Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

Kawaiiからは遠い運命

2019-08-11 | 歴史・時事
新聞文化欄にサイモン・メイ著新刊「ザパワーオブキュート」が大きく扱われている。所謂Kawaii現象つまり社会の幼児化趣向への社会学的な視点で綴った書籍である。それによると、トラムプの行動や2008年当時の日本の外務大臣麻生などが例に挙げられる。KittyやPokemonnやEMOJI流行は言うに及ばず、ETやバルーンドッグス、シュレットなどのキャラクターの目や口に注目する。

心理的には、幼児化現象として、まさしくグスタフ・マーラー作曲第六交響曲の幼児退行が思い浮かぶ。最も作曲家の現実環境があまりにも辛辣を極めれば極まるほど、そうしたきらきらピカピカの幼児体験に想った世界へと戻りそこに遊ぶという心理と同じである。

ドイツにおいてもそのようなトイレットペーパーが直ぐに売り切れたとされる。ハローキティ―などのそれがある程度定着していて、日本の時の外務大臣が後押ししたように漫画を中心にそうしたサブ文化的な影響はあるものの比較的キュート文化からは遠い社会であったのにも拘らずである。だからこうして高級紙の文化欄の最初の記事として大きく取り上げられている。

やはり一種の社会の閉塞感という事なのかもしれないが、日本における芸術的な文化的な趣向と言うのをそこに見れば、現実逃避的な要素はとても強いと感じる。特に日本における西洋芸術音楽需要の核にある心理であって、西欧19世紀におけるフランス革命以降の市民の勃興を契機とする市民の「人生の苦悩」がそこでは最たる関心事となっている。

偶々見つけたDW放送の記事で、「運命交響曲」の命名自体が同時代のシンドラー絡みの運命の動機への言及であって、その後の浪漫派時代には揺るぎない文芸的な意味を保ち続けたというのはその通りであろう。それどころか1960年代のフォンカラヤン指揮全集録音における世界への西欧音楽文化の波及として、世界の隅々まで同じようにマスに働きかける「人生の苦悩」としての運命主題として定着させたことはあり得ることだろう ― まさしくそれを更に一歩進めたのがチャイコフスキーらであり、そこからマーラーへもと受け継がれる。

これを見れば、なぜ通俗名曲と呼ばれるものが、こうした「人生の苦悩」を土台として、そしてそれが複製芸術として市場を形作っていったかが明らかになる。なるほど心理的にはマーラーへと進むとひねてはいるが、その延長線上にある心理であることは間違いなく、次点として日本では売れる曲、プログラムとしてそれらが挙げられる ― つまり日本人の歓心を得ようと思えば「人生の苦悩」しかないようだ。

そこで放送記事で取り上げられているように、ロート指揮のレシエクレなどのオリジナルサウンドを求める楽団の演奏では、もともとフランスでは自前のフランス革命精神から演繹的に「運命の動機」つまり「勝利の歌」としてのハ長調のフィナーレからイメージが定着するとして、なるほどその「運命の動機」への意味づけが変わってくる。革命前には、そうした職業の選択権も移住の自由も結婚の自由さえも無かった「人生の苦悩」などは存在しなかったので、楽聖には健康上の問題はあったにせよそれを超えたチャイコフスキーのような苦悩を当て嵌めるのは誤りであり、精々ベルリオーズなどをそこにおけば足りるのである。こうすることで、その後の浪漫的な芸術への創作意志などがより浮かび上がってくることになるだろう。

その面の右下に、バイロイト出演予定のアナ・ネトレブコがローエングリン出演をキャンセルして、来年もデビューは無いことが発表されたと代役の発表と共に短報してある。来年以降も出ないという事で、「疲れた」と言うのは結局エルザへの挑戦が上手く行かなかったという事になりそうだ。



参照:
Der Schrecken der Verniedlichung, Melanie Mühl, FAZ vom 9.8.2019
運命の影に輝くブリキの兵隊 2017-04-11 | 文化一般
無酸素で挑む運命の先 2019-07-23 | マスメディア批評

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