故の事象が重なっただけなのですが、本人はこれを受け容れようとしなかったのでしょう。ペーター・ハーベラーとのザイル無しのパーティーも振り返ってみるとこの辺に根がありそうです。それにしても突き詰めたアルピニズムですね。



私にも「突き詰めて続けていれば必ず死ぬ」と直前に遺言を残して行ってアラスカで行方不明になった山仲間がいました。メスナー氏の場合は全てをやり果たして途中で極地に目標を変えましたね。これは生き続ける為に大きかったのではないでしょうか。植村さんも遣り残したのか結局は山で遭難しましたし。







K.Dorokawaさん、コメント有り難うございました。気になっていらっしゃいましたか。



二年前ほどの大雪崩で落ちてきたと言う情報もあります。しかし、衣服がそこまで流されて来ていると言うのも考えられません。メスナー氏本人の現地からのコメントは出ていませんが、遺骨は鑑定されるものと思われます。



背後で感じた雪崩が本当に下部で起きていて、当時一日中探した弟が今頃出て来たとなると、本に書いてあった事が全て現実であったと言う事になりますね。メスナー氏本人が、最も懐疑的であったギュンターの死を受け入れないといけないのかもしれません。



K.Dorokawaの世界も不思議に広くて深そうですね。またお邪魔させて頂きます。こちらこそ宜しく。

TBありがとうございます。 (聖母峰)
2005-08-22 20:50:55
山形県在住の聖母峰です。

この度はTBありがとうございました。

また70年ナンガ隊の訴訟についての情報に導いていただき、重ねてありがとうございます。



 ナンガ峰に関するヘルリヒコッファーの著作本が出版された際、日本の山岳雑誌の書評欄で「裁判はどうやらヘルリヒコッファー側に分があると思われる」と書かれていた程度で、その後の顛末は未知でした。

 そもそも登山隊内部で訴訟に発展するという事自体、日本人にはあまり理解できないのではと思います。

 先にコメントされた方同様、私もメスナーに憧れ若い頃を過ごした者ですが、著作から察するに、少なくとも現役時代は野心に満ちあふれた人間であり、それが何らかの形で弟のアクシデントに関連したのではないかと勝手に想像しておりました。

 

 今後とも貴ブログ、楽しみに拝見させていただきます。
続報を交えて、心境に迫ってみたい (pfaelzerwein)
2005-08-23 07:34:01
聖母峰さん、コメント有り難うございます。プロフィールも拝見しました。チョモランマで高所もご経験なので、とりわけご意見があることと思われます。



そうでしすね、隊長の本も出ていました。私も係争に付いては良く知りませんした。そして今回も十分に調べる事は出来ませんでした。只、高所で二百メートル足らずの距離ですれ違いや意志の疎通というのは読み直してみて十分に納得できました。



このようなすれ違いが裁判沙汰になると云うのもありえるなと。日本でも引率者の管理責任が問われた例は枚挙に暇が無い筈です。しかし、上述の隊の場合、当時の無線の状態も悪くて、指揮系統がハッキリしていなかったようです。それにメスナー自身も隊長は本格的な登山家ではない事を認めていたのです。



氏は、十代の時からプロを目指していたと語っています。遠征隊に声が掛かった時点では、自己負担の3000マルク参加費が記されています。功名のチャンスと見ていたのは間違いないでしょう。プロならば当然ですね。皮肉な事に事故のゆえに更に話題になります。



翌年にはウッシー・デメター嬢にカラチで出逢って付き合いが始まります。幾らか資料を見つけましたので、今回の発見の続報を交えて、もう少し当時のメスナー氏の心境に迫ってみたいと思います。



本格的な登山活動はなかなか出来ませんが、時々は可能な限り自らの気持ちを盛り上げて行きたいと思っていますのでまた宜しくお付き合い下さい。そちらでも面白い話題を拝見させて頂きます。
メスナーにとってウッシーは・・・ (K.Dorokawa)
2006-02-25 01:42:27
超人メスナーも・・・

はじめて、一個の人間であることを感じさせられたのは・・・ウッシーかも?

ぼくが追想するのは、一人の人間の存在性である・・・あの当時気が狂ったみたいに尾根や岸壁をよじ登っていたころ・・・正直いうとおれは餓え渇いていた・・・満たすものがなかった。おれは山を登りながら黙想を学んだようだ・・・本音で言えば宗教でも満たされないものがくすぶり続けていたのだ。それは今も・・・しかし、ある幻の存在が現実にあるという

ミステリー・・・どんな超人、偉人、病人だって愛、ロマンや夢が在りたいのだ・・・???
「出会い」へと遡る (pfaelzerwein)
2006-02-25 18:59:36
K.Dorokawaさん、お久しぶりです。1970年代前半の事ですね。弟の死からエヴェレストをハーベラーと無酸素登頂するまでになりますか。彼女に関する幾つかの行は読んだ覚えがあるのですが、それ以上には思い出せません。



一般的には結婚生活崩壊後の事が多く語られています。若しくは崩壊へ至った経過です。反面、この間弟の捜索や係争などあったとは言えプロの登山家として通常の人生を送っています。但し、既に当時から家の購入などですでに亀裂が示されています。



後年になってからのナンガパルパッド単独行等にふれて、インスブルックの大学で教育学を教えている女性は、「傍らに女を置かなくても、一人で生きている事を示そうとするのは極普通の成人男性であり、メスナーは此れを山の中で証明しようとした。」と纏めています。



ここから、「出会い」へと遡れるのではないでしょうか?話は逸れますが、昨日フォイヤーバッハの「キリスト教の本質」を読むと、やはりそこでもその「幻の正体」に迫っておりました。



関連:

固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27

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