Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

We're going to Baden-Baden

2018-03-11 | 文化一般
フィルハーモニカーのライヴラウンジを観た。来るバーデン・バーデンでの「パルシファル」の前宣として吟味した。そもそもチャットが軸になっていて、司会のホルニスティンも明らかにそうした広い若い聴衆を相手にしているようで所謂コアーな聴衆には向けられていない。世界中からのチャットがあるようなので、その意味では本来のデジタルコンサートの販促という意味合いが強いのだろう。広く浅くの市場を目的とするそれを見ると如何にもフィルハーモニカーの商売の難しさが感じられる。

それでも世界中からの質問には中々これはと思うものもあった。その一つが最後の質問であった。「バイロイトで指揮する依頼はありましたか?」というもので、流石に考えて話す様子が面白かった。この部分は所謂通や業界人が見ても楽しめただろう。「一寸問題があって、…幾つかの理由」がいろいろと推測されるところで、ここは司会の流し方も良かった。

最も好きな作曲家ハイドンの音楽や人柄について、バーンスタインの演奏の難しさ、同時に簡単に遣ってしまうフィルハーモニカ―への若干皮肉交じりの賞賛、何回も指揮することで容易になるのではなく馴染むだけだとか、プリントメディアではないのでその発言の雰囲気は確かに伝わりやすい。生で見ていてメモを取っていたが、YouTubeで観れる様に上がっている。

その他はミルクが先か、紅茶か、スコンかとなるともう殆ど刑事コロムボのようなブリティッシュな受け答えになっていたが、記者会見以外の内容はそれほど出てこなかった。それでも印象に残ったのは、背景のラヴェンダーとパルシファル二幕のイメージとか、黒沢映画への言及、最後にバーデン・バーデンからのグリーティングで出てきたグールド、フィンレイ以外のゼーリック、ドノーゼの主役陣の顔を見れたのが良かった、それどころか二人の花の娘を出したのも悪くは無かった。但し劇場の側でのその扱い方が不十分でまだまだ広報に力を入れる必要性を感じた。
Sir Simon Rattle on the Berliner Philharmoniker Live Lounge cf.49m19s


そこで祝祭劇場がパーソナルを公募している。9月からの完全就業でコミニュケ―ションなどを担当する人を募集している。新たなスタムパ体制で重要な意味を持つと思う。先日既に触れたことであり、適材適所にプロフェッショナルな人材を配置することはとても大切である。今回の配券やライヴラウンジの協調作業などを見てもこうした公募などを見てもとても新体制に期待が高まる。

車中のラディオでマンハイムの劇場のテューバニストがゲストで話していた。バイロイトに入る二人の奏者の一人で残りは控えの人がプールから入るだけだと言っていた。お呼ばれで参加するので、こちらから申し込むのではないと話していた。楽器によっても異なるのかもしれないがシーズンを通して入っているとは知らなかった。座付き管弦楽団の「ジークフリート」のファーフナーの出が流されたが、遅いテムポは構わなくてもあの間延び感は一体何をしようとしているのか全く理解不可だった。なによりもアンサムブルが甘いものだからその繋ぎで思わず笑って仕舞う。責任は指揮者にあるので恐らく先任の監督アダム・フィッシャーならば粗が目立たないようなテムポで誤魔化していただろうと思った。その劇場経験と呼ばれる誤魔化し方だけでもバイロイトの指揮者になるかどうかの実力の差なのだとも思った。それにしても座付き管弦楽団などはお笑い程度の演奏しかしていないのを改めて実感する。

2004年のブーレーズ指揮の「パルシファル」の三幕を聞いたが、会場にいた印象よりもやはりどうしても粗が見つかるだけでなくて、テムポのタメが無い分、逆にメリハリがない。会場では情報量の多いシュリンゲンジーフ映像などを含めて神経を働かす必要があったが、歌手の不出来はそもそも無視していたが、音だけを聞くとどうしても若干失望する。やはりメディア化されているデビュー時の公演指揮の方が良いのだろう。



参照:
神聖劇の理想的な舞台 2018-03-03 | 音
名門管弦楽団の演奏会 2018-02-24 | 文化一般
バーデンバーデンへの想い 2018-02-19 | 文化一般
ジャンル:
各業界情報
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