Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヴァルハラを取巻く現世

2006-08-17 | 文化一般
バイエルンには、ヴァルハラ城と言うドイツの英霊が祀られている廟がある。ルートヴィヒ一世が1825年に完成させた。ドイツ人の民族意識が高まりつつある時代である。

ここに祀られている胸像は、殆ど1847年に設置された。その後1990年にアインシュタイン、1999年にアデナウアー元首相、2000年にヨハネス・ブラームス、2003年には白い薔薇のゾフィー・ショル嬢が加わり、先日シュトイバー首相がユダヤ人の聖エディット・シュタインを加えると発表した。この後順に、ハインリッヒ・ハイネやガウス博士が名を連ねる。

ヴァルハラ城と言えばゲルマンの伝説上の神殿である。リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇「指輪」の舞台でもある。バイロイトのヴァーグナー祭では、タンクレド・ドロスト新演出で、ティーレマン指揮で催されたと新聞評は伝える。現実社会に寄り添う神の世界を描いたようだが、仮想ポストモダーンの半ステージ演出は一貫していないようで、途中ではミニマルな表現に演出家の疲れさえ見えたようである。音楽面でも歌手陣は水準を維持したが、一貫しない管弦楽はまことのコンセプトがあったのかと訝る。そうした、動機の誇張やところどころ恣意的に抑えたこんだダイナミックもアンサンブルの乱れとして、全体としてちぐはぐな印象を残したようである。

本年度は、クリストフ・マールタラーの楽劇「トリスタン」と問題のシュリンゲンジッフの舞台神聖劇「パルシファル」の再演が最後となった。前者では劇場演出の限界が言われ、後者では年を追って情報量を絞ってもまだついていけない演出が言われる。前者でヴァーグナーの音楽解釈を放棄したオオウエ氏に代わって奈落の指揮を受け持ったシュナイダー氏の手堅さが書かれ、後者ではブーレーズ氏からバトンを受けたアダム・フィッシャーのハイドン風の音楽には深遠な表現が欠けるとされる。

腕の差はあっても、良いテンポで鳴らすことの出来ない指揮者やダイナミックを信条とする一点張りの指揮者が巧く処理できない事と、80年代に活躍した舞台芸術家がポストモダーンの思潮に流されて遅れ馳せながら試みる演出の難しさに共通点がある。ヴァルハラと現世を行ったり来たりのごった煮なのか。

ブルックナーの胸像前で神妙な顔つきの総統の写真



参照:バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24

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4 コメント

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体格 (pfaelzerwein)
2006-08-18 03:07:20
そうですか。体格が立派ですか。写真からはあまり分かりませんでした。
練習風景 (shamon)
2006-08-17 17:24:55
>新監督は話題を集めるだけでも立派?

と思います。その体格と同じように(笑)。

練習風景を見ていると、監督と選手に対格差がありすぎて、

高校生が怖いコーチに叱られているように見えます(苦笑)。
あの傾向は (pfaelzerwein)
2006-08-17 13:26:58
神話です。バイエルンのルートヴィッヒはあの有名な二世の祖父で、建築魔ですから、あの傾向は隔世遺伝なんですね。



ワイン街道にも夏のレジデンツがあります。



新監督は話題を集めるだけでも立派?
北欧神話 (shamon)
2006-08-17 11:21:52
が頭に浮かんじゃいました^^;。

同じ名前のお城があるとはオドロキです。



オシム・ジャパン、公式戦には勝ったものの選手のふがいなさに監督は怒り心頭(^^;。

チンタラパスリレーは一体いつになれば無くなるのやら。

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